あつたかい ブログ 2

日々思った事、感じた事そして、親神様の御守護を書いて行きたいと思います。

詳しくは書けないが。。。すべては理の世界の中にある。。悪事を人間でいる間に払う事。

2020年07月15日 23時14分43秒 | 思った事

詳しくは書けないが、昨日は、警察署、銀行と走り回った。

その中、不思議と皆様のお心を頂いて、一つの結果を見せてもらう事が出来た。

 

本当に、大難は小難にとお守り頂いて、ありがたいと思った。

 

人の幸せとは、お金ばかりではないわけであるが、

「かりたるならばりがいるで、はやくへんさいれいをいうなり」と

おふでさきに書かれてある。

お金が一番貸し借りが簡単である。

この借りるという事、これにもそれぞれの、徳分というものが関わると思う。

この徳分というものは、人から言われるとよくは思えないもので、自分で自覚するものだと思っている。

 

人に迷惑をかけたり、人のお金を盗むような事をしたならば、その時は良いように思えるだろうが、親神様は必ず見ている。

そのかやしは、時を経て、必ず出てくる。これが理である。

人を喜ばせれば、これのかやしも、時を経て、必ず出てくる。これも理である。

 

いくら助けたいと思っても、その人の心が変わらねば、助かる事は出来ない。

たすかって欲しいと、いくらその時に、援助をしてみても、それが無駄になる事もある。

悪事をしたならば、自ら悔いあたらめて行くこと。これを自ら行わなければ、助かる理は頂けない。

 

教祖(中山みき様)が、「月日のやしろ」となられる以前に、毒を盛られて、苦しまれた事が、教祖伝(16頁)に書かれている。

この犯人を「これは、神や仏が私のおなかの中を、お掃除されたのです。」と許された。

そして、この犯人は悔い改めて、自ら身を引いたとの事であるが、この後の事について、『正文遺韻』には、秀司様の妾の子供として生まれて、男を求めてどこかへ行ったというような事が書かれてある。

そして、これはどこにあったか忘れたのだが、白い牛が教祖の元にすり寄り、涙を流して、教祖が「これはかのの生まれ変わりや」と周囲に伝えたところ、涙を流して、死んだ。というのを記憶している。

何が言いたいかというと、人間として生まれている間に、お話を聞いて心を変えるようにすれば、人間として良くなっていくが、お話を聞き入れずに、自分の性分のままに通ったならば、牛馬となり、一から通らねばならぬというお話がある事を伝えたかった。

だから、今ついつい出来心でと、悪事を重ねる者があるならば、それを悔い改める事。それを繰り返すことが大切であろう。

以前も書いたが、性分はなかなか取れない。けれども、真剣に親神様に詫びて、人の上に心を尽くす心定めが出来るならば、親神様はお働き下さる。

これが、理である。

この理を、誠と思い、日々を通るか通らないか、それはそれぞれ次第である。

どんな親の元に生まれるのか。どんな親の立場の人の元で過ごすか、これもすべていんねんの上にある事。

大切なのは、その中で親神様の御守護を求めて、どのように通るかであろう。

 

ちょっと、疲れて、書きなぐるように書いたので、いつも以上に読みにくいと思う。

お許し頂きたい。

自らのいんねんの自覚。これは人から言われてするものではない。

「いわんいえんの理を聞き分けよ」と、言われるところがここにもあると思う。

 

親神様・教祖、今日も一日ありがとうございました。

世界の人が、陽気ぐらしが出来ますように、お導きの程をよろしくお願いします。

 

 

コメント
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