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1995年の阪神淡路大震災がきっかけとなり自動書記で突如絵を描き始める 絵の仕事は26年目 ブログ光のチャレンジは11年

ン千万円の絵でも・・・

2013-12-14 | 日記
『うたごころ』(気仙沼の3・11のドキュメンタリー)2012年版を観て来ました。

個人的には2011年版の方が、初めて観た時の衝撃もあって感動の度合いが深かった気がしますが、内容的には今回の方がより深く考えさせられました。

3・11から年月が経つにつれて、被災地では誰もが「どう生きたらいいのか」という出口が見えない、未来に希望の持てない状況の中に置かれたまま、一人ひとりが日々選択を迫られ、また原発全体もより深刻な状況が進み、社会全体や政治が今は何か間違った方向へと凄い勢いで進んで行っているようで、それにも関わらず、被災者のことをすっかり忘れてしまったかのように、クリスマスだ、新年だと、私たちはまた元通りに浮かれたような日常を過ごしていることの、凄い「落差」(ギャップ)を感じました。

2011年版ではまるで自分自身も共に被災したかのように、のめり込んで観た筈なのに、今回は主人公にインタビューする監督も、編集やカメラの目線も、(同一人物なのに)どこか微妙に違って来ている?ようで、カメラの前でもこれまではとても自然体だった主人公も、何か「いらだち」というか、いつのまにか撮る側と撮られる側とに分かれて来ている?ようで、観ている私自身までもなぜか微妙に醒めてくる面もある気がしました。

監督は、「そういう自分に気付いていることが大事」ということも話されていたように思います。
なぜならその方が「現実」だからで、彼は決してお涙頂戴の、美しい「幻想」の作品を創ろうと意図して撮ったのでは無いからです。

だからこそこの映画はそのまま、もろリアリティに溢れているのかもしれません。
いかにそれが「嘘っぽく」見えようとも、「真実」というのはそういうものなのかもしれないですね。


前はとってもあったかい笑顔だった主人公の醒めた一面や、「本音」なども今回は取り上げられていますが、それが意図していないこととはいえ、(監督は決して「作為的」では無いにも関わらず)「作品」として?非常によく作り込まれている?というか、私の心の中では今回の編集意図になぜかふと???となる場面もありました。

それでもこの映画を観た人たちは決してしらけてしまうことなく、今回の2012年版でも、会場のあちこちで涙を拭く人や、すすり泣きが絶えませんでした。

もし機会があればぜひ一度皆さんにも観ていただきたい映画『うたごころ』です。


ところで、話は変わりますが、今回は映画の上映だけでは無く、その前にウォン・ウィン・ツァンさんのピアノコンサートもあり、この映画の中でも重要な場面でウォンさんの曲が流れています。
映画もさることながら、私は前からウォンさんのファンで、久しぶりに生演奏が聴けて、ほんとうに心洗われました。

また、監督とウォンさんとの出逢いのエピソードも興味深く、こういうところはやっぱり当日に壇上で話されるのを聴いてこそのライブ感!があって、遠くまで聴きに行ってよかったなぁ!!!と感じました(笑)。

この会を主催された方は絵描きさんで、ご自分で考案された「陶彩画」を描かれているそうですが、ちょうどその彼の工房(九州にあるそうです)の25周年にあたり、長年の念願だったウォンさんのコンサートと、この映画の上映、そして監督との対談などを企画されたそうです。

ありがとうございます!おかげさまでささやかながら東北へのカンパも出来て、心から感謝です。

お名前は失念しましたが、ニックネームは「クマさん」で、ほんとにまるでぬいぐるみのようにぬっくりしていて可愛い、笑顔のあたたかい画家さんでした。


そして、今回はプログラムの最後に「お楽しみ抽選会」もあって、参加者は入場券の半券の裏に名前を書いておくと、後で何か当たるかも?ということで、まあ、何か当たるといっても、ウォンさんのCDとか、映画のチケットとか、、そういった感じのものではないかなと、あまり当てにもせず、期待もしていなかったのです。

ところが、何と驚いたことに、このクマさんの絵(立派な額に入ったかなり大きな本格的なもの)が、そのラッキープレゼントだったのです!!!

その絵は手塚治虫さんのマンガに出てくるような素晴らしい「火の鳥」(フェニックス)で、さすがに25年もやっておられるプロの方の描く絵だけあって、ほんとうに凄い迫力のある完璧な作品でした。
(写真でお見せ出来ないのが残念ですが、またぜひ「陶彩画」で検索してご覧いただけたらと思います♪)


さあ、それこそ会場は騒然となるぐらいに、みなさんその絵を観て、ワクワクされていました。
一体誰に当たるのか!?
そして、いよいよ監督がそのくじ(入場券の半券=参加者の名前が書いてある)の入った箱を掻き混ぜて、その一枚を選んだのです。


私も思わずドキドキして「当たったらどうしょう!?」と、当たらないことを願っていました(汗)。
「もし当たっても飾るスペースが無いなぁ、、」なんて、ちょっぴり失礼なことを考えながら。


やがて、その凄いラッキーな当選者(若い女性)がみんなの驚きと羨ましそうな視線を浴びつつ、会場から壇場に上がったのですが、一言感想を訊かれて『信じられません!』と言い、「会場に来ている人(ご本人の知り合い?)に絵はプレゼントします♡ 」なんて、画家を前にして堂々と悪びれずに答えられたのです。

その途端に、その画家の方が『えっ、プレゼントされるのですか!? これ、ン千万しますよ』と思わず言われ、会場からさらに驚きの声が上がりました。
私も「えええええええええ~~~~~~~ン千万!!!!!!!!」と大きな声が出てしまったぐらいです(恥)。


ところがその人は全く動じず、「ハイ」とすぐにもその絵を人に差し上げそうな様子で、何の頓着も無かったのが、とっても印象に残りました。

もしも誰でも現金で(あるいは小切手でも)ン千万円が当たったら、『ぎゃあああああ、わあああっ、どうしよう!?えっ、まさか、私に!?』なんて、大騒ぎになるに違いありません。

それなのに、「単なる絵」だと、その価値感は、人さまざまで、ポンと人に上げてしまうことも出来るなんて、ほんとに不思議ですね!?

そう思いませんか?
みなさんならどう感じられ、その絵をどうされるでしょうか、、。


ちなみに私も、たとえ何千万の絵だろうが、絵なら(自分に必要が無ければ)ぽいっと人にも差し上げられるのに、現金の場合は一万円だって惜しい!?気がして(何とケチな私)、もしそんな大金が当たったら誰もがそうするように、まずは一旦貯金して、後でゆっくりその使い道を考え、例えば私なら家を買うかも?ですね。


それにしても、絵というのはそういうものなんだな~とつくづく思いました。
それを気に入ってくれる人が居てくれてこそ!!!なのだと。

クマさんも、その絵を描かれるのにこれまでいったいどのぐらいの月日と労力と、はたまた25年!の感慨を込められたことでしょうか。
そのエネルギーたるや、相当のものがあり、もちろん「思い入れ」もさぞたっぷりあったことでしょう。

その思い切った彼の「大盤振る舞いの記念の名作プレゼント」(ン千万の価値)が・・・
あ~あ、せっかくここで一番盛り上がり、まるで夢のような感激のうれし涙♡と、奇蹟の「感動の嵐」となる筈だったのでしょうが、、、。


まあ、でもこっちの実際の成り行きの方が面白く、これが宇宙からのクマさんへのギフトだったのかもしれませんね。
宇宙は時にそういう「ずっこけ」!?を起こしてくれて、それがまた宇宙の何とも言えない素晴らしい「愛」の在り方でもあるのかもしれません。

そしてその方が例え期待通りの展開では無くても、「それこそが人生!」のユニークなところなのかもしれません。

ほんとに絵って、例え「何千万」と言われようと、そこにどれだけのエネルギーが込められていようと、関係の無い人には全く関係無いというところが不思議かつ面白いですね。


それにしてもこの絵が当たった女性にとっては、きっとそれは何の「奇蹟」でも無かったのでしょうね。

奇蹟って、それを奇蹟☆ と認識して、いかにささやかだろうが、その奇蹟を「心の底から喜べる」人のところへやって来るもの(「魔女の宅急便」のような)!?かもしれませんね。

目の前でこのような「奇蹟的ドラマ」(外応)を見せてくださった宇宙に感謝♡ です。
たとえ、ン千万と言われようと、絵を受け取っても全く動じなかった彼女にも、心からありがとうです。

まさに「すべてのことはメッセージ☆ 」ですね!




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