昭和17年(1942年)2月8日、日本軍はジャワ島の3か所から上陸した。西部ジャワのバンタム湾、中部ジャワのエレタン、東部ジャワのクラガン海岸からだ。総指揮をとる第16軍今村均司令官は、乗っていた船がバンタム湾で沈没,自身油まみれの上陸であった。この上陸の地は16世紀の末、日本人町もあって栄えたいう旧バンタム王国の跡地で、今も当時の城壁や中国寺院が残っている。
30年ほど前、この地を訪れ、近くのチェリタという海岸のコッテージに一泊した。チェリタとは、インドネシア語でチャリタ(語り話)から来たもので、1883年のクラカトゥ海底火山の大爆発による津波で遺体が海岸に沢山流れ着いたということからきてる。
バンタムの地に早暁、上陸に成功した日本軍はその日のうちに先遣隊が首都バタビア(現在のジャカルタ)に到着、和蘭側からの申し出で戦闘はなく無血開城であった。そして、その数日後蘭印軍はカリジャテい飛行場で全面降伏した。