もっと知りたい!旭川

へー ほー なるほど!
写真とコメントで紹介する旭川の郷土史エピソード集

アンコール・ワタシの好きな旭川~常盤公園スペシャル③ 道博の遺産

2015-01-21 15:34:56 | 郷土史エピソード

かつて別ブログに掲載していた記事を再掲載する「アンコール・私の好きな旭川」。
今回は、2011年に4回シリーズで掲載した「ワタシの好きな旭川・常盤公園スペシャル」の3回目、「道博の遺産」です。


              ***********


<ワタシの好きな旭川・常盤公園スペシャル③ 道博の遺産>(2011年8月30日掲載)


今回も、まずはこちらの写真から!!





この古い記念写真。
昭和30年代後半の撮影と思われます。

ざっと見ていただいたうえで「クイズ」です。

問1・・・ この写真が撮影された旭川のシンボルスポットとは?
問2・・・ 中央に写っている男の子は誰?

問1は、旭川市民ならすぐおわかりですよね。
「市立旭川天文台」の標柱。
おなじみの常磐公園です。

問2も、このブログを見ていただいている方ならピンときたかも。
そうです、幼き日のワタクシです(となりにいるのはワタクシの叔母)!

ワタクシは4~5歳といった感じでしょうか。
で、この写真には写っていない天文台がどうなっていたかといいますと・・・。





この写真は昭和32年の撮影ですが、外観はいまとほとんど変わっていません。

ところが、さらにさかのぼりますと・・・。





まわりに回廊のようなものがあります。
良く見ると「無料休憩所」と書かれています。
実はこれ、昭和25年に常磐公園を中心会場に、旭川で「北海道大博覧会=道博」が開かれた際に撮影された写真なんです。

この天文台のように、常磐公園には、道博に合わせて建設され、その後も長く市民に親しまれた施設が数多くあります。

ということで、またまた前置きが長くなりましたが、今回は「ワタシの好きな旭川・常盤公園スペシャル・その③」、「道博の遺産編」です。


◆道博の遺産その①・・・「ちちゅうとう」って何!?


まずはこちら。





道博のメイン会場、常磐公園会場の入り口です。
道博が開催されたのは、昭和25年の7月から8月にかけて。
当時の旭川市の総力を結集した大イベントでした!

まず見ていただきたいのは千鳥ヶ池に設けられたこの施設です。





「池中塔(ちちゅうとう)」です。
橋がかかっていて、渡れるようになっています。
(道博は夏の開催でしたから、涼を求めて多くの人が渡ったのでは?)



上から見ると


夜はライトアップ



さらに橋の渡り口には三角屋根の建物がありました。
この中では、なんとプラネタリウムが上映されていたと記録されています
(当時、大阪にあった施設を借りたそうです)。







この「池中塔」、橋などは取り外されましたが、博覧会の終了後も長く常磐公園に残され、市民に親しまれました。
ワタクシも古い記憶に池にこの塔がそびえていた光景が残っています。



昭和30年代の池中塔


池の水が抜かれた珍しい写真〈右にあるのは池中塔の土台?・昭和38年〉



◆道博の遺産その②・・・公園に住んでいた台長!?


「池中塔」は撤去されましたが、今も公園に残っているのが冒頭で紹介した天文台です。



人がいっぱい


この施設、北海道初の天文台で、ドームの直径は4.5メートル、中には15センチの屈折望遠鏡が据え付けられていました。



中の様子(昭和32年)


屈折望遠鏡の雄姿(昭和32年)



そして注目してほしいのがこの写真。
右に天文台と青少年科学館が写っていますが、その左に木造の建物があります。



昭和46年撮影


アップにすると



複数の方の証言によりますと、この建物、市立天文台の職員の官舎で、初代台長の堂本義雄(どうもと・よしお)さんらが住んでいたということです。
(堂本さんは、博覧会場に天文台とプラネタリウムを設置するよう当時の前野市長に働き掛け、その後も運営に尽力された方です)。

ちなみにこの天文台の職員住宅、冒頭に紹介した写真にも写っていました。





◆道博の遺産その③・・・エコ道博!?


以前も書きましたが、この道博、1億5000万円という当時の市の年間予算の3分の2に当たる巨額の費用をかけて開催されました!
多くの施設が再利用されたのは、財政的な理由があったからかもしれません。

その中で最も有効的に活用されたのが、パビリオンを再利用した体育館と、「河畔会場(第2会場)」の施設を使って建てた中学校=わが母校、常盤(ときわ)中学校!です(柱・常磐公園は「磐」、常盤中学校は「盤」の字を使います)。



体育館になった開発館の骨組み


常磐中学校になった河川会場の建物



このうち体育館は、もともと道博の「開発館」の建物でした。
さらにこの「開発館」、旧陸軍の美幌飛行場の格納庫に使われていた鉄骨を旭川に運んで建造したと言いますから、徹底したエコが図られていたと言えます。

また常盤中学校は牛朱別川(うしゅべつがわ)沿いにあった道博第2会場の6つのパビリオンを利用して建てられました。

博覧会の報告書には、この体育館と校舎について、「本博の置き土産として、各方面から賛辞を浴びている」と書かれています。



今の中央図書館の位置にあった体育館(昭和33年)


河畔会場



◆道博の遺産その④・・・迎賓館は元料亭!?


「開発館」のように、既存の施設を博覧会用に利用したものとしては、もう一つ、来賓などを接待した「迎賓館」があります。



道博会場の「迎賓館」


この施設、実は公園内にあった料亭の建物を利用したものです。
料亭の名前は「登喜和園(ときわえん)」、市中心部の3条8丁目にあった料亭「登喜和」の支店で、大正7年に公園内で開業したと記録されています(建物はその後も「常磐会館」などと名前を変えて利用されました)。



「登喜和園」時代(柱の奥の建物・昭和11年頃)


昭和36年撮影



また同じく来賓の接待などに使われた「茶室・晴雪(せいせつ)」が今も残されています。

場所は、旭川市博物館のある「大雪クリスタルホール(旭川市神楽3条7丁目)」、ホール入口の、向かって左側に移設されていますので、ホールに行った際はぜひ見てください。





余談ですが、かつての常磐公園には、「登喜和園(ときわえん)」のほかに、「花月(かげつ)」の支店と「駒止(こまどめ)」の2つの料亭がありました。


◆道博の遺産その⑤・・・大平和塔も道博の遺産


道博の施設といえば、忘れてはならないのがこちらです。



道博開催時


またまた登場しましたご存じ「大平和塔」です。
これももともとは道博のシンボルタワーとして常盤公園に近いロータリーに設置されました(その後の経緯については、過去の記事参照)。

きょうは、常盤公園の調査の中で見つけた新たな写真をご紹介します。
ちょっと見にくいのですが、ともに旭橋の向こう、市立病院裏に大平和塔が建っているのが確認できます。

(この写真、昭和41年と42年の撮影と記録されていますので、少なくともこの時期まで、大平和塔が撤去されずにいたことが、今回新たにわかりました)



昭和41年撮影


昭和42年撮影



             ・・・・・・・・・・・・・・・・・・


「ワタシの好きな旭川・常盤公園スペシャル」、今回は予定を変えて「道博の遺産編」をお伝えしました。

さまざまな施設が長く残され、市民に親しまれてきた常磐公園、そこには公園に寄せる旭川市民の深い愛着を感じます。

次回はいよいよ最終回、「スポーツ・文化施設編」です。お楽しみに。


(注・白黒の写真はワタクシの写っているもの以外は、
旭川市中央図書館および旭川市博物館の所蔵資料です)。