脳のミステリー

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208.リハビリテーション医学

2007-07-29 08:20:49 | Weblog
 日本はリハビリテーション医学では、かなり遅れをとっていると言わざるを得ない。この医学は100年前にアメリカで物理療法に基づいて認知された分野であるが、5000年前の古代中国や2500年前の古代ギリシャの時代から運動療法や温熱療法は行われていたのである。
 昨年春に実施された診療報酬改定で「リハビリ打ち切り問題」が噴出して、リハビリ医療は俄かに社会問題になった。
 日本の厚生労働省は「リハビリテーションは、単なる機能回復訓練ではなく、心身に障害を持つ人々の全人間的復権を理念として、潜在する能力を最大限に発揮させ、日常生活の活動を高め、家庭や社会への参加を可能にし、その自立を促すものである。従って、介護を要する状態になった高齢者が、全人間的に復権し、新しい生活を支える事は、リハビリテーションの本来の理念である」と尤もらしく記している。
 話は突然飛ぶが、そして余談ではあるが、生活保護法では「困窮する全ての国民に対し、その困窮の程度に応じ、必要な保護を行い、その最低限度の生活を保障し、その自立を助長する」のを日本国が目的とすると記している。
 日本の行政が尤もらしく掲げるスローガンはいつも単なる標語で終わってしまうような気がするのは私だけだろうか。奇しくも今日は参議院選の日・・・
 確かに、日本のリハビリの歴史は戦後からと言えるし、リハビリ専門家の出現は極最近になってからであると言えるだろう。高齢化が進む。リハビリはますます重要になっていく。打ち切るのでなく逆に充実させる道こそ探るべきだろう。それなのにリハビリ打ち切りとは・・・
 リハビリ打ち切りが宣告されてまもなく、直接の原因ではなかったのだろうが社会学者の鶴見和子さんが亡くなっている。彼女が自らの体験をもって紹介した装具付革靴を、何としても履いてみたいという想いから私が着用し始めて5年になる。倒れて足掛け6年になるから、維持期殆どのリハビリに私はこの装具を身に付けている。その彼女があっけなく昇天の刻を迎えたのは「リハビリ打ち切り」が何らかの形で少なからずも起因していたんだと思ってしまう。
世界有数の長寿国を誇る日本のリハビリの行方が危ぶまれているなんてナンセンス!
 リハビリテーションという言葉は戦後、アメリカから伝えられた多くのカタカナ語のひとつで、長い間、一般人にはあまり馴染みがなかった。極最近になって、リハビリ医学は予防医学、治療医学に次ぐ、第3の医学として、新しい医学の分野を得るようになったにも拘わらず、既に「打ち切り」が問題になってくるなんて・・・ リハビリに関して、あまり理解されていないのが現実で、リハビリの対象は疾患ではなく障害であり、むしろ障害を有する人(障害者・老齢化すれば障害者化する)であるという認識が薄いという事実の壁にぶつかるような気がする。障害者(老齢者も)のいない社会などあり得ない事は分かりきっているのに、高齢社会にまっしぐらに突入している日本が「リハビリ打ち切り」だなんて、開いた口が塞がらない。
 正しいリハビリの心を持つ医療が存在して、そんなリハビリの心を持つ社会であるかどうかということがとても大切で、これぞ先進国の社会の民度の高さを表す、という事ではないだろうか。

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