先日、あたごの事故に関して記事を書いた折には、当ブログにいつになく多くのアクセスをいただきました(^^;)
それだけ多くの方が、この事故に関して関心をお持ちだということがわかりましたが、それがいい事なのか悪いことなのかはわかりません。
私は海自好きなので、艦艇を見学する機会も多いのですが、一般の方はこれまで護衛艦に関心すら持っていなかったかも…。
昨年6月にはあたごを見学する機会に恵まれ、レポをこのブログに書きましたが、そこでは紹介しきれなかった写真を今回掲載することにしました。(一部重複)
「艦橋って、こんな風になってるんだ…」
とか、
「外を見るとこんな景色なんだ…」
ということを感じていただければ幸いです。
昨年3月の就役から3ヶ月もたっていない、存在自体が誇らしかった頃の「あたご」です。
これは'07.2月、就役前の「あたご」(177)と、MD改修工事に入った「ちょうかい」(176) ※三菱重工長崎にて
ここから'07.6月の一般公開時の写真になります。
艦内に入り、いよいよ見学、というところ
前甲板から艦首を臨む(速射砲よりもさらに前方から撮影)
左:艦内ラッタル・艦橋は5階建ての建物と同じ高さに相当するため、その分の階段(はしご)を登っていく
右:艦橋右側のウイングより艦首を臨む(左端に望遠鏡がかすかに写っています。目視はここで行なわれているのです)
艦橋左ウイング後部の双眼鏡
紺色のシャツを着た方の脇に、探照灯があります。
両舷に設置されており、今回の事故で衝突後に点灯した光というのはコレ。
艦橋内部(右後部より撮影) 操舵桿が見えます。
速力指示盤(正式名称は…?)
スクリューの回転や、速度の指示に関してはここにあるスイッチで対応
(別の場所にある「応急指揮所」にも同じものがあるので、艦橋では指示だけ行なうのかも…当方素人のため詳細不明)
艦橋後部にある戦闘態勢表示盤(使用中のシステムはランプが緑から赤に変わる)
艦橋前部左寄りにはディスプレイとして「てっぱち」が置かれていました。
(ジパング好きにはたまらない、艦長と副長のものが…^^;)
艦橋前部右寄り(ジャイロコンパスとレーダー画面=地形確認用?が写っています)
艦橋を降りて、ここは艦長室付近。新造艦なので、記念楯などはほとんどない
後部甲板とへり格納庫(これまでのイージス艦にはヘリ格納庫がありませんでした)
「あたご」を降りて、後部より見るとこんな感じ
右舷側に吊るされた内火艇も見えています。
…改めて写真を見てみて、“事故当時、ここはどんな状況だったんだろう?”という思いに駆られました。
いつもは単純に「やっぱ新しいなぁ~!かっこいい!」と、ウキウキしながら眺めるところを…。
来年の観艦式にはあたごも参加するのだろう、と当然のように思っていたけれど、それはもう無いんだろうな…。
それだけ多くの方が、この事故に関して関心をお持ちだということがわかりましたが、それがいい事なのか悪いことなのかはわかりません。
私は海自好きなので、艦艇を見学する機会も多いのですが、一般の方はこれまで護衛艦に関心すら持っていなかったかも…。
昨年6月にはあたごを見学する機会に恵まれ、レポをこのブログに書きましたが、そこでは紹介しきれなかった写真を今回掲載することにしました。(一部重複)
「艦橋って、こんな風になってるんだ…」
とか、
「外を見るとこんな景色なんだ…」
ということを感じていただければ幸いです。
昨年3月の就役から3ヶ月もたっていない、存在自体が誇らしかった頃の「あたご」です。
これは'07.2月、就役前の「あたご」(177)と、MD改修工事に入った「ちょうかい」(176) ※三菱重工長崎にて
ここから'07.6月の一般公開時の写真になります。
艦内に入り、いよいよ見学、というところ
前甲板から艦首を臨む(速射砲よりもさらに前方から撮影)
左:艦内ラッタル・艦橋は5階建ての建物と同じ高さに相当するため、その分の階段(はしご)を登っていく
右:艦橋右側のウイングより艦首を臨む(左端に望遠鏡がかすかに写っています。目視はここで行なわれているのです)
艦橋左ウイング後部の双眼鏡
紺色のシャツを着た方の脇に、探照灯があります。
両舷に設置されており、今回の事故で衝突後に点灯した光というのはコレ。
艦橋内部(右後部より撮影) 操舵桿が見えます。
速力指示盤(正式名称は…?)
スクリューの回転や、速度の指示に関してはここにあるスイッチで対応
(別の場所にある「応急指揮所」にも同じものがあるので、艦橋では指示だけ行なうのかも…当方素人のため詳細不明)
艦橋後部にある戦闘態勢表示盤(使用中のシステムはランプが緑から赤に変わる)
艦橋前部左寄りにはディスプレイとして「てっぱち」が置かれていました。
(ジパング好きにはたまらない、艦長と副長のものが…^^;)
艦橋前部右寄り(ジャイロコンパスとレーダー画面=地形確認用?が写っています)
艦橋を降りて、ここは艦長室付近。新造艦なので、記念楯などはほとんどない
後部甲板とへり格納庫(これまでのイージス艦にはヘリ格納庫がありませんでした)
「あたご」を降りて、後部より見るとこんな感じ
右舷側に吊るされた内火艇も見えています。
…改めて写真を見てみて、“事故当時、ここはどんな状況だったんだろう?”という思いに駆られました。
いつもは単純に「やっぱ新しいなぁ~!かっこいい!」と、ウキウキしながら眺めるところを…。
来年の観艦式にはあたごも参加するのだろう、と当然のように思っていたけれど、それはもう無いんだろうな…。
益々あたご窮地ですね。横須賀の幕僚長の世間を知らないコメントにもがっかり!?エリート幕僚故か?
しかし・金平丸みたいに臨機応変であるべきだったと思うんですが命が大事!
太平洋の大海原を快走してきた感覚だったのか?
舞鶴に帰港する感覚だったのか?
たかが10ノット、なんて最初は思っていましたが、この大きさの艦には致命的なんですね。
本当に、僚船のように自主的に回避行動を取っていてくれれば、と残念でなりません。
抗議ならいつでもできるけど、命は1つですからね…。
幕僚のコメントは私も呆れました。
議事録を読み上げるような、あんなコメントしかできないなら出てくるな!という感じです。
お勉強しかできないKYバカなんでしょうね。