もっと知りたい!旭川

へー ほー なるほど!
写真とコメントで紹介する旭川の郷土史エピソード集

「旭川歴史市民劇」解説⑥ 当時の街並み

2019-01-21 19:00:00 | 郷土史エピソード
2020年公演予定の歴史市民劇「旭川青春グラフィティ ザ・ゴールデンエイジ」の解説編。
今回は、作品に描いた大正末から昭和初期の旭川中心部の街並みを、絵葉書や古写真で紹介します。
正確に言いますと、今回の芝居は、大正13年から昭和3年までの5年間の旭川を舞台にしています
紹介する画像の中には、カフェー・ヤマニや旭ビルディングなど、舞台に登場する場所や建物も写されています。
ワタクシは、この時代を中心としたレトロモダンな旭川の街並みが大好きです。
皆さんもしばしタイムトリップしたつもりでお楽しみください。



                   **********



旭川駅前(大正後期)


画像1・旭川中央図書館蔵

大正後期の駅前。
師団通入り口に狛犬のように構えるのは、三浦屋と宮越屋の2大旅館。
明治、大正、昭和の3つの時代に渡り、旭川駅前のランドタワーのような存在だった。
7丁目にある三浦屋は、洋風の外観が特徴。
8丁目の宮越屋は和風(城郭宮)の建物だった。
宮越屋は、明治41(1908)年、釧路に向かう途中の石川啄木が一泊したことで有名だ。
また三浦屋関係では、2代目経営者の立野庄市が、スタルヒンを支援した人物として知られている。
師団通はまだ舗装されておらず、人力車や馬車が行き交っている。
通りを歩く人の多くも着物姿だ。


画像1のアップその1 三浦屋旅館(左)と宮越屋旅館(右)

三浦屋の左に、大正5(1916)年にできた駅前交番が見える。


画像1のアップその2 駅前交番

宮越屋の手前に、大きな木の切り株が見えているが、明治時代の駅前の写真に度々出てくるヤチハンノキの大木のなれの果てかもしれない。


画像1のアップその3 ヤチハンノキの切り株?


明治時代の駅前 左端の大木がヤチハンノキ・旭川市中央図書館蔵


小さくて見にくいが、師団通りの奥に大正14(1925)年に焼失した活動写真館「第一神田館」が見えている。
ひときわ高い塔のような外観。
舞台では、この「第一神田館」の火事が、オープニングのシーンとなっている。


画像1のアップその4 奥の塔が第一神田館



                   **********



1条師団通付近(昭和2年)


画像2・絵葉書

昭和に入ったばかりの師団通1条である。
1条本通の交差点に立って北方向を写している。
左側、7丁目にある大きな建物は丸井今井百貨店の本館と新館。
丸井のマークの入った白い建物が大正11(1922)年に完成した3階建ての新館である。
右端(8丁目)は、同じ丸井今井が経営する丸井金物店。
2つの建物の間を、自動車が疾走しているのが目新しい。
遠くに「イサミタビ」の大きな看板のあるビルが見えるが、丸井の新館と同時期に、4条通7丁目に建った旭ビルディング百貨店。
このビル、芝居ではオープニングに続き、小熊秀雄や髙橋北修、それに主人公格の5人の若者のうちの3人が登場する美術展のシーンの舞台になっている。


画像2のアップ イサミタビの看板があるのが旭ビルディング百貨店




                   **********



2条師団通付近(昭和2年)


画像3・絵葉書

同じ時期の師団通2条。
右端は薬問屋の山形勉強堂。
明治39(1906)年の創業で、昭和6(1931)年までここで営業した。
昔から旭川の中心部は、角ごとに薬屋があるのが特徴になっているが、この場所もその一つ。
その右、奥に目を移すと、画像3でも紹介した旭ビルディング百貨店がよりはっきり確認できる。


画像3のアップその1 中央が旭ビルディング

さらに左に目を移すと、様々な店舗が並んでいる。
2〜3条仲通りに面した福助足袋の看板のある店は、山口洋品帽子店。
その右、トモエヤの看板はトモエヤ洋品店。
その横は今も同じ場所にある明治27(1894)年創業の江川堂小林印舗。
さらにその隣は大橋時計店(眼鏡の看板もあるので、眼鏡も扱っていたのかも)。


画像3のアップその2 左から大橋時計店、小林印舗、トモエヤ、道路挟んで山口洋品



                   **********



3条師団通付近(大正末)


画像4・絵葉書

画像2と3に登場した旭ビルディング百貨店の上から南東方向を見ている。
画面を斜めに走っているのは大きな通りは師団通、まだ舗装はされていないようだ。
左下の一番手前の建物は、共盛館勧工場(きょうせいかんかんこうば)。
勧工場は、多くの小売店が集まった市場形式の集合店舗で、当時はこの横にもう一つ、旭勧工場という店もあり、多くの人で賑わった。
その隣は書店の博進堂。
さらに秋野保全堂薬局が建っている(ここも角地!)。
秋野保全堂は、今も札幌市中央区で店を構える創業明治5(1872)年の秋野薬局の系列店で、店先の大きな看板には「一の」の屋号が確認できる。


画像4のアップその1 左から共盛館勧工場、博進堂書店、秋野保全堂

ちなみにこの「一の」の屋号、秋野薬局のトレードマークで、現在の札幌の秋野薬局の看板にもあしらわれている。


札幌中央区にある秋野薬局

さらに3条本通りを挟んで3条通7丁目の角に建っているのが、創業明治38(1905)年の赤松靴店。
現在、カラオケ店になっている場所。


画像4のアップその2 赤松靴店



                   **********



4条師団通以北の景観(昭和2年)


画像5・旭川市博物館蔵

今度は、旭ビルディング百貨店屋上から北方向を写した写真。
手前は4条本通の交差点。
中央を走る師団通では、舗装工事が進んでいるように見える。
また画面上部には、切り替え工事前で今より中心部に近いところを流れていた牛朱別川の姿が見える。
画面右、一番手前の黒っぽい建物は、旭川を代表するカフェーだったヤマニ。
ヤマニは、旭川の文化人のたまり場でもあった場所で、今回の芝居の主要な舞台になっている。


画像5のアップ カフェー・ヤマニ



                   **********



4条師団通付近(昭和5年)


画像6・絵葉書

こちらはカフェー・ヤマニのある4条師団通の交差点付近を旭ビルディング百貨店前から写した一枚。
右端が辻薬局(ここも角地!)。
通りを挟んでその向こうがヤマニ。
画像5にはなかったスズラン街灯は、前年に整備された。

ヤマニのところを拡大すると、やはり前年に運行が始まった旭川市街軌道四条線の電車が見える。
その奥のキリンビールの看板がかかっているのがヤマニ。


画像6のアップ 右から辻薬局、電車、ヤマニ


                   **********



常磐公園付近の空撮(昭和4年頃)


画像7・日本地理体系第10巻

最後は、昭和初期の旭川の貴重な空撮の写真である。
左下は、大正5(1916)年に開園したご存知常磐公園。
その右側を流れているのは画像5でも触れた牛朱別川。
牛朱別川は、この翌年の昭和5(1930)年から7(1932)年にかけ、洪水対策を目的とした大規模な切り替え工事が行われ、今のように旭橋下で石狩川と合流することになる。
画面中央からやや左下、牛朱別川にかかっている橋は常盤橋。
川の切り替え後、橋のあった場所はロータリーとして整備された。
常盤橋は、昭和2(1927)年、旭川始まって以来という大乱闘事件があった場所として知られている。
お芝居の中では、この事件をめぐって登場人物たちが予期せぬ事態に捲き込まれる。



画像7のアップその1 常磐公園の右上すぐが常盤橋


常盤橋(大正時代か・絵葉書)


一方、画面右下に目を向けると大きな建物が2つある。
今も同じ場所にある日章小学校(上)と、西高の前身である庁立旭川高等女学校(下)である。
庁立高女の場所には、今はときわ市民ホールなどが建っている。


画像7のアップその2 日章小(上)、庁立高女(下)

もう一度、常盤橋の辺りに目を戻すと、橋から旭橋方向に向かって、常盤通がまっすぐ伸びているのがわかる。
その常盤通から2本、画面上方向に向かっている道路がある。
そのうち右側の道路がいわゆる大門通り(大門は遊郭の門の意味)。
その名の通り、この通りの先、今の東1〜2条1〜2丁目あたりの建物が固まっている一角が明治40(1907)年に営業を始めた中島遊郭である。
解説の人物編でも紹介したが、今回の芝居では、この中島遊郭で働く女性たちを救う活動に奔走した佐野文子(実在の人物)が主要キャストとして登場する。



画像7のアップその3 常盤通と大門通り、中島遊郭


大門通りの入り口(洪水時・大正8年・旭川市中央図書館蔵)



この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« お知らせ 歴史市民劇関連イ... | トップ | 「旭川歴史市民劇」解説⑦ 劇... »
最新の画像もっと見る

郷土史エピソード」カテゴリの最新記事