「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

         (付録)わが大君に召されなば(5)ー(1)今沢栄三郎

2013-04-23 09:19:22 | Weblog
スラバヤから西部ニューギニアのパポに向け出発したのは昭和18年3月の初めだった。戦局不利の中で虎の子の巡洋艦を派遣してくれたことだけで途中、輸送船が撃沈されるようになっても、海軍の行為に感謝する気持ちで一杯であった。(中略)
アンボンで1日停泊した後、パポに到着した。その直後、航行中の垢を落としに水浴びしているところを敵機の来襲に見舞われた。その夜は暗闇に乗じて対岸のカソリというに退避した。パポの空襲を最小限に留めるため、第五師団の司令部はパポ飛行場に必要な防備部隊を残し、兵員の温存を図ったのである。その夜を皮切りに、パポ基地への爆撃下に私たちは息を潜める生活が始まった。この移動中、舟艇がパポを出航して1時間余り、河口の中州に座礁してしまった。満潮になるまで、いつ敵機の来襲を受けるかもしれぬ危険にさらされたものである。(中略)
昭和18年の夏の頃立ったと思う。パポ基地にしばしば飛来した敵機がミカン箱大の梱包を落としていった。宣伝ビラであったが、その一枚をそっと見せてもらった。「桐一葉」と題する墨絵の漫画であった。「桐一葉」を解するとは、相当の日本通によるものだナアト思った。その絵は桐の木の枝から落ちるひと葉に、ムッソリーニの似顔、ヒットラーの似顔、最後に東條英機首相の似顔を描いた葉が一枚、寂しく残っている図である。順々に落ちてゆく運命を風刺的に示していた。(中略)
第五師団がパオからカイマナ、そして豪州の北部のアラフラ海に浮かぶケイ諸島,タンニバル、アルー諸島の島々に部隊転出させた昭和19年夏期であった。私の部隊はケイ諸島のズラというに設置された。師団司令部のある同じケイズラ島の南端トアルで、ある日映画会があった。松竹映画の「加代とその妹」という作品であった。(中略)映画会が終わりに近くなった時、空襲警報が鳴り、私たちは防空壕へ蜘蛛の子を散らすように逃げ込んだ。敵機は爆弾を落とすだけ落とすと遠く海上へ去って行った。人員点呼で一人の死傷もないのを確かめ、20キロほど北方のズラへトラックで帰営した。(中略)

        民主党の個人のあげ足とり、女性いじめ作戦

2013-04-23 06:23:49 | Weblog
政策に行き詰まったのであろうかー。民主党は昔の万年野党時代に帰って、国会での個人攻撃、とくに女性議員に対する”いじめ”作戦に出てきたようだ。昨日もテレビで国会中継をひねもす見たが、参院予算委員会なのに予算とはあまり関係がない、個人攻撃的な質問が多く、見苦しかった。

その第一陣は石橋通宏議員で、厚労省政務官の丸川珠代氏を狙い撃ちし、丸川氏が日経新聞の人材派遣会社の全面広告に登場したことをとらえ不見識だと批判した。聞けば丸川氏は、政務官就任前の契約で問題はないのに、広告代はいくらかと、くだらない質問をしていた。

次いで林久美子議員は谷川弥一文科副大臣のいじめ問題の言動をとらえ、同副大臣が”いじめ防止には、武道家のような”怖い”先生を置くべきだ”と例示的にいったのを批判し、文科副大臣として不適当だと安倍総理に任命責任を迫っていた。これに対する安倍総理の”口下手な”自分より年齢が上の谷川副大臣をかばう答弁が良かった。

三番手は白真勲議員で、内閣府大臣政務官島尻安伊子政務官に矛先を向け、島尻氏が自分の選挙公報に自民党の政策と異なる意見を載せていたと批判した。そして、返す刀で稲田朋美大臣に対して、靖国神社参拝問題を斬りこ見、大臣に対して千鳥ヶ淵墓苑をいつ参拝したかと質問した。帰化して間もないから、白議員は知らないのである。靖国神社と千鳥ヶ淵墓苑とは根本的に違う。千鳥ヶ淵墓苑を靖国神社の代替施設とでも誤解しているのではないのだろうか。