あずまクラブ(越前の守)です。正しい心の探究をします。

”人間は夢とロマンを持つから動物とは決定的に違う”から始めます。正しい心の探究です。

大和心とポーランド孤児

2012-06-14 18:37:20 | 日記

ねずさんのひとりごと  さんより転載です。



上にある動画は、ポーランド人、ジュリア・ベルナルドという少女が歌う、ユーミンの卒業写真の動画です。
とっても可愛らしい女性です。
ポーランドの女子高生が歌う、ユーミンの卒業写真です。
歌い手のかわいらしさ、歌の上手さもさりながら、親日的というのがとてもいいです。

もうひとつ、恋のフーガです。
これもとっても素敵です。

<iframe width="560" height="315" src="http://www.youtube.com/embed/zb8svEZJWG4" frameborder="0" allowfullscreen>



冒頭の動画にもありますように、ポーランドはとっても親日的な国です。
なぜでしょうか。

実はポーランドは、平成7(1995)年1月の阪神・淡路大震災の翌年、震災で親を亡くした日本の子供たち30名を、ポーランドに招待してくれています。
それも、3週間という長い期間です。
招待された子供達は、ポーランド各地で大歓待を受けました。

この招待旅行のとき、世話をした一人のポーランド夫人が語ったところでは、一人の日本人少年が、片時もリュックを背から離さないでいたのだそうです。
夫人が少年に理由を聞くと、震災で一瞬のうちに親も兄弟も亡くした、家も丸焼けになってしまったのだといいます。少年は、焼け跡から見つかった家族の遺品をリュックにつめたのです。
そしてそのリュックを、片時も手放なそうとしませんでした。
夫人は、不憫で涙が止まらなかったそうです。

ポーランドでの歓待の最終日、震災孤児が帰国するお別れパーティに、4名のポーランドの老人がやってきました。
4人とも、かつてシベリア孤児だった方です。
すでにご高齢で、歩行もままならない。

しかし彼女たちは、次のようにおっしゃられました。
「75年前の自分たちを思い出させる可哀想な日本の子どもたちがポーランドに来たからには、是非、彼らにシベリア孤児救済の話を聞かせたい」

4名の元シベリア孤児の老婆たちは、涙ながらに薔薇の花を、震災孤児一人一人に手渡しました。
会場は万雷の拍手に包まれました。

75年前・・・なにがあったのでしょうか。

ポーランド孤児1



その昔、ポーランドは、帝政ロシアの支配下におかれました。
これに対抗し、あくまで祖国ポーランドの独立を図ろうとするポーランドの愛国者たちは、シベリアに強制的に流刑となりました。
そうです。何もかも凍る凍土のシベリアは、ソ連の流刑地だったのです。

大正8(1919)年、ポーランドは、ロシアから独立しました。
このとき、ロシアは革命、反革命勢力が争う内戦状態にありました。
極東地域には政治犯の家族や、混乱を逃れて東に逃避した難民を含めて、十数万人のポーランド人がいたのです。

そのポーランド人たちは、飢餓と疫病の中で、苦しい生活を送っていました。
もともと、帝政ロシアの圧政下で、祖国の独立を果たそうと運動していた愛国者たちです。
たいへんに知的レベルも高い。
けれど、凍土と滞る食料配給の前に、多くの愛国識者たちが、病や飢えに倒れてしまったのです。

問題は、その愛国識者たちの子供達です。
親を失った子供たちは、より一層、悲惨な状態に置かれてしまいました。

「せめて、せめてこの子供達だけでも生きて祖国に送り届けたい」
大正8(1919)年9月、ウラジオストク在住のポーランド人たちは、「ポーランド救済委員会」を組織し、子供達をなんとかして祖国に送り返そうとします。
けれど、全員が流刑者なのです。
お金がない。
会員を募り、資金をカンパするけれど、子供達を飢えから救い、祖国に送り返すだけの資金がないのです。

翌、大正9(1920)年の春になると、ポーランドとロシアとの間に戦争が始まります。
孤児たちをシベリア鉄道で送り返すことは、これで完全に不可能となってしまいます。

そこでポーランド救済委員会のメンバーは、欧米諸国に、子供達を救いたいと援助を求めます。
けれど、ポーランドの孤児たちを支援することは、大国ロシアを敵に回すことになる。
ロシアとの紛争を避けたい欧州の諸国は、ことごとく救済委員会の申し出をしりぞけます。
シベリアにいるポーランドの孤児たちは、ヨーロッパ中の国々から、見捨てられてしまったのです。

救済委員会のメンバーは、窮余の一策として、日本政府に援助を要請しました。
救済委員会会長のビエルキエヴィッチ女史は、満州にいた日本軍の協力を得て、大正9(1920)年6月に来日します。
そして外務省を訪れ、シベリア孤児の惨状を訴え、援助を懇請しました。

この頃の日本は、独立間もないポーランドとは、まだ外交官の交換もしていない状態です。
外交官の交換をしていないということは、国家として未承認ということで、そんな未承認国家の、流刑者の子供達に支援の手を差し伸べるなど、普通ならありえないことです。

しかし女史の嘆願は、外務省を通じて日本赤十字社にもたらされ、わずか17日後には、日赤はシベリア孤児の救済事業を行なうことを決定したのです。

日赤の救済活動は、シベリア出兵中の帝国陸軍の支援を得て、決定からわずか2週間後には動き出しました。
その日、56名の孤児第一陣が、ウラジオストクを発って、敦賀経由で東京に到着したのです。

それから、翌、大正10(1921)年7月までに、都合5回にわけて、ポーランド孤児375名が来日しました。
さらに大正11(1922)年夏には、第2次救済事業として3回にわけ、390名の孤児が来日しました。

合計765名のポーランド孤児たちは、日本で病気の治療や静養をした後、第一陣はアメリカ経由で、第2陣は日本船により直接に、祖国ポーランドに送り返されました。

この孤児たちの来日にあたっては、「習慣や言葉が違う孤児たちを世話するには、ポーランド人の付添人をつけのがよい」ということから、日赤は孤児10名に1人の割合で、合計65人のポーランド人の大人を一緒に日本に招くという手厚い配慮までしています。

ポーランド孤児2



日本に到着したポーランド孤児たちの回想です。
~~~~~~~
ウラジオストックから敦賀に到着すると、衣服はすべて熱湯消毒されました。
そのあと、支給された浴衣の袖に、飴や菓子類をたっぷ入れてもらいました。
とっても感激しました。

特別に痩せていた女の子は、日本人のお医者さんが心配して、毎日一錠飲むようにと特別に栄養剤をくれました。
その栄養剤が大変おいしかったので、一晩で仲間に全部食べられてしまって悔しかったです。
~~~~~~~~

到着したポーランド孤児たちは、日本国民の多大な関心と同情を集めました。
この孤児たちのためにと、日本では、無料で歯科治療や理髪を申し出る人たちもいました。
学生の音楽隊も、慰問に来てくれました。
仏教婦人会や慈善協会は、子供達を慰安会に招待してくれました。

他にも個人で慰問品を持ち寄る人々、寄贈金を申し出る人々が後をたちませんでした。

ある日のことです。
腸チフスにかかっていた子供を、ある日本人の若い看護婦さんが、必死に看病してくれました。
けれどその看護婦さんは、チフスが伝染し、殉職してしまったのです。

そんな事件があったのだけれど、人々の好意は、それでも尚、あとをたちませんでした。

大正10(1921)年4月6日には、赤十字活動を熱心に後援されてきた貞明皇后陛下(大正天皇のお后)も、日赤本社病院で孤児たちを親しく接見されました。
皇后陛下は、可憐な3歳の女の子のギエノヴェファ・ボグダノヴィッチをお傍に召され、その頭を幾度も撫でながら、健やかに育つように、とおっしゃられました。

こうして、日本の手厚い保護により、到着時には顔面蒼白で見るも哀れに痩せこけていたシベリア孤児たちは、急速に元気を取り戻しました。

日本出発前には各自に洋服が新調されました。
さらに航海中の寒さも考慮されて、全員に毛糸のチョッキが支給されました。
さらに多くの人々が、子供達に衣類やおもちゃの贈り物をしてくれました。

横浜港から祖国へ向けて出発する際、幼い孤児たちは、親身になって世話をした日本人の保母さんとの別れを悲しみ、乗船することを泣いて嫌がったといいます。

埠頭の孤児たちは、「アリガトウ」を繰り返し、泣きながら「君が代」を斉唱し、幼い感謝の気持ちを表しました。

神戸港からの出発では、児童一人ひとりにバナナと記念の菓子が配られ、大勢の見送人たちは、子供たちの幸せを祈りながら、涙ながらに船が見えなくなるまで手を振っています。


子どもたちを故国に送り届けた日本船の船長は、毎晩、ベッドを見て回り、1人ひとり毛布を首まで掛けては、子供たちの頭を撫で、熱が出ていないかどうかを確かめていたそうです。
その手の温かさが忘れられない、と一人の孤児が回想しています。

こうして祖国に戻った孤児たちの中に「イエジ・ストシャウコフスキ」という少年がいました。
彼は、17歳の青年となった昭和3(1928)年、シベリア孤児の組織「極東青年会」を組織し、自ら会長に就任します。
彼の会は順調に拡大発展し、国内9都市に支部が設けられ1930年代後半の最盛期には、極東青年会の会員数は640名を数えます。

昭和14(1939)年、ナチス・ドイツのポーランド侵攻の報に接すると、イエジ青年は、極東青年会幹部を緊急招集し、レジスタンス運動参加を決定しました。
彼の組織には、シベリア孤児のほか、彼らが面倒を見てきた孤児たち、さらには今回の戦禍で親を失った戦災孤児たちが参加し、やがて1万数千名を数える巨大レジスタンス組織になります。

彼は、ワルシャワを拠点として地下活動を展開したのですが、当然、これにナチスドイツが目をつけます。
ある日、イエジが隠れみのとして使っていた孤児院に、多数のドイツ兵が押し入ってきて強制捜査を始めたのです。

このとき、急報を受けて駆けつけたのが日本大使館の書記官でした。
日本人書記官は、武装したナチスの兵士たちを前に、「この孤児院は日本帝国大使館が保護している」と強調しました。
そして、孤児院院長を兼ねていたイエジ青年に向かって、
「君たちこのドイツ人たちに、日本の歌を聞かせてやってくれないか」と言います。

イエジたちは、日本語で「君が代」や「愛国行進曲」などを大合唱した。
ドイツ兵たちは呆気にとられ、
「大変失礼しました」といって直ちに引き上げ、イエジ青年たちは一命をとりとめています。

当時、日本とドイツは三国同盟下にあり、ナチスといえども日本大使館には一目も二目も置かざるを得ない。
日本大使館は、この三国同盟を最大限に活用して、イエジ青年たちを幾度となく庇護したのです。


平成7(1995)年10月、ポーランド大使を務めていた兵藤長雄氏は、阪神淡路大震災の日本人孤児たちの前に、8名の元ポーランド孤児だった老婆を公邸に招待しました。
全員が80歳以上のご高齢です。
一人のご婦人は体の衰弱が激しく、お孫さんに付き添われてやっとのことで公邸にたどりつきました。

そのご婦人のお話です。
~~~~~~~~~
私は生きている間にもう一度日本に行くことが生涯の夢でした。
そして日本の方々に直接お礼を言いたかった。
しかしもうそれは叶えられません。

だけど大使から公邸にお招きいただいたと聞いたとき、這ってでも、這ってでも伺いたいと思いました。
なぜって、ここは小さな日本の領土だって聞いたからです。

今日、日本の方に私の長年の感謝の気持ちをお伝えできれば、もう思い残すことはありません。
~~~~~~~~~

老婆たちは70年以上昔の日本での出来事を、細かなところまでよく覚えておいででした。
別の一人の老婆は、日本の絵はがきを貼ったアルバムと、見知らぬ日本人から送られた扇を、いまでも肌身離さずに持っていると、みんなに見せてくれました。

同様に日本を離れる際に送られた布でできた帽子、聖母マリア像の描かれたお守り札など、それぞれが大切な宝物として、いまも大切にたいせつに持っているものを、互いに見せあいました。

ポーランド極東委員会の当時の副会長ヤクブケヴィッチ氏は、「ポーランド国民の感激、われらは日本の恩を忘れない」と題した礼状の中で次のように述べています。
~~~~~~~~~~
日本人はわがポーランドとは全く縁故の遠い異人種である。
日本はわがポーランドとは全く異なる地球の反対側に存在する国である。
しかも、わが不運なるポーランドの児童にかくも深く同情を寄せ、心より憐憫の情を表わしてくれた以上、われわれポーランド人は肝に銘じてその恩を忘れることはない。

われわれの児童たちをしばしば見舞いに来てくれた裕福な日本人の子供が、孤児たちの服装の惨めなのを見て、自分の着ていた最もきれいな衣服を脱いで与えようとしたり、髪に結ったリボン、櫛、飾り帯、さては指輪までもとってポーランドの子供たちに与えようとした。
こんなことは一度や二度ではない。しばしばあった。・・・

ポーランド国民もまた高尚な国民であるが故に、われわれは何時までも恩を忘れない国民であることを日本人に告げたい。
日本人がポーランドの児童のために尽くしてくれたことは、ポーランドはもとより米国でも広く知られている。

ここに、ポーランド国民は日本に対し、最も深い尊敬、最も深い感銘、最も深い感恩、最も温かき友情、愛情を持っていることをお伝えしたい。
~~~~~~~~~

平成11(1999)年8月、ポーランドから「ジェチ・プオツク少年少女舞踊合唱団」が来日しました。
合唱団はヘンリク・サドスキさん(88)からの次のようなメッセージを携えてきました。

~~~~~~~~~
20世紀の初め、孤児が日本政府によって救われました。
シベリアにいたポーランドの子供は、さまざまな劣悪な条件にありました。
その恐ろしいところから日本に連れて行き、その後、祖国に送り届けてくれました。

親切にしてくれたことを忘れません。
(合唱団は)私たちの感謝に満ちた思いを運んでくれるでしょう。
日本のみなさん、ありがとう。
~~~~~~~~~

さんざん日本に世話になっていながら、日本人が復員を始めた終戦時、日本人から略奪・殺人・強姦をほしいままにしておいて、それを抗日戦線だったなどとうそぶく特ア人の心。

日本の恩を忘れず、いまも互いの良心を大切にするポーランドの人々の心。

私たち日本人は、これから先、どちらの心を持った日本人になろうとしているのでしょうか。

大和心とポーランド魂



記事の記載には、国際派日本人養成講座「地球史探訪: 大和心とポーランド魂」を参照させていただきました。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogindex.htm

 

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北朝鮮を陰で操る中国・瀋陽軍区 安保理決議に違反

2012-06-14 00:41:44 | 日記

リバティーweb より

今年4月に行われた北朝鮮の軍事パレードに登場した新型の弾道ミサイルが、実は昨年8月に中国が北朝鮮に輸出していたものだった、と13日付朝日新聞が一 面トップで報じた。だが、すでにこの件は長谷川慶太郎氏が幸福の科学の精舎で5月に語っており、朝日の記事はその「後追い」だ。

 

中国は昨年8月、弾道ミサイルの運搬・発射用の大型特殊車両4両を北朝鮮に輸出。日本政府が同10月に車両を運んだ貨物船で輸出目録を発見し、入手したこ とから判明したという。この輸出は北朝鮮への大量破壊兵器関連物資の輸出などを禁じた国連安全保障理事会制裁決議に違反する。決議に反する対北支援を一貫 して否定してきた中国の主張が崩れた。

 

しかし、今回に限らず中国の対北支援は、実は中国共産党も知らずに行われたことなのではないか。

 

国際エコノミストの長谷川慶太郎氏が、5月20日幸福の科学・東京正心館で行った講演によれば、中国人民解放軍の軍区のうち瀋陽軍区が独自に北朝鮮を操っているという。

 

長谷川氏は独自の情報ソースをもとに、以下のように語っている。

 

  • 瀋陽軍区は軍事的にも北朝鮮を指導している。今年4月、金日成生誕100周年の軍事パレードがあったが、そこで登場した大陸間弾道ミサイルもそれを積む車 両も瀋陽軍区が貸したもの。北朝鮮が準備している核実験も、瀋陽軍区の幹部が指導して進めている。北朝鮮が核兵器を持つならば、それは実態としては瀋陽軍 区の核保有である。
  • アメリカは、中国共産党のコントロールを受けない人民解放軍を最も警戒し、対応措置を取っている。
  • 瀋陽軍区が北朝鮮に3回目の核実験をさせると一番困るのは北京の共産党指導部。国際社会での体面を重視して北朝鮮を非難する側になると瀋陽軍区を刺激し暴発させる。瀋陽軍区が反乱を起こした場合、北京政府はそれを鎮圧する軍事力を持っていない。
  • 人民解放軍の陸軍のうち、戦車などの車両を中心とする機械化部隊5つのうち4つまでが瀋陽軍区にある。それ以外はみんな馬に乗っているから、勝てるわけがない。

 

中国は国土を7つにわけ軍区という単位で管轄させている。今回問題とされる瀋陽軍区は日本の陸自総兵力16万人に対し、兵力25万~47万人を擁し、仮想敵を自衛隊、韓国軍、在日米軍、在韓米軍としている。

 

日本のマスコミ報道は、これまで「北朝鮮を説得できるのは中国だ」という論調で来たが、今回の件では中国が北朝鮮の背後から糸を引いているというのだ。さらに、中国共産党が瀋陽軍区をコントロールできず、きわめて危険な状態にあることを見抜かねばならない。(悠)

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北朝鮮の兵器、中国の思惑

2012-06-14 00:36:52 | 日記

天下御免○○に物申す さんより転載です。

 北朝鮮が4月の軍事パレードで公開された新型弾道ミサイルを搭載した発射台車両は、中国国防省系列の企業が昨年8月に北朝鮮に輸出したものであることがわかった。
 この車両の輸出は、弾道ミサイル関連物資の輸出を禁じた国連安全保障理事会決議に違反するものだ。どちらの国も法律などあってないようなものだから、国際条約を遵守するなどは二の次、三の次だろう。


 北朝鮮はともかく、このような中国が安保理の常任理事国なのだから、安保理が正常に運営されているとは思えない。
 また北朝鮮は英紙デーリー・テレグラフによると、昨年5月、ミサイル製造に使われる物質バナジウム2トンを中国の企業から購入したと伝えた。
 北朝鮮は核実験などで経済制裁を受けているが、それにもかかわらず中国は貿易を続けている。北朝鮮は産業そのものがままならないわけで、自力で兵器の開発ができるわけがない。当然、輸入に頼らざるをえないはずだ。


 兵器に使用するための素材、とくに鉄鋼などは性能も品質も劣っているだろうから、まともな兵器ができるとは思えない。中国の後ろ盾がなければ、かたちもできないのではないか。その中国も素材産業が最先端とは思えないのだが。


 ともかく、中国は北朝鮮を自国の影響下に置くことを必要としているだろう。北朝鮮を手にすれば、日本海に出ることができる。中国は羅津を租借したのでそれを実現しつつある。


 さらに、向かいの新潟の領事館に広大な土地を取得したことから、わが国への侵略ルートをつくりつつあるといえるだろう。日本海への進出だ。


 韓国は慰安婦や徴用問題で解決済みというか、ありもしない問題を賠償だと騒いでいるが、一方で親北勢力、左翼勢力が力を得てきている。金大中や盧武鉉のような左翼政権に戻ったら、北朝鮮が息を吹き返すのかもしれない。


 もし北朝鮮が暴走したら、中国が抑えてしまうだろうから、どちらに転んでも厄介な状況になる。


 わが国の近代は、日清戦争も日露戦争も朝鮮半島の問題で苦労した。それがいまも変わっていない地政学だ。変わったのは、当時の政治家といまの政治家の能力の差、危機感の有無の差か。


 政治もマスコミも、国防や外交に関心が薄いようだが、その間に現実が進んでいて、後手後手に回っている。
 民主党政権には国防や外交を任せられるのか。

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スクープ記事「小沢一郎 妻からの『離縁状』」

2012-06-14 00:35:03 | 日記

理想国家日本の条件 さんより転載です。

スクープ記事「小沢一郎 妻からの『離縁状』」

              

この時期に。。なんで?


最近、何でこの時期に、と思う、足を引っ張るような事が多発.。と
思ってます。オウムとかいろいろと・・ですが。。
何かあるのでしょうか??裏工作・・

または・・
もし、ないなら、悪魔がいっせいに湧いて仕掛けているとしか思えない・・

 

短信・ジャーナリスト、松田賢弥氏のスクープ記事について

国を憂い、われとわが身を甘やかすの記さんから転載

2012/06/13 16:40
 
 

明日発売の週刊文春に、ジャーナリストの松田賢弥氏の
スクープ記事「小沢一郎 妻からの『離縁状』」という記事が
掲載されています。

和子夫人が支援者に宛てた手紙を紹介する内容ですが、
これはとても衝撃的でした。
 
東日本大震災発生後しばらく、音信が途絶え、メディアからは
「行方不明」扱いされていた小沢氏については当時、同僚記者らと

「世田谷・深沢の豪邸の地下には核シェルターがあって、そこに
閉じこもっているんじゃないか」と冗談を言い合っていた記憶が
ありますが、この記事によると真相は……。
 
私自身がこの和子夫人の手紙について裏をとったわけではないので、
ここでそのまま引用することは控えますが、ほんの触りの部分だけ
紹介すると松田氏の記事にはこうあります。
 
《このような未曾有の大災害にあって本来、政治家が真っ先に
立ち上がらなければならない筈ですが、実は小沢は放射能が怖くて
秘書と一緒に逃げ出しました。岩手で長年お世話になった方々が
一番苦しい時に見捨てて逃げだした小沢を見て、岩手や日本のために
なる人間ではないとわかり離婚いたしました。》
 
 ……いずれにしろ、これはかなりインパクトの強い凄まじい記事だと
思います。まあ、政治家の家族問題やプライバシーの件だけならそれほど
興味がわかないところですが、この記事がそのまま事実であるとすれば、

「人間・小沢論」についてはほぼ決定打でしょう。
もちろん、小沢氏の「政策」や「主張」とは一応、分けて考える
必要があるのでしょうが。
 
 今さら小沢氏なんてどうでもいい、という人には勧めませんが、彼に
関心・興味がある人には一読の価値があると思います。かつて小沢氏率いる
自由党を担当し、その後も注目してきた私の感想を述べれば、一言
「ああ、やはり思っていた通りの人だった」に尽きますが、このような
小沢像を最も身近にいた人物が率直に手紙に記していたということは
大きな驚きでした。
 
 松田氏が足を使って地道な取材を重ねる人であることは多少、知って
いるので、現時点ではこれは「本物」なのだろうと思っています。

ただ、
すぐに確証のとれるような話ではないので本日はここまでにしておきます。


http://abirur.iza.ne.jp/blog/

転載、させていただいた記事です

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

OOさん、情報、ありがとうございました


今増税に目立って反対しているのは彼ですが、
この時期のタイミングでにこれが出る事で
消費税増税に影響をかなり与えそうです。
週刊誌はやはり、たちがわるい・・・。

http://shukan.bunshun.jp/articles/-/1442

 

悪魔のしわざだ・・・これもきっと

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中国の「一人っ子政策」の悲しすぎる現実

2012-06-14 00:31:05 | 日記

理想国家日本の条件 さんより転載です。

中国の「一人っ子政策」の悲しすぎる現実

                   

釈 量子 しゃく りょうこ氏、ブログ転載

2012年6月12日

女性なら、あまりの衝撃にしばらく考え込んでしまうかもしれません。
中国の「一人っ子政策」の現実です。

http://www.ntdtv.jp/ntdtv_jp/society/2012-06-11/784694631251.html

作家馬健「中国女性が経験した強制堕胎」(新唐人テレビ)

イギリス在住の作家・馬建氏が、ロンドンで、ある福建省の女性を
取材した体験を語っています。
彼女は自分の店から連行され、ドアを掴んで必死の抵抗をしたものの、
数名の男に連行されました。
そして強制的に堕胎させられ、子供を一目見せてとお願いしても
「すでに死んだのに何を見るのか」と言い放たれたといいます。
 
一人っ子政策の奥で行われている「強制堕胎」など女性の意思に反する
「医療行為」は、「拷問」といっても言い過ぎではないでしょう。

アメリカに脱出した盲目の人権活動家・陳光誠氏も、逮捕のきっかけは
「一人っ子政策」に対する訴訟でした。
強制中絶で健康を害したり、命を落とする女性を守ろうとしたのです。

「全ての女性の子宮が国有企業に変わっている」という馬氏の言葉通り、
中国では自由に赤ちゃんを産むこともできず、人間は本質的に機械と
同じように扱われています。
中国は、世界で唯一男性よりも女性の自殺が多い国として知られて
きましたが、母性の抑圧など、女性が価値喪失で絶望しやすい国なのでしょう。
一人っ子政策は、国家による母性の否定にほかなりません。
 

映画「ファイナル・ジャッジメント」のテーマの一つが、
唯物論国家への警告です。

「宗教をアヘン」と言う国は、人間としての尊厳の根拠が示せません。

だから人間観が非常に希薄で、拷問、粛清、虐殺、強制堕胎など、非道
極まりないことを平気で行えるのです。

今もなお中国がなしている「現実」を正視した時、日本が何をなすべきか
が見えてくると思います。

 

   


 http://shaku-ryoko.net/%e4%ba%ba%e9%96%93%e3%81%ae%e5%b0%8a%e5%8e%b3/791/

転載、させていただいた記事です

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大飯原発稼働を知事らが再び妨害へ 原発は本当に危険なのか?

2012-06-14 00:30:42 | 日記

二人とも左翼の知事です。

なんせ発展は悪と考えています。町が発展すれば環境が悪くなるとの考えです。

しかし、そんな土地へは企業がやってきてくれません。

厳しい環境条件と優遇税制で誘致しなければ、

地元の若い人達は就職できなくて古里を捨てます。

老人ばかりの町では電気はいらないでしょう。

京都府と滋賀県の企業は脱出しましょう。

 

理想国家日本の条件 さんより転載です。

大飯原発稼働を知事らが再び妨害へ 原発は本当に危険なのか?


関西電力大飯原発の再稼働について、滋賀県知事と京都府知事が6日に
再稼働の期間を夏場に限定するよう求める提言を出したのに続き、
大阪府・市のエネルギー戦略会議も9月下旬に原発再停止を緊急声明で訴えた。

このような動きの背景には、「原発は危険で、廃止すべきもの」という
考え方があるのだろう。だが、本当にそうなのか。

昨年7月に亡くなったSF作家・小松左京氏に、「昔の火」(1970年)という
短編がある。

21世紀、少年たちが岬へキャンプに訪れる。だが、火の不始末により、
近くにあった、すでに使われていない石油工場が大爆発を起こしてしまう。
 
リーダーの少年は、すぐに「携帯電話」で警察に通報する
(当時、存在すらしていない携帯電話を登場させているところに作者の
先見性がうかがえる)。石油を知らずに育った21世紀の少年たちは、昔、
「セキユ」という危険な物質が自動車や飛行機に使われていたことを
知って驚く。

そして、「排気ガスも出さないし、爆発の危険もない」原子力のほうが
安全なのではないかと考えるのだ。物語中の21世紀には、
「軽くて丈夫で完全な遮蔽物質」が開発されており、使用済み核燃料の
再処理法も進歩していることになっているからだ。

これは突飛な話のようだが、実際の問題として、原子力による国内の死者は
非常に少ない。1999年の東海村臨界事故の死者は1人。東日本大震災では
約2万人が犠牲になったが、原発事故による死者は出ていない。

1967年に三井三池炭鉱で起きた炭塵爆発事故では458人の死者が出たことも
考えると、原子力に限らず、エネルギーというものはすべて危険なのだ。

原子力は、過去の実績から言えば、石炭・石油より安全だ。

日本は、原発からの撤退ではなく、その継続に努力すべきだろう。
もう一段、安全性の高い原発を開発し、人類の未来のために
役立てることは可能だ。(賀)

 

 

【関連記事】
 
2012年6月9日付本欄 大飯原発再稼働へ 常に判断を間違う
民主党政権では日本が危ない
http://www.the-liberty.com/article.php?item_id=4414

2012年4月16日付本欄 【そもそも解説】原発の再稼動問題はなぜ起きた?
http://www.the-liberty.com/article.php?item_id=4130

 

綺麗に整理されてる、ブログさんですね
“Miku”のブログさん、ご紹介させて頂きました

http://blog.goo.ne.jp/georgiarule/e/6b7e9e68558289d20526635f09f88fef

元記事

http://www.the-liberty.com/article.php?item_id=4419

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パチンコ議員、下条みつ民主党防衛政務官 「民団」 団長から310万円の問題献金が判明!

2012-06-14 00:22:49 | 日記

保守への覚醒 さんより転載です。

 

 

下条みつ衆院議員(長野県第2区)当選3回。民主党羽田派に所属。特技は「民団へのすり寄り」と「パチンコ議員」。他にも「暴力代議士」、「秘書給与のピンハネ男」(いずれも本人は否定している)などと言われる民主党の問題児だ。


またしても民主党政権で在日外国人からの政治献金問題が判明した。

 
防衛大臣政務官の下条みつ氏が、在日本大韓民国民団の団長から、献金を受け取っていたのだ。民団は会員数50万人を数える在日韓国人などのための組織で、団長の呉公太氏は今年2月にトップに就任した。

 
下条氏の政治団体である「みつの会」の収支報告書を見ると、平成20年から22年まで、それぞれ、100万円、110万円、100万円、政治資金パーティへの支払いが確認できる。いずれも呉氏が代表を務める会社名義で、代表者の名は呉本公太と記載されている。これは呉氏の通名のようで、一見すると外国人からの献金とはわからないようになっているのだ。

 
これまでにも、前原元外務大臣は、在日韓国人から総額25万円の献金を受けていたことで大臣を辞任、野田首相、菅前首相も在日韓国人からの献金があったことが指摘されてきた。外国人からの献金は政治資金規正法により違法とされている。

 
外国人が国政に影響を与えるのを防ぐ、というのがその趣旨だ。パーティ券の購入は「寄付には該当しないので、外国人が買ったとしても違法にはなりません」(総務省政治資金課収支公開室)というが、その立法趣旨やこれまでの経緯からして、あまりに軽率ではないか。
 
 
ましてや呉氏は民団の団長として、今年5月に民団の代表団とともに李明博大統領を訪れ、在日韓国人の地方選挙参政権の獲得などに向けてさらなる支援を要請するなど、政治活動に積極的に関わる人物である。ちなみに下条氏は、外国人参政権に賛成の立場をとっている。

 
下条議員に事実を確認すると、呉氏が民団団長であることを知っているとしたうえで、「寄附ではなく、飲食の対価としてご購入頂いていると理解しております。尚、弁護士に相談の上、万一法に抵触する恐れがある場合は返金も考えております」と回答。また、呉氏も弁護士を通じて、「パーティ券購入は違法ではないため問題ないと考えている」と答えた。

※週刊ポスト2012年6月22日号

民主党防衛政務官「民団」団長から310万円の問題献金が判明 NEWSポストセブン




民主党羽田派(政権戦略研究会)は、パチンコ議員の巣だ。(衆議院)羽田孜、鹿野道彦、中川正春、下条みつ、(参議院)羽田雄一郎、前田武志、増子輝彦、石井一などがいる。



パチンコ議員、民団すり寄り議員で有名な、スキャンダル男の下条みつ。



民団からのパーティー券購入と称する抜け道を通る、実質的なパチンコ屋経営の在日韓国人からの献金だ。



パチンコ議員に起こるべくして起きた外国人献金スキャンダルだと言える。



防衛大臣政務官、安全保障委員会理事、民主党防衛部門座長などに所属し、民主党の安全保障政策に携わってきた下条。



韓国民団に、竹島問題を含めた日本の安全保障政策が、じゃじゃ漏れになってきたことを意味する。




下条の黒い噂はこれだけに留まらない。



★2009年9月、元秘書の告発により、2000年11月から2004年4月まで、選挙区内の建設会社2社から勤務実体の無いまま私設秘書2名の給与(総額1000万円以上)を肩代わりしてもらっていたことが発覚。



★元公設秘書は2004から2005年にかけての国からの給与の一部(総額約150万円)を下条の資金管理団体に寄付として天引きされ事実上ピンハネされていたと語る。



★2009年2月5日号の週刊新潮で、元秘書らに「暴力代議士」として実名で告発され、度重なる精神的・肉体的な暴力や理不尽な暴言、秘書給与のピンハネが報じられる。



★2010年9月の民主党代表選の際、民主党サポーター・民主党員に無関係な松本市内に住む人物に代表選挙の投票用紙が届く。


下条が鹿島建設や複数の建設会社から名簿の提供を受け、架空党員登録をしていた疑惑が発覚。


元秘書は「下条本人から指示を受けて、架空党員集めをおこなった」と証言した。




下条は、金のためなら何でもするとんでもない売国議員である。



そんな人物が日本の安全保障政策の中枢に任命されるという出鱈目を繰り返すのが民主党政権なのである。



野田首相は下条みつを即刻更迭し、議員辞職を促すべきだ。

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