「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

         「陸軍記念日」 日露戦争

2009-03-10 06:58:59 | Weblog
昭和20年3月10日の東京大空襲からすでに64年の歳月が流れたが、今でもあの
夜空の業火が僕の目に焼きついている。が、一方では3月10日が「陸軍記念日」
だったことも軍国少年の僕の記憶の中にある。"今に大きくなったなら、皆が大将
になる”ことを夢見ていた時代だった。

「陸軍記念日」は、すでに遠くなった明治38年、日本陸軍が奉天(現在の瀋陽)の
戦いでロシア軍を激戦の末破り、占領した日を記念した日であり、日本海の海戦
でロシアのバルチック艦隊を撃破した5月28日の「海軍記念日」とともに当時の日
本人なら誰でも知っていた。しかし、現在、どれだけの日本人がこの日のことを知
っいるだろうかー。

僕の住んでいる町が、まだ東京府荏原郡の村であった時代の村社に「日露戦役記
念碑」が残っている。乃木稀典司令官の揮毫で裏面には村出身の戦死者6人と従
軍した兵士32人の名前が刻まれている。明治40年の建立だから、すでに百年以上
経過している。こういった慰霊碑や忠魂碑は隣町の神社の境内にもある。多分、当
時の日本人の心の中に戦死者の霊を痛み、従軍の労を慰める心があったのであろう。
全国各地に同じような碑が残っている。

昨日の新聞で戦後ソ連(ロシア)に抑留されて亡くなり、未だに遺骨の行方がわから
ない2万体の遺骨調査に係官が向かったと、小さく報じていた。南方各地にも収集さ
れない遺骨が何万体も残されている。日露戦争当時の日本人と今の日本人との間に
なにか心の変化が起きてしまった。

          お爺さんの誕生パーテイ

2009-03-09 06:17:14 | Weblog
地域の老人会の誕生パーテイに昨日、初めて顔を出してみた。12月と1月ー3月
生まれのお年寄り(60歳以上)のお誕生パーテイだが、約40人の参加者のうち
お爺さんは、僕を含めて4人だけ。残りはすべてお婆さんだ。綾小路きみまろ流に
いえば、40年前だったら僕ら男性はもてもてだったかもしれないが。

開会の辞のお婆さんは90歳、閉会の挨拶も83歳のこれまたお婆さん。二人とも
きちんと和服に身をつつみ、しゃきっと腰が伸びている、これに反しておじいさんと
言えば、正座もできず壁側で座いすのお世話になっている始末だ。

年会費1500円を支払えば、誰でも老人会主催のカラオケ,童謡、フラダンス、民謡
日本舞踊などの習い事に参加できるのだが、都会の場合、ほとんんどのお爺さんは
サラリーマンの出身で、地域社会にはなじみがない。それに男は「老人会」の名前に
抵抗があるのかもしれない。

誕生パーテイは、女性のリードで催された。アルコールはご法度。男性参加者は壁
に背をもたげ、塩せんべいをぼりぼりさせながらお茶を飲んで見事な衣装のお婆ちゃ
んのフラダンスを鑑賞した。誰が用意したのか綾小路きみまろのビデオが上映された
が、この高齢者をネタにしたギャグが僕にはわからず、しらけた気分になった。

もう一つしらけたのは、区から若い女性が振り込め詐欺防止の説明に来たが、WEBな
どといったIT用語が多く、お年寄りには理解できなかった。詐欺被害が多く、その防止
のための行政の親切心はわかるのだがー。老人心理がわからなくては。

        "侍ジャパン”のコールド勝ち

2009-03-08 07:31:25 | Weblog
野球のWBC韓国戦での7回、14-2というコールド勝ちは、このところ、もやもや
していた日本人の気持ちを明るくさせた。宿敵、韓国、さきの北京五輪での惨敗
もあっただけに、なにか溜飲をさげた気持ちさえした。

テレビ観戦で感じたことは、選手1人1人の試合に対する取り組み方が、申し訳な
いが、五輪の時とは違っていた。イチロー、松坂はじめ大リーグの衿持もあったの
かも知れない。それより、時々写されるベンチの雰囲気がよかった。特に原監督の
落ち着いた態度が、侍ジャパンの大将ぶりを彷彿させた。

テレビ放映も韓国戦を意識して、画面も解説者も感情的でなくよかったが”侍放送”
らしくなかったのは、1カットだったが、敗戦の将、星野前監督が1人で観戦する姿を
写したことだ。何の意味があるのかわからない。侍は情けをしらなければならない。

たかが野球での勝利だが、百年に一度だという不景気、西松建設の政治献金にか
らむ与野党政治家のなじりあい、それよりも、国民不在の国会審議、たしかに国民
は、閉塞状態にある。何が原因しているのだろうかー。僕は原”侍ジャパン”の戦い
ぶりにそのヒントを得た。それは若さくる溌剌さと物事に取り組む真摯さだ。悪いけれ
ども今のロートルの政治家にはそれが感じられない。

       マカ不思議 政治家のパーテイ券

2009-03-07 07:07:36 | Weblog
西松建設の違法献金をめぐって昨日の参院予算委員会で、共産、社民両党が二階
経産相のパーテイ券購入問題を追及していた。二階氏は西松建設から過去に838万
円ものパーテイ券を購入していた。野党二党は、これは小沢民主党代表と同じケース
ではないかと追及したが、二階氏は"知らぬ存ぜぬ”で白を切っていた。

政治家のパーテイ券とは何なのか僕は買ったことがないので知らない、聞くところによ
れば、ホテルなどでパーテイを開催し、"合法的"に政治資金集める催しだそうだ。もう
相当前から、パーテイ券の購入が違法献金の"隠れみの”ではないかと指摘されてきて
いるがいっこうになくならない。よほど政治家にとってうまみがあるものだろう。

新聞に西松建設関係の政治団体からパーテイ券を購入していた与野党の大物政治家
や団体、県知事の名前が載っていた。森喜朗・元首相や民主党の山岡賢次氏など”うるさ
おうな”議員の名前がある。岩手県の民主党県連も900万円購入しており、西松側の献
金の意図、流れがみえてくる。

たまたまだが、岩手県の達増知事が議会で土下座している画面をテレビで見た。小沢代
表の”秘蔵っ子”といわれる知事だけに親分の”不祥事”に対していち早く謝罪したのかと
誤解した。が、実際は県の原案を通すためのパーフォーマンスだった。みっともない。男は
やたらと土下座などするべきではない。土下座するなら西松建設と民主党県連とのパーテ
イ券購入の疑惑ならまだわかるが。




        塩谷文科大臣 予習ぐらいは!

2009-03-06 09:34:28 | Weblog
NHKテレビの「参議院予算委員会質疑}の国会中継が面白い。僕らみたいなよほ
ど時間をもてあましている老人しかみれないが、演出のないナマ放送だからその
意味では、WBCの野球中継と同じだ、何が起きるかわからない。

それだから面白いのだ。昨日、民主党の森ゆうこ議員が教育行政につぃて質問し
たが、答弁にたった塩谷立・文科相は答えられず議場で立往生していた。森議員
によれば、質問内容は事前に提出されていたものだという。どうも塩谷大臣が"予習”
してこなかったらしい。これでは森議員の言うように"時間の浪費であり、緊張感に
かけている。

小沢民主党代表の秘書(会計責任者)の逮捕をめぐって僕ら政治の素人にとっては
信じられないような巨額の"政治献金"が、新聞紙上に大きな活字となって踊って
いる。率直な疑問としてなぜ政治にこんなにカネがかるのか。

テレビの国会中継は視聴率は低いかもしれないが、公開放送である。塩谷文科相の
答弁の”ザマ”をみて、本当になさけなかった。役人の怠慢なのか大臣が見落としたの
かしらないが、みっともない。政治資金は、僕らの税金からも出ている。総理の批判を
する前に自分の身をまず正すべきである。



      定額給付金 5月以降に支給されても

2009-03-05 06:21:10 | Weblog
定額給付金の支給がやっと決まった。民主党によれば70%の国民が定額給付金に
反対だったが、いざ支給が決まると80%が受け取るという。当然な人間感情である。
僕ら老夫婦も喜んで計4万円の給付金を待っている。ところが、わが住む東京の区は
"手続きが間に合わない”との理由で5月以降の支給だという。まったく水をさされた
気持ちだ。

僕らの住む区は、さきの「後期高齢者医療」制度の実施も"事務手続が間に合わない”
を理由に他所に比べて半月遅れのスタートで、後期高齢者を悩ませた。今度も同じな
のである。全国の市町村区の8割が4月スタートなのに、なぜこの区だけが5月以降な
のか。よほどこの区の機構が煩雑なのか、あるいは役人が怠け者なのかー。

ゲスの勘繰りかもしれないが、区長が元民主党都議で実姉も民主党区議なのである。
現在は無所属を表明しているが、支持する中央政党の政策で"事務が煩雑”になって
いているのではないかー。

定額交付金支給の経済効果について、この区は"消費にまわれば”と条件つきで”ある”
と新聞社のアンケートに答えているが、消費しないで、何にするのか。何事もタイミング
というものがある。3月、4月は新学期で”ものいり”の季節である。5月以降に貰っても区
民は喜ばないし、効果も薄らぐ。

今年は桜の開花が早く、僕ら老人恒例のお花見をかねた同期会も早まった。この時期に
支給されれば喜びも一入(ひとしお)だと思うのだがー。


          小沢一郎代表の白マスク

2009-03-04 06:43:44 | Weblog
民主党の小沢一郎代表の公設秘書が西松建設への政治献金にからむ疑惑で逮捕
された。東京地検の今後の捜査の進展次第では小沢代表の進退にも影響してくるか
もしれない。政界は一寸先は闇だと、よくいわれるが、まさにその通りだ。真相はどう
なのか明らかにして欲しいが、気になったのはテレビに映った小沢代表の白マスク姿
である。

花粉症なのかインフルエンザなのか知らないが、小沢代表の白マスク姿は何か起きた
時の常套なのだろうかー。よく見る映像である。数日前、NHKラジオの深夜便を聞いて
いたらオランダからの女性の報告でオランダでは、白マスクは異様な姿に映るのだそう
だ。何か顔に傷があったり、自分の顔を隠す装束にみえるらしい。僕も昔、東京で中東
から来た技術研修員に、なぜ男がマスクで顔を隠すのか聞かれた事がある。

民主党執行部は"国策捜査”だといっており、小沢代表も"問題はない”としている。しかし
野党第一党の代表であり、世論調査では次の首相候補にふさわしい一位の人だ。きちん
とした釈明をしてもらいたい。

それにしても、公的な場でのあの白マスク姿は頂けない。中川元大臣の酔っ払った記者
会見が外国のメデイアの前に曝されたが、小沢代表の白マスク姿も疑惑を呼ぶに違いない。
失礼だが、外交"音痴”、国際感覚に疎そうな代表だ。誰かおつきがきちんと注意してやった
ほうがよい。もっとも鼻水をたらした図もあまりさまにならないがー。


           ”がんばろう! ニッポン”

2009-03-03 06:46:15 | Weblog
朝刊だけの新聞から夕刊セットの新聞に購読を切り替えた。発行部数の違いからか
折り込み広告のチラシの量がダンチだ。喜んだのは老妻である。朝から新聞より先
にスーパーの値段比較だ。卵1パックの値段が10円違ったって、僕にはたいしたこと
はないが、主婦にとっては大問題なのだ。

消費者物価指数(CPI)の上昇率がついに0%となり、東京のデパートの2月の売上げは
軒並み前月比2ケタの落ち込みだそうだ。新聞が伝える経済指数はすべて暗いものば
かり。困るのはデフレ傾向が出てきたことだ。スーパーは野菜を目玉にして安売りに懸
命だが、客足はそれほどでもない。

そんな中で"がんばろう!ニッポン”という一風変わったチラシを見つけた。"宴会で皆で
食べて語ってニッポンを元気にしよう”という駅前の飲屋さんの広告である。”春爛漫コ
ースで飲み放題が3500円だという。のん兵衛には安そうだが、後期高齢者の糖尿病予
備軍には!

でもキャッチフレーズが気に入った。麻生総理がやっと定額交付金について自分も受け取
る、といった。"ダサい”などといわないで最初から受け取り、それを呼び水にホテルのバー
だけでなく、駅前の飲み屋でもジャンジャン使ってもらえばよいのだ。

5日からWBC野球の一次予選が始まる。勝っても負けてもよい。大声上げて”がんばろう!
ニッポン”と不景気風を吹き飛ばそう。残念なのは定額交付金が間に合わなかったことだが。





       麻生 古賀 ”アラセブ”世代の政治家

2009-03-02 06:29:15 | Weblog
僕が嫌いなテレビ番組の一つに「サンデープロジェクト」がる。昨日たまたまスイッチ
を入れたら、司会者の田原総一郎が出演の古賀誠・自民党に対して”古賀さんのお
父さんさんは戦死されたのですね”とおべんちゃらを言っていた。番組のオブザーバ
ーの1人が今の政治家は戦争体験がないから,腹がすわっていない、といった発言に
対してのようだった。

この発言について古賀誠が自分と麻生総理は昭和15年生まれで、戦争を知っている
最後の世代だったと、いっていた。確かに二人とも戦前生まれだが、敗戦時5歳にす
ぎない。戦前の教育は受けていない。自民党の”実力者”には、二人と同じ”アラセブ”
世代、つまり70歳前後が多い。森喜朗(71)、山崎拓(72)、加藤紘一(69)青木幹雄(74)、
民主党の小沢一郎も68歳である。

後期高齢者世代の僕の偏見と独断でものを申すと”アラセブ”世代は、僕らと違って戦
前の教育を受けていない。戦後の民主教育の悪い影響を受けて育ってきた。共通して
いるのはイデオロギーは別にして口は達者だが、中味がないことだ。政治家ではないが
田原総一郎も先日亡くなった筑紫哲也もこの世代だ。

古賀誠は、お父さんが戦死されている関係で日本遺族会の会長をしている。その遺族会
が厚労省の委託で、信じられない、海外の戦没者慰霊碑の整理事業を行っている(昨年
9月13日小ブログ参照)僕ら多少でも戦争体験があれば、とても戦没者を偲んで戦友や
遺族が建てた慰霊碑を整理など出来ない。(敬称略)

         70年前の東京への望郷

2009-03-01 07:52:22 | Weblog
きのう遠縁の49日法要があり、生まれ故郷へでかけた。といっても、故郷は東京の
ビルの下。昔の名残はもう何も残っていない。僅かに昔JR山手線と貨物列車が走っ
ていた土手が残っているだけだ。土手の上を今も山手線は走っているが、冬には屋
根の上に雪を積んで走っていた貨物列車はもうない。

昭和10年代、僕はこの土手の上の踏み切りを渡って通学した。踏切番のおじさんが
いつも数人詰めていて、学童を安全に見守ってくれた。でも時には貨物列車が長い列
をつくり、この間僕らは"一台、二台、三台・・・”と数えながら通過を待った。戦争末期
にはこの線路の上を大勢の出征兵士を載せた列車が通っていった。僕らに手を振って
元気に戦地へ向かっていったが、そのまま戻らぬ若者も多かったのだろう。

納骨した墓地の上の高台に、むかし「建武神社」という、出来たばかりの神社があり当
時、人一倍、神がかっていた校長の命令で、僕らは神社の掃除を強制された。その神
社は戦後いつの間にか撤去されてしまった。その石垣の一部が残っているが、戦後生
まれの世代は、だれもそれが何の跡だか知らなかった。

法要のあった天台宗のお寺の境内には、1600年代に建造された石仏が二つ残っている。
徳川時代初期のものだ。400年の風雪戦火にも耐えて残ってきた。かたや「建武神社」は
僅か半世紀で破壊された。いかに今の時代の変遷が激しいか、望郷などといった生易し
いももではない。