ブログあつたかい

しんちつが神の心にかなハねば いかほど心つくしたるとも (12-134)

誕生祭で

2011年04月19日 09時12分29秒 | 災害救援
昨日は教祖ご誕生祭。
一人で出かけた。
朝名古屋をたち、駐車場で救援の物資を託けてから神殿へ。
私一人だったので、誰に気兼ねせず。
真柱様の祭文奏上から喜びの広場までずっと神殿に居る事が出来た。

教祖御誕生の喜びの広場なのに、とても悲しく、涙がこぼれて仕方が無かった。
その場を離れようとした。
その時、前方で友人がしきりに携帯で録画をしている様子が目に入った。岩手の友人である。
その姿を見た時、とっさに「地元の皆さんを喜ばせるために・・・」と思った。
後ろには大阪の友人が・・・・
喜びの広場終了後、駆け寄って握手を交わした。ただ「良かった」としか言えずその場を離れた。

後からメールが来て、震災での複雑な心境を伝えてくれた。そしてその後に
「皆さんにお願いしたいのは、なるべく多くの人に被災地に入ってほしいという事です。テレビ、新聞の報道は限りがあります。間に入った人の主観がどうしても入ります。自分の目、耳、身体でこの有り様を感じてほしいです。できれば若い人ほど。・・・・」
という文章が入っていた。

私が災害の救援に隊員として携わらせて頂いたのは、第2専修科で長崎の被災地へ出かけたのが最初だった。
家屋から砂利交じりの土砂を出す作業で、それも真夏でとても大変だった事を覚えている。
その後も災害で要請がある度出させて頂いてきた。
その中で一番記憶にあるのが、地元での東海豪雨の災害である。
これは、被害の状況というよりも、被災した地域の大変さで記憶している。
多くの方が、ひのきしんにと駆けつけられるのだが、その方々の世話取りの大変さを痛感した。
何度も何度も、被災場所へ行かせて頂いた。
指示をする上の人達は付きっ切りで、もっと大変だったと思う。

東北ではこうした状況の場所が、数限りなくある。
本部災救隊は、岩手での作業を終えて他の県へ移ったようである。
業者が動き出したという事らしい、ボランティアセンターもしっかりと活動できるようになったのだろう。

先日出かけた支部の方は、一日は教会の補修。もう一日は岩沼のボランティアセンターで登録して作業をしてきたそうである。
私もようやく、動けるようにならせて頂いた。
災救隊での作業【東日本大震災-災救隊-情報】は難しいかもしれないが、ボランティアセンターでの作業をさせて頂きたい。
埼玉の次は、岩手だ!!
その日を・・・と考えるようになった。