「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

続出する10万円給付金支給オンラインシステムトラブル 郵送は大丈夫か

2020-05-21 06:11:32 | 2012・1・1

新型コロナウィルスによる国民一人当たり10万円の特別定額給付金の支給手続が今、全国の自治体窓口で始まっているが、政府お勧めのオンラインシステをはじめトラブルが続出している。福島県の人口5000人の天栄村では申請した1200人に対して総額1億円超、ダブル支払いされていた。考えられない。

オンラインシステムとは内閣府の管理する「マイナポータル」に申請者が必要なデーターをうち込みう、これを自治体が住民基本台帳と照合し処理するものらしい。PCの初心者である僕ら老夫婦は政府お勧めでもお手あげで、役所からくる来る申請書を待っているのが現状だが,、いつになるかわからない。アベノマスクの前例もあることだし期待すまい。

全国各地の自治体でオンラインシステムによる初歩的なミスが続出、給付事務全体に影響ぢてきたようだ。このため、自治体の中にはオンラインシステムによる取扱いを中止するところも出きた。今回の給付金制度は2008年リーマン金融危機の際の麻生太郎内閣のとった給付制度の失敗の反省の上に立ってのものだった。リーマン給付金の最大の不評は、支給が遅すぎたことだった。オンラインつまずいてそのしわ寄せが郵送分にこなければよいが。


緊急事態宣言下 日本列島群発地震

2020-05-20 09:56:22 | 2012・1・1

コロナウィルスによる緊急事態宣言下、お上のお達しで連日、stay homeしてテレビのお世話になってる介護老人だが、昨日は日本列島各地で発生した地震に驚かされた。まずは昼過ぎ0時17分、福島県沖で発生したM5.3の地震、このところ、9年前の3.11と同じ地域に小さな地震が多発しているが、幸い津波は起きていないし、原発にも影響はない。が、あまり良い気持ちではない。ついで1時13分には岐阜県飛騨地方で同じM5.3が発生した。こちらは、事前の特別警戒警報から聞いてしまった。さらには午後6時45分、遠く離れているが、鹿児島県の奄美大島沖で最大震度3を記録した。

政府の東南海巨大地震の予測によると、向こう30年間に東京でM8級の大地震が起きる確率は80%だと何かの本で読んだことがある。1922年の関東大震災からすでに98年。確率からいって当然起きてもおかしくない。加齢と共に心配性になってきたのか、気象庁のHPで何か列島各地の多発地震についてコメントがあるかとみたら何もない。専門家からみれば地震ごとの相関性がないし、当たり前なのだが、90歳近い老人にとっては一言、無関係、安心だというコメントが欲しい。

緊急事態宣言下、何かと”鬱”であり、”不安”である。ペンでミックをおさめる神がおり、同時に、自然界の災害をも司とれるならば、緊急事態宣下では地震など起こしては困る。


安部内閣の支持不支持率逆転 ””小だし”戦術の不人気

2020-05-19 07:55:01 | 2012・1・1

新型コロナウィルスの感染拡大は収小に近ずいているんだろうか。購読紙産経新聞は社会面に当然のように小さく「国内感染31人」と報道しているだけだ。政府の世論誘導もそうなのだろうか。昨日民放の報道番組をみていたら21日に早くも緊急事態宣言が解除されるという予測があった。

安倍内閣の支持率と不支持率とがNHKの世論調査(5月15日ー17日)によると、支持率37%に対して不支持率45%と逆転した。同時に自民党の支持率も低下、逆に野党立憲民主党が久しぶりに僅かだが上昇した。

人気挽回を狙うのか自民党は今国会の第二補正予算案として再度国民一人当たり○○円を支給する案を検討中だという。先日決まった10万円支給の手続がやっと始まったばかりである。2月に国民に約束した布マスク2個はまだわが家には届いていない。ことマスク問題ではない。昨日横浜市では中国の姉妹都市から贈られてきたマスクを市民に配布していた。妊婦用の欠陥マスクの報道とでは国民の受ける感じは違う。

21日には8都道府県すべての宣言が解除されるのか、それとも情勢に応じた新しい宣言なのかわからないが、j従来の手法を見ると、僕には対策が一度にすべてではなく、”小だし”のような印象を受けるがどうだろうか。それが対応策の不人気の原因に思えるのだが。


父の生誕136年(3)回向院の大相撲から双葉山69連勝

2020-05-18 07:25:00 | 2012・1・1

父の生誕136年に当たり遺品を入れた書庫を整理したら、昭和17年、父が博文館から出版予定だった「相撲記者40年、思い出だすの記」草稿があった。大相撲全盛の双葉山時代出版した「歴代横綱物語」が版を重ね、その姉妹本として出すことになっていたが、戦争による出版j事情の悪化から”お蔵””に入ったままになっていた。父はこの本に力をいれていたようようで、巻頭には明治天皇の御製の「なすこともなく終らばよに長くよわをたもつかいはななからん」を用意していた。

父は学生時代ボートや水泳の選手だったこともあって明治から昭和にかけての新聞記者時代、運動部が多かったが、大相撲は明治42年、両国に常設のの国技館ができる前、回向院の境内で小屋掛け興行をしていた時代から取材している。それから昭和14年1月場所で、双葉山が69勝で負けるまでの40年年間である。

父の草稿を読んで面白かったのは、父が後年、相撲記者を商売にした理由として、明治25年1月、8歳の時父親に連れられて見た回向院場所の大達と鞆の平の水入りの大相撲をあげていることだ。父は相撲場所の雰囲気が大すきで気にいったらしく、回向院界隈についてい克明に書いている。回向院場所といえば、今や錦絵の世界である。相撲記者として専門家の立場の記述は少ないのではいだろうか。時間を見てデジタル化の方法を考えてみたい。


父の生誕136年(2) 鉄道馬車

2020-05-17 06:11:59 | 2012・1・1

明治17年5月16日生れの父は、昭和5年、47歳の時書いた自分史の中で子供だっ明治の中頃を回顧して雑文を残しているがその第2編。戦前は人生50と言われていた。47歳の父もそろそろ自分史をと思ったのかもしれないが、父は実際には戦後43年まで存命した。

「私が少年時代であった明治20年代の東京の交通機関は鉄道馬車と人力車であった。”汽笛一声新橋の”横濱とを結ぶ鉄道は開通していたが、新橋が東京の玄関口であった。その新橋を起点に、京橋、日本橋、万世橋、上野、浅草と一条の線路の上を馬車が走っていた。そのほか、下町の本所菊川町から九段下まで、豆腐屋のラッパを吹きながら走る円太郎と呼ばれていた乗り合い馬車もあった。

上野広小路など繁華街の辻々には客待ちの人力車がおり、わが家でも急ぎの場合には妹の幼稚園通いに使ったりした。まだ東京には江戸の名残の水路もあった。神田川の飯田橋が乗り場で“早舟”と呼ばれていたが、客が集まらないと出船しないので”遅舩”と悪口されていた。

電車を初めて見たのは明治24年、上野で開かれた内国博覧会,小学校2年の時であったが、実際に東京で乗ったのは明治30年代になってから、品川から浅草までの路面電車(市電)ができたのは明治44年。市内に自動車をみかけるようになったのも明治末から大正の初めにかけての頃だ。


父の生誕136年 明治中葉の東京(1)

2020-05-16 09:37:34 | 2012・1・1

5月16日は、昔風、大げさな表現を使えば父(1884年ー1967年)の生誕136年である。身内のことよくいうのはおかしいが父は明治生れらしく几帳面で、毎年日記を書いており、晩年には自分史まで書き残している。(未刊)そのおかげで、令和の御代になっても、こうして僕はブログに昔のことを書かせて貰っている。生誕136年を祝して父が90年前の昭和5年自分史の一遍として書いた「明治の中葉の東京」を二回にわたって紹介する。

私が少年時代の東京(下谷区竹町)はまだまだ江戸の俤が残っていた。町並みは幕府時代そのままの八幡の藪知らず然として曲がりくねった道ばかり。今でこそ寸尺の空き地とてない日本橋、神田あたりでさえ”牢屋の原”(今の小伝馬町十思公園)とか秋葉原とか三崎原があった。私の生まれた竹町の当たりには佐竹原があり、物心ついたころには、見世小屋や寄席に変わっていた。私が生れた頃にはまだタヌキが住んでおり、家の井戸の中にフクロウがとびこんできたこともあったという。

その頃、下谷のわが家の周辺には加賀の盲屋敷、加藤(伊予藩)の北屋敷など武家屋敷が散在として残っており広い敷地を占拠していた。市中の家は瓦葺きもあったが、大半は柿(こけら)葺きだが、たまには藁葺きもあった。西洋館は築地の居留地が始まりであとは銀座の一角ぐらいにしかなかった。それも木造の平屋建てか二階建てで今のような高層なビルなどなかった。

三越、白木屋、松坂屋といった日本橋の百貨店も当時は薄暗い土蔵造りで、店先には紺色や柿色の暖簾が下がり、番頭さんが獅噛火鉢(令和の人間にはわからない)を抱え、お客と商談していた。本町、横山町の問屋街は土蔵造りであった。

 


緊急事態宣言の解除が待ち遠しい要介護老人

2020-05-15 07:07:40 | 2012・1・1

緊急事態宣言が解除されなかった昨日、世話になっている東京の通園介護老人リハビリ施設から電話があった。施設は4月7日の緊急事態宣言出た直後から自発的に休業している。電話は担当の看護師さんからで体調とご機嫌伺いで、多分6月からサービスが再開できるという通知あであった。

コロナウィルススの流行がまだ東京では初期の2月下旬、僕は政府の”三密"回避呼びかけにこたえて自分からリハビリ通園を3回やめた。しかし、3月に入って情勢が回復した気配がみえたので再開を決めた。リハビリを休むと体調に悪いからだ。今回,、施設、の自で5週間やすまざるを得なかったが覿面である。施設でのリハビリは週1回、たいした量ではないのだが違う。

5週間の休みで僕の身体のアチコチにガタがきて、7年前人工置換した膝までおかしくなってきた。足腰が弱ると気分的にも参ってくる。緊急事態宣言の解除が要介護老人にも待ち遠しい。

 


"何度も申請できちまう”オンラインによる10万円特別給付金?

2020-05-14 06:55:16 | 2012・1・1

緊急事態宣言が14日、期限の31日を待たず39県が前倒しで解除される。東京、大阪など8都道府県はひき続き継続されるが、まずはもってご同慶の至りだ。関係者の努力と国民の一致した協力である。ところが今朝の朝日新聞デジタル版を見て気になった。”何度でも申請できちまうというこの記事によると今全国各地の市町村で受付が始まったコロナウィルスによる不況に対する国民一律10万円の特別給付金をめぐって政府が勧めるオンライン手続によると窓口が混乱、何度も申請できてしまうというのだ。

この特別給付金は一度閣議決定までみた来年度補正予算を急遽組み換えして成立したものだ。理由は2008年のリーマン不況の際の国民への支給金が、複雑だったため支給が遅れ、09年にずれ込んだ失敗の反省であった。朝日デジタルの報道が正しければ重大事である。オンライン.システムを再検討しなければならない。場合によっては制度全体も見直さなければならない。支給が遅れるのは必至である。さきの国民へのマスク遅配と言い、どこか政府機能のタガが緩んでいる。

緊急事態宣言のの一部地域の緩EU和で心配なのは国民の気のゆるみだ。世界の傾向を見ると、ウィルス感染は一度おさまったかに見えても第二波、第三波がやってきている。油断大敵である。拙速では困る。


丸投げされたら困る 日本丸の舵取り

2020-05-13 09:07:22 | 2012・1・1

産経新聞(13日付首都圏版1面トップ記事)によると、コロナウィルスの感染拡大は抑制されてきた印象を受ける。緊急事態宣言が出てから5週間経つが、23県ではこの1週間新規感染者ゼロの日が続き、東京、大阪など先行7都府県では死者の数が3月以降減少に転じてきた。僕の住む東京でも昨日の新規感染者は28人で社会面の記事の見出しにもなっていない。

毎週水曜日朝の楽しみの一つは新聞広告で、その週の新しい週刊誌の見出しを見ることだ。今週号の「週刊新潮]は大きな見出しで”尾身茂(専門家会議)に社会の命運を丸投げされた日本の悲喜劇”とあった。読んでもいないんのに批判もないが書こうとし事前にてていることはわどかる。尾身先生は専門家会議の議長という損な役回りだが、専門以外のことまで発言しているような印象をうける。それとも、安倍総理が事あるごとに”専門家会議に諮ったうえで””といっているからかもしれない。

5月31日までの緊急事態宣言を前に事態の好転を配慮して事前に一部地域の宣言解除の動きが出てきている。大阪などもそれを望んでいるようだ。この決断は専門家会議の意見ではない。ひとえに安倍総理の決断だ、安倍内閣の機能が少しおかしくなってきてる。総理じきじきの国民への約束マスクのプレゼントもまだが家には届いていない。国民全員への10万円給付金は大丈夫だろうか。他人への丸投げでは日本丸は沈没してしまう。

 

 

 


渋沢栄一と同郷、同時代を生きた代官手代、祖父の生きざま

2020-05-12 07:29:42 | 2012・1・1

深谷市(埼玉県)郷土文化会発行の機関誌最新号(令和2年3月)「故園」に法政大学大学院教授、関口浩氏(財政学)が、小ブロも紹介したことがある(令和2年2月25日更新)祖父忠義(1831年ー98年)の幕末から明治初めにかけての生きざまを「幕末に最初に写真撮影した深谷人―もう一人の澁澤栄一」という玉稿でサムライ姿の祖父について紹介して頂いている。

数代前先祖を一にする関口教授と同じく家系の研究家、加藤通義氏の最近の調査で、不明だった祖父の足跡が次第に判明してきた。祖父は天保2年、現在の深谷市藤野木の豪族矢井家の血を引く旧家の生まれであったが、14歳の時,,土地の代官林部善衛門の家臣の養子となり、林部宇氏死後は佐々木道太郎代官の家臣手代となり、岩鼻(群馬)谷村(山梨)長部(千葉)などに足跡を残している。とくに長部では農政学者大原幽学の検死にもたちあったりしている。大政奉還は徳川幕臣にとって一大事であったが、祖父は維新後は明治政府の廃藩置県の仕事に携わり、小菅(東京.千葉)仙台(宮城)登米(岩手)各地に足跡を残し、そのあと大蔵省に奉職、最後は東京府で退職いているが、仕事は一貫して租税に関するものであったA

祖父と同じ現在の深谷市まれでほぼ同じ幕末から明治の時代に活躍した澁沢栄一(祖父より9歳下)が来年度のNhkの大河ドラマの主人公に決まったり、新しく発行される1万円札の肖像1に決定されたり、ブームである。祖父も澁沢栄一も同じ幕臣の出で、大蔵省に奉職したことがある。とくに富岡製糸場建設に尽力した澁沢栄一は製糸場レンガ造りの土を祖父の出生の地、藤野木のから運び使用している。富岡だけでも祖父とどこかに接点があるに違いない。大河ドラマには多分出てこないだろうが、人の一生はそれぞれドラマがあって面白い。