久しぶりにテレパスアート物語の続きを書きます。
ほんとはみなさんから何かご質問をお寄せいただき、それに答える方が簡単というか、みなさんがどんなことに興味や関心があるのかわからないので、「Q&A方式」の方が面白くまたお役に立つのでは?と思うのですが、、。
さて、今回は「技法」と「色」についての話です。
いつだったか、ある人から「先にボールペンで線を描いてからその上から彩色しているのですよね?」と尋ねられたことがありました。
かつて「ヒーリングアート」という呼称で描いていた初期の頃はそのような絵がほとんどで、その時期は「水彩絵の具」での彩色でした。
(2004年秋からは技法や絵の具を変更。「テレパスアート」という呼称になりました)
今はほとんどアクリル絵の具で、まず最初に「ある色」をパレットに絞り出して、その色を使って輪郭や全体の大体の線を描きます。そしてほとんどの人はそれだけで、その後は普通に彩色していき、ボールペンでくっきりさせることは少ないのですが、最近はなぜか以前の逆バージョンのように?後からボールペンで、例えば目の感じをはっきりさせたり、指先など細かいところに手を入れることも多いです。
その時のボールペンというのは、なかなかぴったりのものが見つかりません。
線が細すぎても絵の具に埋もれて消えてしまうし、線が太すぎたり、水に溶けてしまう水性のものも不可です。
今日も新しいボールペンを見つけたので、3種類ぐらい試し書きをしてみたのですが、まだしっくりきません。
以前は先にボールペン(油性)で描いて、その後に水彩絵の具による彩色だったので、その時に使っていたボールペンは(まとめ買いしていたので)今も持っているのですが、それは今のやり方(アクリル絵の具)ではうまく効果が出せません。ボールペン一つでも自分のイメージにぴったり合って、使い易いものとなるとなかなか難しいものですね。
ところで、最初の「ある色」というのは、例えば、オレンジとか、紫とか、緑、肌色、土色、黒、灰色、ブルー、イエロー、などですが、最近はアクリル絵の具以外にもクレヨンを使って最初の輪郭線を描くことも多いです。
また最後の仕上げにいきなり太いマジックペンを使ったりして、我ながらギョッとすることもありますが、それは例えば何か「気合い」を入れるためであったり、迫力を出したり、強い効果を上げるためのようです。
自分で描いておきながら「~のようです」なんて無責任な言い方ですが、(半無意識状態で描いていますので)「自動的に」そんなふうにしてしまい、自分としては「このままの方がずっと感じいいのに、、」と思っても手が勝手に動いてしまうので、どうしてもそんなふうになってしまうのです。
「印象に残っている絵」としては、目の不自由なある方の絵を描かせていただいた時に、最初は黒とか灰色だった画面が、描くにつれてどんどん明るくなり、色数も増えていったことです。
(原画をそのままお送りしコピーなど手元に保存していませんので、少し記憶違いもあるかもしれませんが)
その人は誰かからの紹介で描かせていただいたのですが、その紹介者の方からも、ご本人からも目のことについては何も伺っていなかったので、後でそのことを知って、びっくりした次第です。
けれども「心の目」があまり見えていず、気持ちが暗かったり、その人の状況が「闇に閉ざされている」ような場合など、たとえ視力はあっても(健常者であっても)無彩色(モノトーン)の絵になる場合もあります。
そういうわけで、まず最初にその人の下地の色が何色であるか、何色にするかは、「手が勝手に決める」という感じですが、この最初の色はとても大事な気がします。
いろいろな絵の具を手に取ってみる場合もあれば、一瞬に色が決まってパッと描き出す場合もあります。
絵の具を手に取ってみると、これじゃないなとか、これにしよう!と直観的にわかるからです。
そんなふうにして選ばれる「その人の色」(下地の色)というのは、とても深い意味があるのかもしれません。
ほんとはどれも例えば明るいオレンジ色とか、黄色とか、肌色などで描き始めることが出来ると、全体が明るいイメージなっていいなと、私の意識では思うのですが、どうしてもそれが「その人に合う色」で無ければ、スムーズに描けないのは不思議です。
ですから、顔の輪郭線がブルーだったり、グリーンだったり、土色や紫だったりする場合もあるので、見方によっては少し不健康に見えてしまう?こともあるようですが、これはこれでちゃんと意味があるのです。
大抵はそういうわけで、一つの画面に下地は一つの色なんですが、時には途中で色を変えることもあります。
ある人物を描く時と別の人を描く時で線の色が変わることもありますし、一人の人でも途中で変化することもあります。
もちろんそんなことは「テレパスアート」でなくても、普通の絵描きさんなら誰でもしていることだから、
「一体何を大袈裟に言ってるんだ!?」と思われる方もあるでしょうが、十年以上同じ仕事をしていると、やはりある一つの法則?というか、「こういうわけでこの人はこの色なんだな」ということがよくわかります。
私は「カラー心理学」についてはそれほど詳しくはありませんが、「オーラソーマ」の勉強を少ししたことがあって、その折に色の持つ意味についていろいろ考えさせられる機会がありました。
また、専門家による「オーラソーマを使ったカウンセリング」やセッションを個人的に受けたこともあります。
余談ですが、その時選んだ好きなボトルはまだ持っています。
一度も直接使ったことが無く、ただ飾っているだけなのには理由があります。
その初めてのセッションで選んだ4つのボトルを手にしただけで、なぜかその夜ジンマシンのような発作が急に起こり、ボトルの蓋を開けてそれを直截肌に付けたら一体どういうことになるんだろう!?と、秘かにひるんでしまったからです。
それでそのまま今に到るも一滴も!使うことなく大事に飾っていますが、そのきれいな色をただ眺めているだけでもたぶん何かの役には立っているのだろうと思っています。
話が長くなり、つい横道にそれてしまいました。
それではまたのお話をお楽しみに、、。 ご愛読ありがとうございます。
ほんとはみなさんから何かご質問をお寄せいただき、それに答える方が簡単というか、みなさんがどんなことに興味や関心があるのかわからないので、「Q&A方式」の方が面白くまたお役に立つのでは?と思うのですが、、。
さて、今回は「技法」と「色」についての話です。
いつだったか、ある人から「先にボールペンで線を描いてからその上から彩色しているのですよね?」と尋ねられたことがありました。
かつて「ヒーリングアート」という呼称で描いていた初期の頃はそのような絵がほとんどで、その時期は「水彩絵の具」での彩色でした。
(2004年秋からは技法や絵の具を変更。「テレパスアート」という呼称になりました)
今はほとんどアクリル絵の具で、まず最初に「ある色」をパレットに絞り出して、その色を使って輪郭や全体の大体の線を描きます。そしてほとんどの人はそれだけで、その後は普通に彩色していき、ボールペンでくっきりさせることは少ないのですが、最近はなぜか以前の逆バージョンのように?後からボールペンで、例えば目の感じをはっきりさせたり、指先など細かいところに手を入れることも多いです。
その時のボールペンというのは、なかなかぴったりのものが見つかりません。
線が細すぎても絵の具に埋もれて消えてしまうし、線が太すぎたり、水に溶けてしまう水性のものも不可です。
今日も新しいボールペンを見つけたので、3種類ぐらい試し書きをしてみたのですが、まだしっくりきません。
以前は先にボールペン(油性)で描いて、その後に水彩絵の具による彩色だったので、その時に使っていたボールペンは(まとめ買いしていたので)今も持っているのですが、それは今のやり方(アクリル絵の具)ではうまく効果が出せません。ボールペン一つでも自分のイメージにぴったり合って、使い易いものとなるとなかなか難しいものですね。
ところで、最初の「ある色」というのは、例えば、オレンジとか、紫とか、緑、肌色、土色、黒、灰色、ブルー、イエロー、などですが、最近はアクリル絵の具以外にもクレヨンを使って最初の輪郭線を描くことも多いです。
また最後の仕上げにいきなり太いマジックペンを使ったりして、我ながらギョッとすることもありますが、それは例えば何か「気合い」を入れるためであったり、迫力を出したり、強い効果を上げるためのようです。
自分で描いておきながら「~のようです」なんて無責任な言い方ですが、(半無意識状態で描いていますので)「自動的に」そんなふうにしてしまい、自分としては「このままの方がずっと感じいいのに、、」と思っても手が勝手に動いてしまうので、どうしてもそんなふうになってしまうのです。
「印象に残っている絵」としては、目の不自由なある方の絵を描かせていただいた時に、最初は黒とか灰色だった画面が、描くにつれてどんどん明るくなり、色数も増えていったことです。
(原画をそのままお送りしコピーなど手元に保存していませんので、少し記憶違いもあるかもしれませんが)
その人は誰かからの紹介で描かせていただいたのですが、その紹介者の方からも、ご本人からも目のことについては何も伺っていなかったので、後でそのことを知って、びっくりした次第です。
けれども「心の目」があまり見えていず、気持ちが暗かったり、その人の状況が「闇に閉ざされている」ような場合など、たとえ視力はあっても(健常者であっても)無彩色(モノトーン)の絵になる場合もあります。
そういうわけで、まず最初にその人の下地の色が何色であるか、何色にするかは、「手が勝手に決める」という感じですが、この最初の色はとても大事な気がします。
いろいろな絵の具を手に取ってみる場合もあれば、一瞬に色が決まってパッと描き出す場合もあります。
絵の具を手に取ってみると、これじゃないなとか、これにしよう!と直観的にわかるからです。
そんなふうにして選ばれる「その人の色」(下地の色)というのは、とても深い意味があるのかもしれません。
ほんとはどれも例えば明るいオレンジ色とか、黄色とか、肌色などで描き始めることが出来ると、全体が明るいイメージなっていいなと、私の意識では思うのですが、どうしてもそれが「その人に合う色」で無ければ、スムーズに描けないのは不思議です。
ですから、顔の輪郭線がブルーだったり、グリーンだったり、土色や紫だったりする場合もあるので、見方によっては少し不健康に見えてしまう?こともあるようですが、これはこれでちゃんと意味があるのです。
大抵はそういうわけで、一つの画面に下地は一つの色なんですが、時には途中で色を変えることもあります。
ある人物を描く時と別の人を描く時で線の色が変わることもありますし、一人の人でも途中で変化することもあります。
もちろんそんなことは「テレパスアート」でなくても、普通の絵描きさんなら誰でもしていることだから、
「一体何を大袈裟に言ってるんだ!?」と思われる方もあるでしょうが、十年以上同じ仕事をしていると、やはりある一つの法則?というか、「こういうわけでこの人はこの色なんだな」ということがよくわかります。
私は「カラー心理学」についてはそれほど詳しくはありませんが、「オーラソーマ」の勉強を少ししたことがあって、その折に色の持つ意味についていろいろ考えさせられる機会がありました。
また、専門家による「オーラソーマを使ったカウンセリング」やセッションを個人的に受けたこともあります。
余談ですが、その時選んだ好きなボトルはまだ持っています。
一度も直接使ったことが無く、ただ飾っているだけなのには理由があります。
その初めてのセッションで選んだ4つのボトルを手にしただけで、なぜかその夜ジンマシンのような発作が急に起こり、ボトルの蓋を開けてそれを直截肌に付けたら一体どういうことになるんだろう!?と、秘かにひるんでしまったからです。
それでそのまま今に到るも一滴も!使うことなく大事に飾っていますが、そのきれいな色をただ眺めているだけでもたぶん何かの役には立っているのだろうと思っています。
話が長くなり、つい横道にそれてしまいました。
それではまたのお話をお楽しみに、、。 ご愛読ありがとうございます。