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写真とコメントで紹介する旭川の郷土史エピソード集

大正12年の素人劇団

2016-08-01 19:00:00 | 郷土史エピソード


今回もお芝居の話です。
これは、旭川の郷土史や文化史に興味のある方なら聞いたことがあるのではないでしょうか。
大正12(1923)年、旭川で詩人の小熊秀雄らが行った舞台公演のお話です。
出し物は、シェークスピアの名作「ベニスの商人」など3作。
皆全くの素人だったようですが、当時はかなりの話題になりました。



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こちらがその舞台公演のあった銀座通りの劇場、錦座です。



錦座(大正12年・旭川回顧録)


大正12(1923)年7月14日、15日の2日間、ここで、当時としては画期的な演劇の公演がありました。
上演されたのは、シェークスピアの名作「ベニスの商人」、女性の自立をテーマにしたイプセン作の「人形の家」、そして当時新進気鋭の劇作家として注目されていた山本有三<やまもと・ゆうぞう>の「嬰児殺し(警察の指導で「女土工」と題名を変えて上演)」の3作品です。



舞台の告知記事(大正12年7月13日・旭川新聞)


この公演、画期的だったのは、役者から大道具、小道具の裏方まで、すべて地元の文化人による手作り公演だったことです。
舞台を企画したのは同じ年の5月に発足した「旭川文化協会(当初は「舞台芸術研究会」の名称でスタート)」。
地元の新聞記者や弁護士、医師、その夫人など文化活動に熱心な20数人がメンバーで、詩人で旭川新聞の記者だった小熊秀雄や、小熊の同僚の歌人、小林昴<こばやし・すばる>、楽器店経営で音楽大行進の発案者となる町井八郎<まちい・はちろう>らが加わっていました。



小熊秀雄(1901-1940)


町井八郎(1900-1976・郷土の歴史に生きる 旭川九十年の百人)


記録によりますと、こうした本格的な舞台はもちろん全員が初めての経験だったようです。
いわばしろうと劇団の初公演だったわけですが、旭川で本格的な翻訳劇や社会劇が上演されるのはめったにない出来事。
しかも地元文化人が出演するとあって、あいにくの雨にもかかわらず2日間ともほぼ満員の盛況ぶりでした。
実は、上演された3作品のうち、「人形の家」と「女土工」は、貴重な舞台写真が残っています。



「旭川文化協会」による「人形の家」の舞台


「旭川文化協会」による「女土工」の舞台



この舞台写真は、この公演に役者として出演し、のちに農民運動家として活躍する重井鹿治、しげ子夫妻が所有していたものです。
今回は、孫にあたる荒井美紀子さんのご厚意で掲載させていただきました。
また関係者による記念写真も残されています。
扮装は、おそらく「ベニスの商人」のものと思われます。



公演の記念写真(大正12年6月15日・ふるさとの思い出写真集・明治大正昭和旭川)


なおこの「旭川文化協会」、さらなる公演の実施に意欲を示していたようですが、この年9月に起きた関東大震災による環境の変化等で、実現はしなかったそうです。
この時代は、小熊らが文芸や絵画等、さまざまなジャンルで多彩な文化活動を繰り広げていた頃ですが、演劇関係の活動はこの舞台だけです。
継続して活動していた場合、どんな舞台が生み出されていたかと思うと少々残念です。