あずまクラブ(越前の守)です。正しい心の探究をします。

”人間は夢とロマンを持つから動物とは決定的に違う”から始めます。正しい心の探究です。

台湾は中国ではない!

2012-04-06 00:58:36 | 日記

堕ちた天使 さんより転載です。

埼玉県議会で地図帳問題が取り上げられました。


埼玉県議会では平成24年3月7日の予算特別委員会で、保守系若手の菅原文仁 議員(刷新の会)が、 中国に迎合する文部科学省の指導により、子供たちが使用する社会科教科書(地図帳)で台湾が中国の領土と描かれている問題を取り上げ、「台湾について­ど のように教えているのか」と、埼玉県教育委員会の前島富雄教育長に質問したところ、文科省を恐れたか、中国を恐れたか、前島教育長はわざわざ関係のない話をして話を引き­延ばし、タイムアップに持ち込んだ。

その際に議場内で笑い声が響くが、これは子供たちの教育より保身を考える、この卑怯者への嘲笑である。菅原文仁議員、埼玉県、そして日­本の子供たちの未来のため、これからも頑張ってください!

イメージ 1

これは日本の未来を担うべき子供たちを危険な「ウソ」からを守るための活動である。

 

埼玉県議会で台湾関連書籍の取り扱い正常化の訴え。


埼玉県議会で「台湾は中国ではない」鈴木正人埼玉県議と上田知事の正論


全国の公共図書館が採用する日本十進分類法に従えば、図書館の書架で台湾関連書籍は「中国」コーナーに置かれることになる。

しかし台湾は中国ではない。埼玉県内の公共図書館でこのような過ちを正さなければ、東日本大震災で巨額の義捐金を集めてくれるなど、親日で知られる台湾の人々に申し訳ない­と、平成二十四年二月二十七日の埼玉県議会本会議では鈴木正人議員(刷新の会)が立ち上がり、台湾関連書籍の取り扱いの正常化を訴えた。

それに対して上田清司県知事も「台湾はアジアで最も親日的な国」(中国を恐れず敢えて「国」と発言!)として、「国の分類を待つだけでな く、埼玉県独自で何かできるはず」­と答弁した。そしてその結果、浦和、久喜、熊谷の県立図書館では「台湾」コーナーが導入されることに。県民に大きな影 響を及ぼす県立図書館の長年の過ちが、正義感によって­改められた瞬間である。


 
台湾は中国ではない!社会科教科書の是正を求める全国協議会

本会では署名活動を行っています。
上記趣旨にご賛同頂ける方は下記リンクより署名用紙をダウンロードして頂き
ご署名の上「台湾研究フォーラム」までご郵送下さい。


 
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重慶の「打黒」運動 恐ろしい拷問による自白

2012-04-06 00:57:00 | 日記

堕ちた天使 さんより転載です。

【新唐人日本2012年4月2日付ニュース】重慶市元書記・薄煕来の更迭とともに、重慶で大々的に行われたマフィア撲滅運動による多くの冤罪が浮上してきました。被害者に

­よると、2年間続いたこの運動では、拷問などの極めて残虐な手段で自白を強要。この運動で最初に死刑になった樊奇杭さんがその一例です。非人道的な扱いを語ったビデオがネ­ット上で広く伝わっています。

フランスの新聞"フィガロ"の報道によると、重慶のいわゆるマフィア撲滅運動の中で、およそ5万人が逮捕。中にはビジネスマン、企業の責任者や警察も含まれ、うち13人が
­死刑判決を受け、処刑。マフィア撲滅の名目で、拷問による自白を強要して大物企業家から財産を略奪し、また政敵を買収したそうです。

この運動で最初に犠牲になった40歳の建築業界の樊奇杭さん。2010年1月、殺人を指示したなどの一連の重罪を犯したとして摘発。弁護士の朱さんが、樊さんとの面会の時
­に隠し撮りしたビデオがネット上で広く伝わっています。このビデオで樊さんは自身が受けた、拷問による自白過程を述べています。

重慶で処刑された 樊奇杭さん
「いわゆる訊問基地に半年間いました。あの半年間は正常に眠れた事はありません。ほとんど毎日彼らに苦しめられ、約半年間『鉄の椅子』に座らされました。彼らは『刑椅』と
­呼びます。24kgの足かせをはめられ、手足を固定され 椅子に座らされます。殴打は日常茶飯事で、殴られて青あざだらけです」

しかし、この程度の拷問はまだましなほうだといいます。更にひどいのは、手錠をはめたまま、つるし上げられるそうです。

重慶で処刑された 樊奇杭さん
「多くの方法で自白を強要しました。両手を後ろで手錠でかけ、鉄の柵に吊るし上げます。足のつま先はかすかに着地します。吊るし上げ時間が一番長かったのは、一度もおろし
­た事はありません。5日間 。あの苦痛はどう形容していいのか、死ぬより辛かったです。普段1~2日間吊るされるのは日常茶飯事です」

吊るし上げられている間、手錠が腕に食い込み、血と膿で固まった手錠をはずすのに1時間もかかったそうです。更にひどいのは、手足を鎖でつながれ、身体を90度に曲げた状
­態で10数日間立たされ、何回も気を失ったそうです。

重慶で処刑された 樊奇杭さん
「彼らは『打表』と言って、足かせをはめたまま、手に手錠をかけ 足かせとつなぎます。立っても身体は90度に曲がります。そのまま1週間ずっと立たされます。最も長かったのは10数日間立ちっぱなしで、10日間一睡もできませんでした
­。その間 何回か失神しましたが、失神すると彼らは私に冷水をかけます。そして足かせを持ち上げ、私の目を覚まさせ、引き続き立たせるのです」

あまりにも残虐な虐待に耐え切れず、樊さんは精神が崩壊し、何度も自殺を試みます。頭を壁にぶつけたり、自分の舌を噛みきった事もあるそうです。後に、罪が確定され、20
­10年に処刑されました。

弁護士の唐さんは、拷問による自白は重慶だけでなく、中国全土で氾濫しており、主な原因は政府の権力が制約を受けないからだと示します。

唐荆陵弁護士
「中国の権力、政府の権力は制約されず、人権を保障する制度もありません。報道の自由や基本的な自由さえ保障されません。政府の権力も監督されないので、このような事は免
­れません。中国の刑務所での多くの非正常死亡事例は皆この範疇に属します。取調べの間、暴力を乱用し、罪を着せてから訊問するのはよく見かける事です」

また、樊さんの案件と李庄弁護士の案件によって、重慶のマフィア撲滅運動の闇が暴露されたといいます。薄煕来が発動したこの運動によって、重慶では多くの民間企業家が破産
­に追い込まれ、命まで落としました。
新唐人テレビがお伝えしました。


http://www.ntdtv.com/xtr/gb/2012/03/31/a680388.html. (中国語)
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民主党は「アホ」!? あの更迭部長が激白

2012-04-06 00:53:03 | 日記

堕ちた天使 さんより転載です。

東日本大震災から1年が過ぎた。しかし、いまだに復興は進んでいない。政府の対応の遅さは、なにも震災の復興に限ったことではない。沖縄・普天間基地の移転、TPPへの対応、中国北朝鮮との外交…いろいろな場面で、日本政府の決断力のなさがいっそう事態を悪化させているようにみえる。多くの国民は、すでに民主党政権に愛想をつかしているだろうが、このような日本の政治を、アメリカはどう見ているのだろうか。


 日本に対するアメリカの本音をはっきり述べた本が話題になっている。「沖縄はゆすりの名人」発言をしたという報道で更迭された、元国務省日本部長のケビン・メアさんの著書「田原総一朗責任編集 自滅するな日本」(アスコム刊)である。

 そもそも、沖縄の基地問題の混乱は、鳩山元首相の「最低でも県外」 発言が発端だ。この発言には、当時、国務省日本部長だったメアさん自身 「アホか」と思ったという普天間基地の移転問題は、日米両政府が10年の歳月をかけて合意してきたものである。それを民主党政権は、 自民党が決めた合意であり、 政権交代をしたのだから従う必要がない、と言ったのである。アメリカも共和党と民主党の2大政党間で政権交代を繰り返している。その度に国家間の取り決めを白紙にするなんてことはありえない。しかも、「腹案がある」はずの政府の提案は、それまですでに検討されつくしてボツになった案ばかり。メアさんが呆れるのも無理はないだろう。

TPPについても、アメリカの押しつけだという意見が日本では強い。しかし、当初、アメリカ政府内では日本の交渉参加はジャマになるだけだ、決断できない日本を交渉に入れると、ズルズルと時間だけがたち、交渉がまとまらないから、日本の参加を歓迎すべきではない、という意見があったという。このように、沖縄の問題にしてもTPPにしても、本来日本政府が国民にすべき説明をしっかりしないで、アメリカが決めたせいにして、それを口実にずっと言い逃れをしている。何も決断しない、何も実行しない日本の政治に、アメリカはしびれを切らしているのだ。


 日本が、これまで幾多の困難を乗り越えてきたように、今度もまた国民が力を合わせて前へ歩いていくのか、あるいは、自滅への道を進むのか。道筋を決めるのは私たち自身である。今、何を議論し、どう決断すべきか、決める時期にきている。
 

iza

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竹島問題にトドメを刺す地図

2012-04-06 00:50:36 | 日記

堕ちた天使 さんより転載です。


イメージ 2
※写真は、『大韓地誌』の江原道の行政区を示す地図①と韓国国定高校教科書に掲載されている独島(于山)地図②です。


■韓国国定高校教科書に掲載されている「朝鮮の古地図」が、竹島を日本領と証明できると拙ブログにアップしたこ とで、インターネット上で大反響になっており、直接『大韓地誌』の地図と比較したいとの申し入れが多数寄せられましたのでトドメを刺すために両方をアップ しました。

韓国政府は、「朝鮮の古地図」②に記載されている于山島を独島と国定教科書で主張していますが、『大韓地誌』(1899年)では「于山」島は、江原道の行政区に入っている鬱陵島の約5キロ東側にある島と記載されていたのです。
実際には、竹島の位置は鬱陵島から東南東方向に約85キロも離れており、『大韓地誌』の地図で確認するまでもなく、韓国国定高校教科書に掲載されている「于山」島の形状を見れば竹島でないことは一目瞭然なのです。

インターネットユーザーの皆様、韓国政府が自ら竹島を日本領と証明してくれている国定高校教科書を、全日本国民の共通認識になるように、この記事を拡散してください。宜しくお願い致します。

★また覚醒されていらっしゃるインターネットユーザーの皆様方の中に、アニメ-ターなど画像処理技術をお持ち方 が、韓国国定高校教科書の「朝鮮の古地図」と、同じ縮尺の現在の鬱陵島と「于山」島の地図画像を重ね合わせて検証していただければ、完璧に「于山」島は現 在の「竹嶼」を示していることが明らかになります。

※「『南京の実相』を国内外のメディア 図書館等に寄贈する会」
代表 水間政憲;ネットだけ転載フリー

http://mizumajyoukou.blog57.fc2.com/?mode=m&no=591&cr=c9457bfa10513f899f0cb36c2f93e5e6》(条件:全文掲載)

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電気と国会議事堂のお話

2012-04-06 00:45:16 | 日記

 ねずきちさんのブログから転載、させていただいた記事です

 

第一次国会(仮)議事堂(明治23年)

 

国会議事堂が火事で全焼したことがあります。
明治24年のことです。

当時の国会議事堂は、いまの永田町ではなく、
東京・霞ヶ関にありました。
いまでは経済産業省が建っているその場所に、
明治23(1890)年11月に国会(仮)議事堂が建設されていたのです。


それが冒頭の写真です。
この霞ヶ関の仮議事堂で、日本初の国会である
「第一回帝国議会」が開催されました。

ところがこの議事堂、翌年1月に火事で全焼してしまうのです。
原因は、「漏電」でした。

いまでは、多くの日本人は、電気は空気のように
「あたりまえにあるもの」と思っています。

けれど、明治半ばのこの当時、まだ電気はたいへん
めずらしいものでした。

なにせ、日本人がはじめて電気を見たのが、
明治15(1882)年のことです。
この年の11月1日に、銀座2丁目に、アーク灯が
点灯したのが最初です。

下の絵は、当時の模様の錦絵ですが、学校の教科書の
文明開化のページでご覧になられた方も多いかと思います。


東京銀座通電気燈建設之図


この街灯は、それまで行燈(あんどん)や提灯(ちょうちん)しか
夜の証明がなかった日本にはじめて、ローソクにしたら
4000本分の明るさの明かりが灯ったわけで、銀座の町は、
連日、見物客で大にぎわいになったそうです。
この電気街灯は、翌年には京都の祇園に、翌々年には大阪の
道頓堀にも設置されています。

もっともこの電気街灯は、送電線で電力が供給されるのではなくて、
その場に据え付けたバッテリーから電力を供給するものです。

バッテリーではなく、電力会社から電力の供給が始まったのが、
明治19(1886)年のことです。
そして日本で最初に「室内の電灯」が灯されたのが鹿鳴館で、
これが明治20(1887)年1月のことです。

そして皇居に電灯が点いたのが明治22(1889)年1月6日。

日本ではじめて営業用に電力供給が行われたのが、
明治23(1890)年11月の、浅草、凌雲閣。
その後、朝日新聞や、時事新報といった新聞社が電力の
供給を受けるようになっていきます。

そして翌年(明治24年)の1月、電力によって夜間も明かりが
灯る設備を整えた国会議事堂が、漏電による出火で、
大火災となり、全焼し、焼失したのです。


おかげで日本全国から、「電気は危ない」、「電気は危険だ」、
「電気は人々の生活を破壊する」、「電気のない安全な生活を!」、
「電気は大災害をもたらす」、「電気は経済的に非効率だ」、
「電気は明かりの灯る者と灯らない者との間に差別をつくる」等々と、
電気反対の大合唱が起こります。

この当時、電力会社の発電は、もっぱら外国製の火力発電に
頼っていましたから、火力発電所のいかにも恐ろしげな猛火の前に、
多くの人々が「電気は怖い」と思ったのもうなづけます。

さらに、発電所から伸びる送電線は、並んでいる電柱にコード
が架かっています。
ものめずらしさもあったのでしょう。
なんとかと阿呆は高い所が好き、とばかりに、この電柱に登って
電線に触り、感電して落下する者もあとを絶たなかった。

おかげで、ますます「電気恐怖症」が巻き起こり、猛然と
電気反対の運動が巻き起こります。

この流れ、何かに似ていませんか?
そうです。昨今の原発反対運動と、じつはそっくりです。

当時は、多くの市町村が電気の供給を拒否しています。
おかげで、日露戦争(明治37ー38年)で捕虜になって日本に
連れてこられたロシア人が、日本の街並の夜が暗いことに驚き
「日本はなんと貧しい国だろう」と書き遺したりもしている。

けれどその一方で、江の電などの路面電車が整備され、街灯が並び、
商店なども夜間の店内照明用に電灯を受け入れます。
そしていつしか電気は、人々の生活に欠かせないものとなる。

東京に電灯が普及したのは、はじめて銀座に街灯が灯ってから
40年後の大正11(1922)年のことです。
そして翌年、関東大震災が起こった。

人々は火事や家屋崩壊に恐怖しました。
そして当時の人々は、それ以上に、電気がない、真っ暗な生活におびえました。
電気に反対し続けた日本人が「文明」に負けた瞬間でした。

原発は、多くの方々がご指摘されるように、たしかに危険を伴うものだと思います。
けれど、すでに日本人の生活に、電力は欠かせないものとなっているのです。

とりわけ、日本の底力といわれる製造業では、
電気がなければ、そもそも事業そのものをやっていくことができない。
鋳物や鉄鋼だけじゃありません。
日用品や、食品加工まで、すべて電力頼みで仕事をしているのです。

石油が枯渇への恐怖から、ものすごい勢いで価格上昇して行くなか、
日本の産業の維持発展のために、どうしても電力の供給は欠かせない。
そしてその電力供給量は、太陽光発電や、水力発電程度では、
とても賄いきれるようなものではないのです。

私たちが明るい光のある生活、モノ作り大国日本の維持発展が
できる国を支えるためには、どうしても原子力による発電が不可欠です。
ならば、いま大切なことは、いかに安全で安心な原子力発電を
実現するかを、官民あげて考え実現していくことなのではないでしょうか。

原発そのものを頭ごなしに反対するということは、日本の産業と
経済を根本から破壊する行為です。
日本の製造業がダメになり、日本の夜の街並から灯りが消えたら、
喜ぶのはいったいどこの国なのでしょうか。

日本産業を破壊したいのは、自称大国のお隣の国でしょう。

日本の夜の街並から街灯の灯りが消えて喜ぶのは、斜め上の国の
ご出身の在日強姦人たちなのではないでしょうか。

「原発は危険だ」、もちろんそうでしょう。
けれど、それを言うなら、水力発電だって火力発電だって、風力発電
だって大きな事故は起きています。

さらにいうなら、人間生活を豊かにするものは、自動車でも電気でも
船でも飛行機でも、どれもすべて危険と隣り合わせです。

大切なことは、その危険といかに上手に付き合うか、ということのはずです。

そうした冷静さを欠き、いたずらに原発は危ないと言っている
人たちのご意見は、私には、明治の中頃に電気は危ないと、街灯建設
にすら反対していた方々と同じに見えます。

すこし冷静になって、日本の産業と私たちの生活と電力について、
考えていただきたいと思います。

ちなみに、冒頭で申し上げた国会議事堂は、全焼した後、
第二会帝国議会の開催に間に合わせるため、いったん、帝国ホテルを
貴族院、東京女学館(旧工部大学校)を衆議院にあてて、急場を
しのいでいます。

その後、焼失した跡地に、第二次仮議事堂が再建されるのですが、
明治27(1894)年の日清戦争で大本営が広島に移された際に、
国会議事堂も広島に引っ越しています。

この広島の国会議事堂では、明治28(1895)年に第七回帝国議会が
開催されています。
広島に永田町があったんですね。

いまの永田町の国会議事堂は、大正8(1919)年に一般公募によって
デザインが決まったもので、大正9(1920)年には竣工するのですが、
途中、火災に見舞われたり、関東大震災が起こったりと、なかなか
建設が進みませんでした。

そして、ようやくいまの国会議事堂が完成に近づいたときに
起こったのが、昭和11(1936)年の二二六事件です。
このとき、武装した一団が、議事堂を占拠していますが、
まだこのときは完成前だったのですね。

こうして紆余曲折を経て、いまの国会議事堂が完成したのが、
昭和11(1936)年11月7日のことです。
それまで、帝国議会が行われていた場所は、すべて「仮議事堂」
と呼ばれていました。

我が国の権威の象徴である国会議事堂を造るだけの余裕が、
日本になかったのです。

簡単にいえば、それだけ戦前の政府は貧しかった。
国家議事堂という建物の権威を飾ることよりも、もっとしなければ
ならない優先課題が、帝国政府には多すぎたのです。

ちなみに帝国政府は、朝鮮総督府や、台湾督府、満州の府督府など
には、惜しみなくお金を使い、立派な建物を建設しています。

こんなところにも、戦前の帝国政府には、仁徳天皇のお心が活か
されていたのです。

 

 

転載、させていただいた記事です
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-1474.html

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ヘラトリ・トピックス 第39号『枝野大臣は、なぜブレたのか』

2012-04-06 00:40:41 | 日記

*メル友北海道*

『世界の目を醒ますヘラトリ・トピックス』
(第39号)

『枝野大臣は、なぜブレたのか』

 

 関西電力の大飯(おおい)原発の再稼働問題に関連して、
担当の枝野幸男経済産業大臣の、"発言のブレ"
が、今、マスコミを賑わしている。

昨日(4/3)の国会答弁で飛び出した、
「再稼働に反対する」
を、たったひと晩で修正して、与党民主党内からも
顰蹙(ひんしゅく)を買ったが、
そもそも、福島瑞穂社民党党首の質問に詰め寄られたくらいで、
なぜ、この時期に、「再稼働反対」を表明したか、のみならず、

「(立地県の福井県だけでなくて)隣接の京都府や滋賀県にも、
再稼働の同意を得る必要があるのでは」と示唆するなど、
異例の「迷走」発言に踏み込んだのかについては、
その意図をよく分析する必要がある。

というのも、この枝野大臣の「不規則発言」によって、
「5月以降、日本の稼働原発はゼロになる」
(5/3以降、唯一稼働中だった泊原発(北海道電力)が
定期検査に入って止まるため)という異例事態が、現実のものとなる
可能性が、一気に高まったからだ。

 最近の大川隆法総裁の御法話・各種霊言の中では、

「中国政府の工作資金が、「沖縄」と「反原発運動」に、かなり流れ込んでいる」

ということが、繰り返し指摘されている。

沖縄・仲井眞(なかいま)知事の守護霊に到っては、
「私の側近にまで入り込んでいる」と、あっさり認めてしまった。

このあたりの資金の流れは、「いずれ月刊「ザ・リバティ」が
解明・スクープしてくれる」ものと期待しているが、今回は、

この二つの資金ルートのうち、「反原発運動」に流れ込んでいる
ルートについて、焦点を当ててみたい。


極左暴力団体から支援を受ける大臣


 枝野大臣といえば、「極左暴力集団・革マルの影響下
(実効支配下)にある」と警察庁も認めているJR総連(JR東日本労組)
から選挙資金の献金を受け、そこの幹部と選挙の際、覚書を結び、

「私(枝野)は、JR総連及びJR東労組の掲げる綱領(活動方針)
を理解し、連帯して活動します」と約束したことで、有名である。

(「新潮45」(2010/8月号)その他で報道)

「JR総連」と言われても、ピンとこない人が多いかもしれないが、
「かつて国鉄のストが華やかだった頃、主力の組合だった「国労」より、
さらに戦闘的集団(労組)として名をはせた「動労」が、その前身である」
と言われれば、50歳前後より上の方であれば、イメージの湧く人も
多いだろう。

動労は、国鉄民営化のときに変節して(組合仲間を裏切って)、
「自民党政権と手を結ぶことで、組織の延命を図った」ことは、
あまりにも有名であるが、その結果、JR東日本株式会社における
「JR総連(旧動労)の組合組織率」は極端に高くなり、それが
「JR東日本の経営陣にも影響を与えている」ことは、関係者の間では、
つとに指摘されている。

(これの弊害については後述。)

そのJR東労組を「実効支配」している「革マル」と言えば、『警察白書』
の中でも、「軍事組織を持つ極左暴力集団」
と明確に定義されており、「テロ・ゲリラの専門部隊を持ち」、
「武器・爆弾等の開発・製造部隊も保有し」、
「これらの軍事活動の資金は、カンパ等の内部資金もあるが、
一部は組織の外からも資金が流れ込んでいる」
と、明確に記述されている。

「皇居に向けた爆発物発射事件」の他、これら極左暴力集団による
"ゲリラ事件"の中には、「鉄道に対する同時多発事件
(通信ケーブル、変電所、信号ボックスの切断・放火など)」
も含まれており、最近とみに懸念されている、
「北朝鮮の特殊部隊による同時多発テロ」
を彷彿(ほうふつ)とさせるものがある。


反原発デモで、「天皇制打倒」!!


「革マル」自身は、「スターリンでも日本共産党でもなく、
純粋なマルクス・レーニン主義を標榜(ひょうぼう)している」
ということになっており、その表面的行動を見る限りは、中国政府に
対して、親派なのか対立しているのか、今ひとつ不分明なところはあるが、
ここに面白い情報が二つある。

一つは、JR総連を母体として、先の参院選において、
比例代表区から民主党公認として立候補して当選した、
元革マル幹部の田城郁(たしろかおる)参院議員は、同郷の
山岡賢次議員と当時幹事長だった枝野氏の推薦・後押しを得て、
議員バッジを得たが、

当選直後の2010年9月には、早くも、在日中国大使主催の
「中国建国記念レセプション」に、駆け出しの新人でありながら、
公明党のお歴々幹部や社民党の福島瑞穂党首らと並んで、しっかり
招待されていた。

また、現在、ネット上で静かな話題となっている「佐賀県での反原発デモ」
の動画(本年2月撮影)の中では、冒頭、やはり国会で枝野大臣に
質問した社民党の、今度は重野幹事長が、来賓挨拶をしているのだが、
それに引き続いて、革マル派の堂々とした旗と、創価学会の三色旗が
並んでデモ行進していたのには、なかなか驚かされるものがあった。

「社民党」と「創価学会」と「革マル派」。

この三者の間に関連性を見つけるのは至難の技だが、
この三者のいずれにも共通しているのは、
「中国政府と親しい」ということだろう。

「サヨナラ原発」と銘打ったデモの中で、全然関係のない
「天皇制打倒!」というシュプレヒコールが上がったのには
(もちろん革マル派による)、ちょっと驚いたが、

「実質的なスポンサーが中国政府?」だと思えば、
『(中国政府の)最終目標は、天皇の処刑』
(チベット亡命政府・ぺマ・ギャルポ氏著の書籍名から)
であることを踏まえると、むしろ驚く方がおかしいのかもしれない。

今回は、紙幅の関係で、
「JR東日本だけが、JR東海やJR西日本の反対にもかかわらず
(「中国に技術を盗まれるだけ」という理由)、独り、
日本の新幹線技術の対中国技術供与に突っ走って、
結果は技術だけ取られて、つまみ食い的な自主開発を中国に
されてしまった
(その延長線上に昨年の中国新幹線の大事故が起きた)」
ことについては、触れない。


いずれ、「沖縄や反原発運動への資金の流れ」が解明されていくに従って、
それに関わった関係者・政治家達の実際が、白日の下にさらされること
になるだろう。


中国政府は、日本の環境問題のことなど、露(つゆ)ほども
気にしていない。日本経済が、エネルギー不足でガタガタになろうとも、
「ただただ、日本から原子力エネルギー(核エネルギー)を奪い去る」
ことだけが、唯一の狙いである。

 

おそらくは、「日本の稼働原発ゼロ」という、ある意味で
「非常事態」を招くことになるであろう

「枝野発言」
(国会における枝野大臣と福島社民党党首のキャッチボール)

は、今回、あまりにもタイミングが良すぎた。


この反作用は、必ずや、大きなものとなって返っていくに違いない。(了)

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過激派 福島大で暗躍、「反原発」で活動家養成 NPOで資金集め

2012-04-06 00:34:54 | 日記

理想国家日本の条件 さんより転載です。

過激派 福島大で暗躍、「反原発」で活動家養成 NPOで資金集め

 

2012.4.5 記事転載


 東日本大震災の被災地で、過激派
「革命的共産主義者同盟全国委員会(中核派)」が、勢力拡大に
躍起になっている。

公安当局は「震災で吸引力を増した反原発やボランティアを隠れみのに
勢力を拡大しようとしている」とみて警戒を強めている。

 4日、入学式が行われた福島大近くで、男が新入生に反原発集会
への参加を呼びかけるビラをまいていた。

 この男は2月中旬、福島大の学生食堂で行われた学生有志による
原発に関する勉強会で、「原発をなくすには行き過ぎた資本主義を
改善しないと」と力説していた人物だ。机上のテキストは「共産党宣言」。

プリントには「マルクス主義学生同盟中核派」と記載されていた。
男は東北大の学生で、福島大の質問に「自分は中核派だ」と答えた
という。

 公安関係者によると、勉強会の主催者はデモでの逮捕歴のある
中核派全学連幹部で上智大の活動家だった。参加した学生は
「原発事故で興味を持っていったが、団体名は伏せられていた」と話す。

勉強会の開始当初、テキストは「全原発を廃炉に」だったが、出版元は
中核派の拠点とされる前進社。公安関係者は「いわゆる『オルグ』。

受け入れやすいテーマから徐々に引き込む典型的な手口」と指摘。
「反原発機運を盛り上げる段階から活動家養成段階に入ったといえる」
と分析する。福島大関係者によると、昨年末には別の福島大生が
「中核派に入った」と周辺に漏らしている。

 過激派が福島大で活動を始めたのは震災後で、福島大では
約20年ぶり。学生も大学側も蓄積が少なく、立ち入り禁止などの
強硬手段に踏み込めずにいるという。

 「オルグ」だけではない。前進社はホームページで子供用診療所の
福島県内での建設を主張。別の公安関係者によると、NPO関係者
が呼びかけ人の建設推進団体の事務局には中核派活動家が入った。

公安関係者は「すでに自治体が診療しているのに不自然だ」として、
NPOを巻き込んだ資金集めとの見方を強めている。

http://sankei.jp.msn.com/region/news/120405/fks12040511240001-n1.htm


革マルが参加した反原発デモ
過激派【革マル】参加の【反原発デモ】と【社民党幹事長】


http://www.youtube.com/watch?v=OvTZwM-Qc40&feature=youtu.be

 

 

ドサクサにまぎれて。( ̄ω ̄;) 。

 

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これから、倒閣が始まるだろう。

2012-04-06 00:33:28 | 日記


土佐のくじらさんの日記からです
 
先日奈良での、石原自民党幹事長の発言、
 「民主党さん。与党を降りる気があるなら、
法案に賛成できるかもしれないよ。」

 野田佳彦よ、お前はもう・・・死んでいる
http://blog.goo.ne.jp/sakurasakuya7/e/a7ea8920b27420d71ca0d1273b0cd497

を受け、

 民主党内が今後、どのような動きになるか予想してみたいと思います。
 
野田首相は、消費税増税法案の可決に向け、
 党内で法案に反対する議員には、党議拘束を適応するようです。
 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120404-00000088-mai-pol


つまり、法案に反対すれば、離党もしくは、党員資格の廃止する・・・
 ということですね。

 「次の選挙では、無所属議員として立候補せよ。」ということです。
 
しかしそれでも、内閣の崩壊は止まらず、
 役職者の辞任が相次いでおります。


その数、合計で29名とも、33名とも言われております。
 ドジョウ殿が何を言おうと、内閣は崩壊しました。
 
皆様、そこまではたどり着きました。
 ご苦労様です。そして本当におめでとうございます。(大笑)
 
内閣を辞任する閣僚や役職者が出ることは、
 当の内閣にとっては、これほどの屈辱はないわけですから、
 恐らく、実際よりも少ない数を、一般には報告しているはずです。
 
となると、法案に反対する議員は、少なく見積もって、30人はいる・・・
 ということですね。

 
これは、最も近い位置で首相を支えてきた人たちの離反ですので、
 その影響力は多大です。
 
味方だと思っていた人、つまりプラス30名が、
 現実には反対に回るわけですから、
 その差は、30+30で、実は60名なんですね。
 
自民党案を呑めば、民主党は即、与党ではなくなります。

 大連立もしくは野党案丸呑み与党でしか、与党でいられないんですね。
 
自民党案を呑まなければ、消費税関連法案は、
 可否決が、野党の手に委ねられるのが、今のところ確実です。
 
しかし、下手に反対すれば、党議拘束で無所属議員となる・・・
 
今の内閣の情況でもし、内閣が追い込まれ、
 そして、万が一でも解散でもすれば、
 多くの民主党議員は、ほとんどが落選するでしょうね。

 
それは、現場の議員達が、最も肌で感じているはずです。
 
今、多くの民主党議員にとっては、誠に恨めしい現状なんですね。
 
こういう、緊迫した情況に追い込まれた時に、
 さあ人というのは、一体どういう判断をするでしょうか?
 
一つだけ、自分が離党もせず、
 そして、野党にもならず、落ちぶれ与党にもならず、
 解散したことで、落選の恐怖に、恐れおののくこともない選択があるんですね。
 
そうです。
 党代表、つまり野田さんに総理大臣に止めていただき、
 法案成立は、ウヤムヤに先延ばしにする・・・という方法ですよ。(笑)
 
戦国時代に良くあった、殿様だけを切腹させ、家臣たちは生き残る方法です。
 
そして新しく党代表を選出し、党の顔と内閣を変えて、
 内閣支持率が上がれば、解散し選挙をするにしても、勝ち目がぐっと増えますね。
 
今のような、内閣が瓦解している時に、党議拘束・・・
 
野田さん、裏目に出るんじゃないでしょうかね。
 あんまり追い詰めると、ねずみだって猫を咬むこともありますからね。(笑)
 
それに、党議拘束を匂わせるには、
 あまりにも時期が早すぎます。
 
そういうことは、法案可決直前にしなければならないです。

 今の時期なら、潜在的な謀反者、つまり、
 
小市民的議員=多くの与党議員でいたい人たちに、
 考える時間と、まとまる時間を与えてしまいます。
 
今のままなら野田首相の今後は、
 近々、身内(民主党議員)に、寝首をかかれるだろうと思います。
 
多くの一般的な民主党議員にとっての危機=与党議員でいられなくなることを、
 回避する方法は、たった一つしかありませんから、
 
今後は恐らく、そういう流れになっていくだろうと、私は推測いたします。

 

 ・・・

 

SNSを転載、させていただいた記事です

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