「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

         現代版 ”姨捨(おばすて)山”

2009-03-21 05:55:33 | Weblog
群馬県渋川市の老人施設「静養ホームたまゆら」で起きた火災は、まさに現代版
姨捨山だ。亡くなった9人の方を含め収容者15人は、東京・墨田区から紹介の生活
保護受給者だという。東京では正規の老人施設が足りないため、生活保護の老人
は住民登録をそのままにして、渋川のような無届施設を紹介していたようだ。その
数は東京都の調べで500人以上に上っている。

小ブログ(2007年2月23日)は千葉県浦安市で無届老人施設で収容者をベッドに縛
ったり、手錠などの虐待行為をしていたことを書いた。当時、僕は老人福祉について
はあまり知識がなかったが”安かろう悪かろう”の無届施設が老人いじめにならなけ
れば、と結んでいる。

老人いじめどころではない。渋川市の施設では、老人ホームなのにスプリンクラーな
どの防火設備もなく、一部の報道では徘徊老人防止に居住棟に施錠していたという。
歩行困難の車イス生活の収容者がいながら夜間勤務の職員が1人というのも無茶で
ある。これでは、姥捨山同然である。

全国には、渋川のような無届高齢者施設が600いくつかある(毎日新聞)みたいだ。正
式に役所に届けると施設設備に規制があり、カネがかかるので届けないらしい。
終戦直後の昭和21年2月、横浜市戸塚のキリスト教の老人施設で火災があり、100人
近い収容者が焼死した。旧海軍の木造二階建ての老朽した施設だった。あれから60
余年の歳月が経っている。

施設の84歳の理事長が謝罪していたが、その姿も痛ましい。国の福祉政策がこのような
高齢の老人に頼らざるをえないのは悲劇である。

        サイタ サイタ サクラ ガ サイタ

2009-03-20 06:42:32 | Weblog
昨日、僕の住んでいる町の小学校の校庭の桜が早くも咲き始めた。東京の開花予定は
21日なのだが、このところの暖かさで一気に開花した。全国的にここ10数年桜の開花
は早まっているが、僕の記憶ではお彼岸の中日前に花が咲いたのは、あまりない。春
の到来が早いのは年寄りには歓迎だが、喜んでよいのかどうかー。

「サイタ サイタ サクラ ガ サイタ」で始まる国定小学国語読本巻一を教わった僕ら昭和
一ケタ前期生まれの世代にとって、学校と桜はひとしお想い出深い。戦前、小学校の入学
式は4月1日に固定していた。東京の桜は、早ければ、この日に、あるいは3日の神武天皇
祭に咲いたものだった。僕の記憶の中にも校門横の桜の古木と、教科書の挿絵の桜が強く
焼きついている。

昭和12年4月1日(木)の亡父の日記。「桜早くも咲く。今日こそ愛児の新生活の第一歩、小
学校へ入学する日だ。いつもは寝坊の彼も今朝は5時にパッチリ目を開けていた」と書いてあ
る。72年前の日記だが、僕もこの入学式の日のことを覚えている。

今年も72年前、桜の花の下の同じ校門をこぐった友が集まり、4月3日、同期会を想い出の地
で開くが、集まるのは僅か5人。空襲で母校は焼け、桜の木もない。都会の過疎現象で子供
がいなくなり、いまや母校は廃校となり名前さえ残っていない。こんなに早く桜が早く咲いてし
まうと、はたして4月3日まで花がもつかどうか心配だ。


          政治家と鬱病(うつびょう)

2009-03-19 06:06:44 | Weblog
僕ら後期高齢者は、鬱病にかかりやすいのかもしれない。長年、小学校の同期会
の幹事をしていた世話好きの男が昨年から鬱病になり、今年も出席できないと、奥
さんから連絡があり、皆さんでどうぞと過分な寄付を頂いた。もう1人友人もここ数年
鬱病になり会合に顔をみせない。彼とは60歳代には一緒に二度も海外旅行に行っ
た仲だったのだが。

先日、自民党の笹川尭総務会長が”政治家は気が強いから鬱病にかからない”と言
っていたが、僕の友人二人は政治家ではない。笹川会長は同時に”学校の先生は、
(気が弱く)鬱病で一杯”と言っていたが、二人は教員でもない。失言癖の笹川会長
だが、政治家の鬱病に対する認識なんてこんなものか、と驚いた。

鬱病は気が強いとか弱いとかいったみかけの問題ではない。僕の友人二人は、どちら
かといえば気の強い性格だ。共通点を探すとすれば、完ぺき主義で、ちゃらんぽらんな
ことが嫌いだ。いわゆる真面目な人である。

笹川会長に反論するが、政治家に鬱病がいないというが、ここ数年間に二人の総理が
辞任しているが、辞任前後の二人の症状は”鬱”のように僕にはみられた。政治家全員
が鬱病にかからないのではない。政治家には比較的、言葉は悪いがいい加減な性格な
人が多いからだ、と僕は思う。多額な政治献金を受けながら、どこから貰ったか判らない
ような性格だ。こういう性格だから鬱病にはならない。笹川先生のような失言癖の人は多
分鬱にはならない。



          フィリッピンの戦争映画

2009-03-18 06:44:11 | Weblog
フィリッピン・ルソン島の南シナ海に面した地にビガンという世界遺産の町がある。
16世紀のスペイン統治時代の街並みが保存されている港町だ。戦争末期、ビガン
も米軍の再上陸により戦火の危険にさらされたが、日本軍守備隊長により救済さ
れた、という話が現地に伝えられている。今、フィリッピンでは、この話の映画化が
進行中だという。

大東亜戦争下、日本軍に占領された東南アジアの地域では、これまで戦争を描
いた映画では、日本軍は残虐、極悪非道の”悪玉”が多かった。僕も10年ほど前
アムステルダムの開催中の戦争展で、日本軍の将校がインドネシア女性を次々と
暴行する荒唐無稽な映画をみて驚いた。

戦争が終わって、60余年、フィリッピンでは、このビガンの話のほかにも戦争中の
日本軍兵士と現地人との音楽を通じての交流を描いた映画が公開されたという。従
来はありえなかったことだ。

戦争は狂気の時代の産物である。たしかに日本軍による残虐行為もあった。が、一
方ではビガンのような話も実際にあった。インドネシアのセレベス島では、不時着した
日本軍の偵察機を住民が総出で直し、パイロットは無事基地に戻れる事ができた。
数年前、このパイロットは60年ぶりに現地を訪れ、助けてくれた住民に100万円相当の
電気施設を寄贈した。マスコミは報道しないが、映画の材料にはよい話だ。

2001年、日本でインドネシア独立をテーマに日本の歴史観にたった映画を作ったが、
インドネシア人の感情をさかなでする部分が多く失敗した。ビガンを舞台にした映画が
日本で公開されたら是非みてみたいものだ。

        「手打ちソバ」は「手打ちソバ」

2009-03-17 06:26:44 | Weblog
「手打ちソバ」が作るのも食べるのもブームとなって久しい。サリーマンが退職後
やってみたいものの一つに「ソバ打ち」があるという。僕の住んでいる町の老人講
習会の人気コースの一つも「ソバ打ち」だそうだ。手先が不器用な僕は参加したこ
とはないが。食べる方には関心がある。

サラリーマンとしての出発地が善光寺のある長野市で、そのごの転勤地も東北の
郡山、北海道の札幌とソバに比較的縁のある地を歩いてきただけに,味にはうるさ
く、見識を持っている。その一つは値段である。どんなにおいしくても、値段が高く
ては「ソバ屋」ではない。ソバは昔、東京では職人の食べ物で、安いので人気があ
つた。

先日、確定申告作成の労をねぎらって老妻と近くの「手打ちソバ」屋へ行った。店構
えは立派で、店内での手打ち”実験”が売り物になっている。雰囲気はよいのだが、
品書きを見ると、僕が注文した一番安い「盛り」が800円、老妻の「天麩羅せいろ」は
1600円である。出てきた「盛り」は、ソバがうっすらと盛られているだけ。天麩羅は、
小さな海老が一本に、しし唐が一つだけだ。

どうも、この店は量が少ないのを上品だと誤解しているようだ。ソバの前にビールを注文
したら突き出しに、豆もやしのナムルが少量出てきた。「手打ちソバ」の突き出しにナム
ルは、どんなものか。やはり、ソバは素朴な味であって、量も職人の小腹をみたすほど
はなくては!











         総理の前では帽子を脱いで!

2009-03-16 06:30:23 | Weblog
昨日の午後、NHKテレビで「総理にきく」という番組を放送していた。新聞のTV欄
を見ると聞き手が「テリー伊藤」とある。「テリー伊藤」、老人にはあまりききなれな
い名前なのでチャンネルをまわすと、あの変な帽子をいつもかぶっているタレントで
ある。

NHKは、何度も言っているように公共放送である。”皆様の聴取料”の局なのである。
「総理にきく」といった国のPR番組にこういったタレントを起用するのは、それこそ”い
かなるものか”である。発言内容もさることながらあの帽子である。道学者的かもしれ
ないが、総理に対し失礼だけではでなく、茶の間の視聴者にも見苦しい。

昨年の事だ。卒業した旧制中学の同窓会の式典の会場で、僕の同期の友人二人が
"ハゲ隠し”のため帽子をかぶっていたら、元検事長の大先輩から、帽子をとれと強く
叱れた。大正生まれから僕らの世代にかけては、服装について厳しいケジメがある。

少数派でも国を代表する総理の前で、帽子をかぶったまま出演するタレントに不快感
を抱く世代がまだ残っている。お笑い番組ではない。NHKは出演者の選択にはもっと
配慮すべきである。大相撲の番組の仮面をかぶったタレントもそうである。調べたわけ
ではないが、昔から認知されている女性の一部の帽子以外、男性が公的な場で帽子
をかぶったままなのは国際的にはエチケット違反である。

        大人のイタヅラ、子供のイタヅラ

2009-03-15 05:04:57 | Weblog
東京の港区でマンションの11階のベランダから30㍍下の路上を歩く親子に数10リットル
の水をブチまけたとして二人の男が暴行容疑で逮捕された。マンションンに住む24歳の
男と25歳のその友人で、風呂場に貯めた水を大型バケツで二人してベランダまで運んで
持ち上げ、通行人めがけて撒いていたのだという。”悪ふざけがすぎた”と反省している
そうだが、何とも馬鹿馬鹿しく迷惑な話だ。

この記事を新聞で読んで、僕は70年近く前の子供だった時のイタヅラを想い出した。わが
家の二階の物干し場をかねたベランダから悪友と一緒に、釣り糸の先に財布を結び、隠れ
て通行人を見守っていた。通行人が財布を拾うと、さあっと糸を引き上げるのだ。このイタヅ
ラに怒った大人がいて怖くなった想い出だ。

ベランダからバケツで水を撒く青年に比べれば、70年前の少年だった僕らのほうがはるかに
知能犯だった。昔の子供たちは、ガキ大将を中心に遊びなれていた。今から見れば警察沙汰
になるような悪い事もしたが、どこか一線は守っていた気がする。これに反して今の子供たち
は遊ぶことといえばゲームだとかケータイのようだ。ガキ大将もいない。

マンションの水撒き青年の歳には、僕はすでに結婚している。いかにも幼稚すぎるイタヅラだ。
昔ならとっくに卒業している少年期のイタヅラが抜けきれていないのだ。やはり、子供は遊ぶ
時には遊ばせ、イタヅラも大目に見るべきだ、「トムソーヤの冒険」の世界が必要である。



             政治家の仏頂面

2009-03-13 06:12:34 | Weblog
衆院任期まで半年を切ると、候補者だけの単独ポスターの掲示は禁止になるそうだ。
そして別の政治家などと一緒の政党用ポスターだけになるが、自民、民主党とも今回
は、決定的なこの"政党の顔”がなく困惑しているという。

自民党は立候補予定293人のうち麻生総理とのトゥーショット希望は僅かに41人、民
主党もここへきての小沢代表の政治資金問題で、一緒の写真を辞退する動きもでてき
たと新聞に書いてあった。

男は40歳をすぎれば、自分の顔に責任を持てとよく聞くが、申し訳ないが最近の政治
家の顔には「仏頂面」が多い。広辞苑によると「仏頂面」とは仏頂尊の恐ろしい相に
たとえた語で無愛想、ふくれづらである。最近、西松建設からの政治資金問題でテレ
ビ画面への露出度が高い二人の政治家のあの顔である。

麻生総理もデビュー当時はさかんに愛嬌をふりまいていたが、さすがに、これだけマス
コミにたたかれたためか、議会での顔は「仏頂面」になってきた。これでは自民党の候補
予定者もトゥーショットを辞退するかも。政治家がいつもヘラヘラしているのも困るが、ふく
れ面でも困る。口ベタと仏頂面とは違う。仏頂面が総理になって、いつもテレビの画面で
仏頂面にお目にかかるのでは、国民は陰鬱になる。麻生総理も忙中でも、時には漫画の
主人公とまではいかないまでも笑みを忘れないで下さい。お願いします。

           「イムジン河」の清き流れ

2009-03-12 06:38:38 | Weblog
拉致被害者の田口八重子さんから日本語を学んだ大韓国航空爆破事件の実行犯、金
賢姫・元死刑囚と田口さんの長男,飯塚耕一郎さんと実兄繁雄さんととの面会をテレビ
でみた。田口さんが拉致されてからすでに32年、金賢姫・元死刑囚と生活を共にしてい
た時からでも20余年の歳月が流れている。それなのに解決の糸口もみえない。改めて
「北」の非人道さに怒りを感じる。

たまたまと思うが、きのう釜山での会見のあった日の夜、NHKラジオの「音楽熱中倶楽部」
(21:30)から北朝鮮の歌「イムジン河」が流れてきた。1967年、フォーククルセーダーが歌
い、レコード化寸前,南北の政治的理由から発売中止になった。「イムジン河」は南北朝鮮
半島の軍事国境線を流れる河だが、歌詞の一部に「北」を賛歌する部分があるということだ
った。

1950年代から70年代にかけて北朝鮮は社会主義を謳歌する「千里馬」の最中で、日本から
も「北」の地上の楽園を信じて在日朝鮮人やその日本人妻が続々帰国していった。この運動
を絶賛していた日本の進歩的文化人が多かった。僕の知人の日教組の幹部もわざわざ視察
に出かけた。

昭和26年生まれの竹中平蔵氏の愛唱歌は「イムジン河」だそうだ。団塊世代にとっては青春
時代の忘れられない歌なのであろう。ちょうどべ平連運動と重なって、この歌には反戦歌的な
意味合いもあった。「北」の拉致が始まったのは、日本で「イムジン河」の歌が若者の間で歌わ
れてまもなくである。歴史の表裏を「イムジン河」から感じる。

           外国人への生活保護

2009-03-11 06:16:55 | Weblog
急速な景気の悪化で全国的に生活保護申請が増えている。1月の保護世帯は116万
世帯を超え、昨年12月に比べ8700世帯も増加したという。これは過去で最も多い。そ
れだけ経済情勢がきびしく、そのしわ寄せが"弱者”にきているわけだが、注目される
のは外国人からの申請も増えているとのことだ。

僕は生活保護というのは、日本国籍の世帯だけだと思っていた。ところが、もう10年も
前のことだが、知り合いの戦後スマトラに残留し、インドネシア国籍をとった元日本兵が
事情があって日本に帰ったが、困窮で生活保護を受けているという話を聞いた。その時
僕は日本という国は本当にやさしい国だと思った。

生活保護を受けている外国人が全国に何人いるのか知らない。またどのような基準で与
えているのかも知らない。また全国的な統一基準があるのかも知らない。僕は外国人の
生活保護申請が増えていると聞き、今、問題になっているフィリッピン人一家の不法滞在
を想起した。

もちろん僕は人道的には一家に同情しているが、法は法である。退去処分に従わない者に
対して、仮放免の期限を小刻みに延ばしているのは、かえって一家に対して不幸である。
問題は、一家の15年間にわたる不法滞在を大目にみてきたことである。

生活保護の問題もそうだ。外国人への安易な同情から基準のないまま与えれば、外国人
自身も不幸だし、わが国のためにもよくない。日本国内には自国の国民を保護すための大
使館や総領事館がある。若干、事情が違うが変な同情は禁物である。