教養掛に引き続き、1日から8日まで直属ひのきしん隊としておぢばに置いて頂いて、無事昨日、教会に戻ってきた。
毎朝、詰所内で思い立った方々に声をかけておさづけを取り次いで頂いてのひのきしんだった。
教養掛中に、偶然に本部中庭で知り合いの奥さんにお会いして、「修養科生の女鳴物を教えさせて頂いた時に、すい臓がんの方から、おさづけをして頂きたいと言われて、毎朝、教祖のお出ましを待っておさづけを取り次がせて頂いていたら、ご守護を頂いて下さった。」という話を聞かせて頂いた。
おさづけは、教会でも教養掛中も、どうしようもない痛みが出た時におさづけを取り次いで頂いていた。しかし、直属ひのきしん隊は外での作業なのでどうしたものかと思案していた時だったので、これは教祖からのメッセージだと思い、毎朝のおさづけをお願いすることにしたのだった。
結果、作業時間は大した痛みも出ずに、無事にお連れ通り頂き、お与え頂いた期間を勤め終える事が出来た。(最終日には、最後だからと一寸気合を入れすぎて、腰痛になってしまった。(^^;))
本当にありがたい事で、親神様・教祖のお導きをつくづく感じさせて頂いた。
おさづけについてもう一点、
「おさづけをして下さい」と自分から言うこと。これがとても大切な事だと改めて思った。
以前より、周囲の人々に、「『よくなりたい』思う事はよくのほこりではないよ。」と話している。
「あるが上にも何ぼでもと、思う事はよくのほこりだけども、無い物を与えてもらいたい。と望むことはとても大切なことで。この心がなければ、助けてやりたいと思って手を差し伸べてもらっていても、その手を振り払っているようなものなのである。」と・・・
身上になって、おさづけを知っていても「おさづけをお願いします」と自分から言われる人は少なく、また「おさづけをさせて頂きましょうか?」と言われても、「大丈夫です」と断る方も結構あるように思う。
自分も以前はこの心だった。
今は高慢の心が強かったと反省している。
毎朝、詰所内で思い立った方々に声をかけておさづけを取り次いで頂いてのひのきしんだった。
教養掛中に、偶然に本部中庭で知り合いの奥さんにお会いして、「修養科生の女鳴物を教えさせて頂いた時に、すい臓がんの方から、おさづけをして頂きたいと言われて、毎朝、教祖のお出ましを待っておさづけを取り次がせて頂いていたら、ご守護を頂いて下さった。」という話を聞かせて頂いた。
おさづけは、教会でも教養掛中も、どうしようもない痛みが出た時におさづけを取り次いで頂いていた。しかし、直属ひのきしん隊は外での作業なのでどうしたものかと思案していた時だったので、これは教祖からのメッセージだと思い、毎朝のおさづけをお願いすることにしたのだった。
結果、作業時間は大した痛みも出ずに、無事にお連れ通り頂き、お与え頂いた期間を勤め終える事が出来た。(最終日には、最後だからと一寸気合を入れすぎて、腰痛になってしまった。(^^;))
本当にありがたい事で、親神様・教祖のお導きをつくづく感じさせて頂いた。
おさづけについてもう一点、
「おさづけをして下さい」と自分から言うこと。これがとても大切な事だと改めて思った。
以前より、周囲の人々に、「『よくなりたい』思う事はよくのほこりではないよ。」と話している。
「あるが上にも何ぼでもと、思う事はよくのほこりだけども、無い物を与えてもらいたい。と望むことはとても大切なことで。この心がなければ、助けてやりたいと思って手を差し伸べてもらっていても、その手を振り払っているようなものなのである。」と・・・
身上になって、おさづけを知っていても「おさづけをお願いします」と自分から言われる人は少なく、また「おさづけをさせて頂きましょうか?」と言われても、「大丈夫です」と断る方も結構あるように思う。
自分も以前はこの心だった。
今は高慢の心が強かったと反省している。