「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

コタコタ.インドネシア(19)パンテ.ラオ トラジャのコーヒー

2020-07-12 08:47:48 | 2012・1・1

スラウェシ島の中部高原に広がるトラジャ文化の中心の町だ。マカッサルから飛行便も出ているが時間があれば陸路片道数時間車窓からセレベスの景色を楽しみながら観光したほうがよい、マカッサルから海岸線にそって第3代大統領ハビビの生まれ故郷パレパレあたりから,高原に入りやがて標高700mのトラジャの地に着く。 

トラジャとはマカッサル地方のブギす語で;高地の人”というそうだが、独特の文化圏を持つ。棚田と竹林が多く、家屋は舟形の屋根を持つ家が多い。なかでも岩窟を利用したお墓と死者を模したのかタウタウという人形は、豪華な葬儀の式と並んで外国人にとって観光資源となっている。

日本からは交通の便もあって、まだ”秘境”に近いが、昔から関係がある。戦前この地で金山を掘っていた“山師”もいたそうだし、先の戦争末期には豪北方面から移駐してきた第二軍司令部が近くのシンカンの地に本部を置いていた。しかし、トラジャの名前が一般日本人にも知れわたるようになったのは、1980年代に木村コーヒ店が現地に農園を開発、トラジャ.コーヒ名で販売してからではないだろうか。


古関裕而「愛国の花」を知らない介護世代

2020-07-11 05:13:15 | 2012・1・1

作曲家古関裕而の生涯を描いたNHKの朝のドラマ「エール」が話題になっているが、昨日介護施設のデイ.サービスの歌の時間に古関の戦時中の歌「愛国の花」を披露したいと歌詞を手書きして持参したが、皆があまり知らない歌だと断られた。「愛国」に対する偏見ンがあるとは思いたくないが、戦後75年、敗戦の年に生まれた世代が後期高齢者入り、時代の,推移を改めて感じた。

▽ 愛国の花(作詞福田正夫 作曲古関裕而)昭和13年)

眞白き冨士の気高さを心の願い盾として み国につくすおみならば輝く御代の山ざくら地に咲き匂う国の花

昭和1ケタ銃後の小国民世代にとっては”見よ東海の空明けて旭日高く空明けて"の「愛国行進曲」の「愛国」と共に忘れられないが、戦後「愛国」が戦争につながる禁句として歌まで歌われなくなった。この「愛国の花」のどこに砲火の響きが聞こえてくるのだろうか。

戦後のある時期「愛国」の名がつく右翼政党が街宣車で軍歌をマイクで流し世の反感を買った。先日NHKが古関裕而の名曲を紹介する番組を放送していたが、この名曲をオミットしていた。NHkにも偏見があるのだろうか。国を愛することのどこが悪いのか。

 


コタコタ.インドネシア(18)マカッサル 海軍占領政策要の地

2020-07-10 05:39:34 | 2012・1・1

スラウェシ島第一の都会。和蘭植民地時代、日本の占領時代を通じてマカッサルだったが、戦後一時期、ウジュン.パンダンと併用期があり1971年、マカッサル一本となった。

戦争中、蘭印(インドネシア)地域は陸海軍中央協定によりセレベス島以東の地域は海軍の統治地となり、その要の地としてマカッサルに民政府が置かれた。民政府の下に各地に民政局が配置され占領政策が進められた。

マカッサルには戦前からの移住者が多く、戦争直前の昭和16年出版された「蘭印紀行」(渋川環樹著)によると、当時でも170人も日本人が住み、ベチャ(三輪自転車)の製造販売などに当たっていた。

風光明媚な観光地でもある、ポルトガル時代の古い観光遺跡を見学、マカッサル湾に落ちる夕日を見ながらワルン(屋台)で飲むビールとサテ(焼き鳥)の味は格別だ。


コタコタ.インドネシア(17)マナド 初の落下傘部隊降下地

2020-07-09 05:05:28 | 2012・1・1

スラウェシ島のマナドといっても僕ら銃後の小国民世代にはピンんとこない。やはりセレベス島のメナドだ。昭和17年(1942年)1月11日、緒戦の頃ダバオから飛来した海軍機が史上初めてこの地に降下した。しかし、軍事上の秘密から発表が1か月後の2月、スマトラのパレンバンの陸軍の「空の神兵」の降下と同時発表になったためか当時の国民への「初」の印象度は薄かったようだ。

今、一般にはマナドと呼ばれているが、昔からミナハサという独特の文化圏を持っており、キリスト教徒が多い。インドネシアでは西ジャワのスンダと並んで美人の産地と言われており、日本の化粧品会社も会社名にしているという説もある。今、マナドの地は70余年前の落下傘降下の地よりはマリン.スポーツのメッカ,ブカナン島への搭乗口として知られている。

残念なのは戦時下の記念碑が歳月とともに消えてゆくことだ。20年ほど前訪れた際、市民墓地にあった堀内豊秋落下傘部隊長を祀って現地の人が建てられた慰霊碑があったが、今その所在がわからないという話を聞いた。30年ほど前海上自衛隊の練習船がマナドを親善訪問した際は、「霊魂」の慰霊碑を訪れている。

 

 

 

 

 


南海の孤島の惨殺の記憶と記録

2020-07-08 04:54:16 | 2012・1・1

南海の孤島に近いモルッカ諸島のサギヘ(インドネシア)で戦争中2か月間駐屯していた遠縁の近衛兵の軍歴に関心を持ち調査してみたら、昭和史の大家としてラジオ番組でも活躍されているH氏が雑誌にこの島で島民24人が惨殺されていたという島民の記憶と記録があると紹介している。H氏はこの情報をサギヘに隣接するスラウェシ島から復員したA氏から聴き取り取材している。

僕はA氏と一面識あるが戦争中はスラウェシ島内陸部のソンデルの陸軍部隊の兵士でサギヘにいたことがない。戦後インドネシアに関心をもち、キリスト教の布教をかねて数回、サギヘへ渡り、島民から惨殺の話を聞き、その記録があるのを知った。記録によれば、日本軍は昭和19年5月28日の海軍記念日には住民指導者を招き盛大に祝ったが”6月になると、和蘭のスパイ容疑で24人を次々と逮捕惨殺したという。

結論を先にいってしまうと、この惨殺の話は″眉ツ場””ではないかと思う、確かに戦時中、西カリマンタンのポンティアナなどで住民虐殺はあった。しかし、戦後のBC級軍事法廷で全容は明らかにされ関係者は逮捕され処罰されているが、メナド法廷では”サギヘ事件”については一切ない。スマトラのブキティンギの防空壕で3000人虐殺されあたという虚妄も当然のことながら裁判にかけられていない。戦争の実体験者が少なくなり、戦争が理解できなくなってきた。


繰り返される 自然災害による老人施設の悲劇

2020-07-07 05:01:35 | 2012・1・1

九州各地がこのところの集中豪雨に見舞われ大きな被害が出ているが、なかでも5日の熊本県球磨川流域をを襲った豪雨で球磨村の老人施設が水没し入所者14人が死亡した事故は痛ましい。30年ほど前、僕は外国人の森林研修のためここを訪れたことがる。模範的な農林組合を見学したが、日本三大急流が村内を流れ風光明媚の地だ。

自然災害による老人施設の被害というと老妻の故郷、善行寺の裏山で起きた地すべりで老人施設が破壊され26人が死亡した事故が想い出される。あれから40年も経つが相変わらず同じような事故があとを絶たない。2016年の台風10号では岩手県岩泉町では小本川が氾濫し9人が犠牲になっている。昨年も千曲川の決壊寸前に施設の老人たちが救出され危うく難を逃れている。

東京のような大都会では土地の入手難から特別老人介護施設の建設が進まないが、地方では素人考えにはそうとは思えない。ハザードマップ外だと思うが結果的には被害を出しているのはなぜなのか。多分、高齢者の目を楽しませようと風景を配慮したのかもしれない。しかし、足腰の弱った老人にとっては安全第一である。

 

 


都知事選 小池百合子氏の”地すべり的"勝利と今後のコロナ対応策

2020-07-06 06:50:30 | 2012・1・1

コロナ.ウィルス騒ぎのまっただ中で昨日行われた東京都知事選挙は現職の小池百合子氏が予想通り圧勝した。横文字好きな小池氏の表現を借りさせて貰うと、今の時期に不謹慎だが"landsliding "(地すべり)的な勝利であった。得票数は300万票を超え、有力野党の全得票を越えた。昨日も東京では新規感染者数は111人、4日続けて100人台だが、あまりこの数は得票には関係なく小池氏の対応策を是認する結果となった。

要介護3、身障者の僕は残念ながら投票を棄権した。先日行われたフランスの選挙では投票に当たって、介護老人や身障者に格別な配慮したとBSテレビニュースで伝えていたが、都知事選では一切その配慮がない。その意味では小池都政を批判する資格はないが、コロナ.ウィルス対策に関する限り「東京アラート」など色々新しそうなことを言っているが新味がない。先日も政府のコロナ対策スポークスマン西村康稔経済再生担当大臣と話し合っていたが、”今の時点では緊急事態宣言を再発しない”という政府の考え方を追認するにすぎない。

90歳の老人の素人の推論だが、コロナ.ウィルスの新しい波が政局がらみで、夏休み明けの9月上旬襲来しそうだと政府はみているようである。このところの東京を中心とした新規患者の拡大について政府は新宿、池袋など東京の”夜の街”の特定業者を狙い撃ちするかのように検査している。意味がないとは言わないが、世界的な新しいコロナ局面を見ると、今のわが国の出入国管理について緩和の方向がみられる。水際作戦が重要なことは今さら言うまでもない。再選を果たした小池知事に期待したのは,迷走がちな政府の対応策に首都の立場から一言あってほしいことだ。


コタコタ.インドネシア(16)サラティガ ドカールの町

2020-07-05 05:30:14 | 2012・1・1

サラティガはドカール(乗り合い馬車)が似合う町だ。往時インドネシアでは町中の交通機関は普通ベチャ(人力三輪車)が多かったが、坂道が多いせいか2000年代、僕がサラティガを訪れた時でもベチャは少なくドカールが多かった。中部ジャワのジョクジャ、ソロ、スマランからも僅かで行ける交通の要衝でもある。そのためかこんな小さな町にも戦前、日本人 経営の雑貨店「トコ.ジャパン」が2軒も店を出していた。

この町の外れにインドネシアでは珍しいキリスト教(プロテスタント)系の大学、Satya Wacyanaがある。この大学と関西学院大学とが姉妹関係を結んでいて、クリスマスから新年にかけての休暇時には学生寮に泊まって観光を兼ねたセッションもあると聞いた。

ジャワ旅行の楽しみの一つは、現地人向けの安宿ロスメンに泊まりベチャテ1ドカールに乘って町中の現地人が食べる屋台でサテ(焼き鳥)に舌づつみをうつことだ。遠くの山脈の夕日を背にしてドカールの鈴を聞くと旅愁を感じる。サラティガはそんな町だ。

 

 

 

 

 


「感染拡大要警戒」より渡航制限緩和による海外リスク

2020-07-04 08:01:57 | 2012・1・1

小池百合子都知事がコロナウィルス感染者数の急増を受けて先日都内に「感染拡大要警戒」を出した。その警戒にも関わらず昨日3日の都内の感染者数は124人と緊急事態宣言解除後最多を記録した。「東京アラート」をはじめ色々知事が出す言葉遊びの「警報」慣れしまったのか僕はあまり驚かない。

それに都の毎日の発表は感染者の多くは都内の新宿、池袋など”夜の繁華街のホストクラブやキャバクラの関係者で積極的に検査を実施した結果、陽性と判明したという。”積極的な検査”がなければ判明しなかったともとれ、素人の僕がみても随分とおかしな話だ。新規患者が実際に増えているのかどうなのか。

こんな情勢の中で政府は本格的な経済活動再開に備えて海外諸国との間の渡航制限を緩和する動きが出はじめてきた。すでにベトナムとの間で合意し、豪州、ニュージーランドとの間で協議がはじまている。しかし、わが国との間の輸出入上位の米国では依然として毎日の新規感染者数は4万人も出ている。日本とは文字通り違う。第二波、第三波の到来が強く心配される国が依然として多い。安易に渡航緩和におるべきではない。


コロナウィルス拡大しても介護事業は継続を

2020-07-03 05:31:27 | 2012・1・1

昨秋から週1回、通園介護リハビリ.サービスを受けているが、先週からケア.マネージャと相談して別の施設でさらにもう一回通園することにした。理由はコロナウィルスによる緊急事態宣言中の10週間、施設が自主的にサービスを停止した。この結果、僕のフレイル度は深化、室内歩行にも支障をきたした。新しい通園施設は今年2月開園したばかりであり、宣言中もサービスを続けていた。

昨日、東京では新規患者が107人と急増した.。緊急事態宣言解除議最多の記録である、小池百合子知事は「感染拡大要警戒」の段階の状況だと発表した。菅義偉官房長官は「直ちに緊急事態宣言を発出する状況には該当しない」としながらも警戒感を持って中止すると述べている。

緊急事態宣言の再出は経済的にも大きな影響があり政府も慎重にならざるを得ない。しかし、このところの新規患者の急増は国民にとって不安だ。とくに「三密」に直接関係する介護サ^ビスにとってはそうだ。宣言によって仕事のストップを要請させられる事業所も多いが、介護事業所は逆にサービスをやめないよう要請する制度があってもよいのではないか。介護老人からのお願いである。