前に小ブログに書いた20年来行きつけの床屋の主人がガンで亡くなった。ま
だ60歳代前半の若さである。日曜日がお通夜、敬老の日の月曜日が告別式
連休だが、東京では理髪店は月曜日が公休である。最後まで働き者らしい彼
の気の使い方だと感心した。僕と彼との関係はいっかいの客にすぎないが、8
年前僕がガンの手術で入院した時、わざわざ見舞に来ててくれている。心のや
さしい人であった。
東京の葬儀の形式も昔と変わってきた。父が死んだ昭和40年代初めまではお
通夜は自宅で文字通り近親者のみで行われた。告別式も自宅の場合が多かっ
たが、最近は両方とも葬儀施設で催される。また参列者も告別式よりお通夜の
方が多くなった。勤務の関係で昼間参列できないからであろう。
20年前、勤務していた北海道(札幌)で母を亡くした。葬儀はわが家には似つか
わしくないほど盛大であった。が、感心したのは、香典返しの慣習がいっさいない
ことであった。これは遺族にとって煩わしくない。開拓時代の慣習が定着したの
かもしれない。東京でも、次第に簡素化され、最近では告別式の席上、喪主の挨
拶状とともに渡すケースが多い。
最近、葬儀をせずに"故人を偲ぶ会””お別れの会”だけで済ます家庭も出てきた
という。考え方に相違はあるが、一生に一度、最後の機会になにも葬儀をせずに
この世とお別れするのは、どんなものだろう。葬儀の簡素化には賛成だが、儀式
なしの葬儀には反対である。亡くなったご先祖の霊は必ず墓場にいる。そう信じ
なくてはいけない。
だ60歳代前半の若さである。日曜日がお通夜、敬老の日の月曜日が告別式
連休だが、東京では理髪店は月曜日が公休である。最後まで働き者らしい彼
の気の使い方だと感心した。僕と彼との関係はいっかいの客にすぎないが、8
年前僕がガンの手術で入院した時、わざわざ見舞に来ててくれている。心のや
さしい人であった。
東京の葬儀の形式も昔と変わってきた。父が死んだ昭和40年代初めまではお
通夜は自宅で文字通り近親者のみで行われた。告別式も自宅の場合が多かっ
たが、最近は両方とも葬儀施設で催される。また参列者も告別式よりお通夜の
方が多くなった。勤務の関係で昼間参列できないからであろう。
20年前、勤務していた北海道(札幌)で母を亡くした。葬儀はわが家には似つか
わしくないほど盛大であった。が、感心したのは、香典返しの慣習がいっさいない
ことであった。これは遺族にとって煩わしくない。開拓時代の慣習が定着したの
かもしれない。東京でも、次第に簡素化され、最近では告別式の席上、喪主の挨
拶状とともに渡すケースが多い。
最近、葬儀をせずに"故人を偲ぶ会””お別れの会”だけで済ます家庭も出てきた
という。考え方に相違はあるが、一生に一度、最後の機会になにも葬儀をせずに
この世とお別れするのは、どんなものだろう。葬儀の簡素化には賛成だが、儀式
なしの葬儀には反対である。亡くなったご先祖の霊は必ず墓場にいる。そう信じ
なくてはいけない。