「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

コタコタ.インドネシア(20)スラバヤ 赤い橋 日本橋

2020-07-14 06:01:57 | 2012・1・1

東部ジャワにある人口300万人を超すインドネシア第二の大都会である。蘭印と言われた和蘭植民地時代には日本との関係は首都バタビア(現在のジャカルタ)より深く、在留邦人も多かった。戦前から日本人学校もあり、父親が銀行員だった作家の有吉佐和子も在学していた。その歴史も深く、明治初年この地を訪れた日本人女軽業師から名をとって「女の花」(Kembang Jepanng)という町があり、カリマス川にかかって日本橋もあったという。

橋といえばスラバヤでは「赤い橋」が有名である。日本の敗戦直後の昭和20年12月、和蘭軍がいち早くスラバヤに戻ってきて日本軍から銃を譲りうけた市民や”脱走”日本兵との間に戦闘になった。その激しかった戦場の一つが「赤い橋」近くであった。余談だがブンガワン.ソロの歌で知られるげサンが歌うジュンバタン.メラは日本軍政時代のもので戦闘には関係ない。

大東亜戦争の緒戦、昭和17年2月、わが大日本連合艦隊はスラバヤ沖海戦で大勝利し、フィリピンから転戦した48師団の兵士はスラバヤ西50キロのクラガン海岸に上陸、ジャワ作戦を勝利に収めた。その記念碑がかってはあったが、海岸浸食で今はない。

 


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