脳のミステリー

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260.生きとし生けるもの

2008-04-03 08:25:18 | Weblog
共同通信は4月1日付けで「カンガルー駆除回避」を報道に移した。
オーストラリアの首都キャンベラ郊外の軍用地で過剰繁殖が問題になっている野生のカンガルー約400匹を駆除する計画について、同国国防省は3月31日、カンガルーの別の土地への移送などを検討するため、駆除実施を見合わせると発表した。過剰繁殖が絶滅の危機にある他の生物に悪影響を与えているとして駆除計画を進めていたが、動物保護団体が反対運動を展開していた。
エイプリルフールで騒ぐ日に真実を伝えるメディアが送ってきたホッとするニュースだった。
「命拾いしてよかったね~」
「kangaroo! 知らない!」
こんな会話があったかどうか・・・

自然界の生きものと人間の付き合いほど難しいものはない。
幼い頃「太陽と北風」の話を読んで聞かせて貰った人はいっぱいいると思う。
人間は北風がピューピュー吹くと厚着をして身を護り、灼熱の太陽が照りつけると衣類を脱ぐ。
だが、自然をこよなく愛するという人間は時に豹変して利己主義になる事がある。

マイミクのワンダフル仲間にライト君というゴールデンレトリバーがいる。他のたくさんの同種のワンちゃんの中で何故、私は特にライト君が気になるのかというと・・・みんな夫々に愛らしく色々な表情で私という障害者を癒してくれる、そんな中で、どうしてライト君が特別・・・

私は数年前から不便な体になったが、それでも蘇った私はライト君にパソコンの上で出会った事実を感謝している。ライト君は人間の手による現実と大地が育む自然の中で実にナチュラルに生きている。
ライト君と私の出逢いは、実に偶然に、且つ自然に、歩み寄って来たのである。

都会のど真ん中に住む私は毎日必死になって自然を求めている。
「あっ、奇麗な花!」
「あら、いい香り!」
「えっ、ウグイス?」
北海道の大地を駆け回るライト君は、何気なく地上に四季の植物を見つけ、何気なく空中から舞い降りる季節の鳥を見つける。
そして、私はライト君を通して四季折々の自然を改めて知るのである。
そこには馴染みの自然もいっぱいあるが「はじめまして!」の多さにも驚く。

植物を見ているとその一生とその繰り返しがよく分かる。
だが、野生の動物の一生は見えない部分がいっぱいある。
日本語に「生きとし生けるもの」という表現があるが、この連語の「と」と「し」は強調の助詞で「この世にいきているすべてのもの」即ち英語だと表現はとてもシンプルでall living thingsという事になる。
野の草花も野生の鳥獣も季節に従って、出たり隠れたりする。「死」をもって隠れる事もあるが、草花や渡り鳥には歓迎を表すのが人間である。そして嫌な生きものには目を瞑り、時には殺意を抱くのも人間である。

カンガルーの話題で考えてみよう!
私が、豪州大陸に初めて足を踏み入れたのは半世紀近くも前の事である。
当時の私は、メルボルン郊外で見るカンガルーに大いに喜んだものである。
郊外を車で走るとCaution Kangaroo Crossingという標識を見つけ、同時に小さなカンガルーが車にはねられているのを見た。小さいカンガルーはワラビーという種類だと教えられた。
やがて成人に成長した私はある時、ある事で、ホワイト・カンガルー・コートをプレゼントされた。
何も考えずに跳び上がって喜んだ記憶がある。そして私にとっては初めての毛皮のコートは長い間、私を寒い冬から護ってくれた。

私はある日の事を今、思い出している。
メルボルン市内を車で走っていると羊をいっぱい詰め込んだトラックを追い越した時、小さなダイアナが聞いた。
「グランマ、あの羊さん達、何処へ何をしにいくの?」
「来週のディナーになるのよ!」
「えっ!」(私の驚き!)
「ふ~ん、私大好き、ラムチョップ大好き!」
「・・・」(私の沈黙!)
「今日の夕食、ローストラムにしましょうか?」
「イエス、イエス!」
・・・・・
人間社会では、衣食住の目的別に全ての生きものを考えるのだろうか・・・

確かに「野菜さんかわいそう!」とは言わない。「魚さん、ゴメンなさい」とも言わない。何故だろう、みんな「生きとし生けるもの」なのに・・・

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2 コメント

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・・・ (ココ侭)
2008-04-27 07:49:07
はじめまして。
とても興味深い話題なので、書き込みさせていただきました。

私達の日々の生活の中で当然のように食されている総てのものには「命」がありました。
その命の上に私達の生存が成り立っています。
ある人は言いました。
『その命に感謝する心を忘れてはならない!だからこそ残さず捨てることなく食べる。ということこが、私達のために命を失った生き物のに対する供養になるんだ!』と・・・。

人間とは、いろんな生き物ものを犠牲にして・・・、少々極端な表現をすると破壊して生きる、生物の中でもっとも最悪な存在なのでは!?と思っています。
ただし、それは近年の人間であって、古の人間は自然の中で他の生き物と同様の環境下で存在していた。
たまたま頭脳の発達が他の生物と違った進化をした。
それが悪いこととは考えたくないけど、現在の地球環境を壊したのは「人間という動物」なのですよね。

 オーストラリアのカンガルーの話は気になっていました。日本に置き換えると、山林の木々を枯らしている鹿や雑食のイノシシでしょうか・・・。
少し昔の日本人は日本狼を絶滅させてしまいました。
駆除には、いろんな問題が左右します。何を優先させるべきなのか?難しいことがたくさんあるのでしょう。
ただ私が悲しいのは、総ての変化が「人間という動物」の招いたもの?拍車をかけているのでは?ということです。
 この悲しむべき総ての現状に、何もできずに嘆くだけしか出来ない私は、ツイ目をそらして生活しています。仕方が無いと、流されている私が、いるんです。
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ココ侭さん、コメントをありがとう (ban-kuko ku-)
2008-05-04 05:50:10
昨夜はTVでは豪州最大のWA州の自然にフォーカスしていました。
あそこはブラック・スワンが有名です。
黒い羽は下が真っ白でやっぱり白鳥?と思ってしまいますね。
海中には太古のジンベエ鮫が悠々と泳いでいます。
ユーモラスな風貌と模様が可愛くて、大きな口で小さな魚をいっぺんにいっぱい食べる様子さえユーモラスに思えてしまいます。
おっとりとした雰囲気は実にマイペースで地上の動物の弱肉強食は微塵も感じません。
同じ鮫でもつながる同じ海には四半世紀前には時のホルト首相を呑み込んでしまったかも知れない人食い鮫も泳いでいる筈!
人食い鮫には要人かどうかも分かりませんものね!
人間と自然・・・興味深く、且つ愉しく、怖くもある、地球って何かやっぱり素敵な処ですよね!

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