葦津泰國の、私の「視角」

 私は葦津事務所というささやかな出版社の代表です。日常起こっている様々な出来事に、受け取り方や考え方を探ってみます。

原発はすぐには無くならないが,ー神社本庁伝統文化セミナー

2011年06月02日 20時14分14秒 | 私の「時事評論」
  
 自然と原子力発電は本来なじまないが
 5月31日の火曜日、神社本庁の講堂で第17回、伝統文化セミナーが開かれた。
 「自然災害と復興――先人の叡智に学ぶ――というテーマに開かれたこのセミナー、いま国民の大きな関心事となっている東日本大震災とこれに伴う福島の原発事故という日本が経験した戦後最大級の事故に対して、国土の穏やかな安定を祈る全国神社はどのような姿勢で今後の復興に臨むのかという関心の中に開かれたものだった。全国の神社をまとめる神社本庁広報部が一般に公開して参加者を募ったもので、200名を上回る希望者が集まり、報道関係者が70名、神社関係者ばかりではなく、大学や民間団体関係者、官公庁・宗教界などからの参加者も多く、会場には女性や若い人たちも多く、外国人の姿も散見された。
 全員で震災の犠牲者に黙とうを捧げ、神社本庁の田中恒清総長、国学院大学教授で神社本庁の教学委員である岡田荘司氏が発題し、二人が神社本庁教学委員の国学院大学教授茂木貞純氏の司会で対談。次いで質疑応答という形で進められたが、発言した本庁関係者に信仰者らしい誠意が感じられ、短い時間ではあったが、参加していてかなり疲れた。私が久しぶりにこの種の会に出席した結果なのか。各各発言の骨子を紹介する。

田中総長 災害の報に私も見舞いに駆けつけた。震災のエネルギーは阪神淡路の際の360倍にも達するというし、被害は神社だけでも3000社を超えた。だが、被災地で活躍する宮司さん、被害を受けた農・漁業関係者の表情には復興への情熱を感じた。それが言霊として私には強く響いてきた。
 日本人は200年ほど前まで、自然というものが人間の外にあるという概念の用語を使わずに、人間を含むあらゆる事象を含む用語として自然(じねん)と表現し、すべてのものに神々が宿り、見守っていると感じて生きてきた。そして自然の減少を畏れかしこみ、暮らしてきた。天災が起こると、それを神々の怒りと受け取り、みかどが謹んで神々の前に奉幣され、みなが見習って祈りをささげ復興に努めた。私は石清水八幡宮に奉仕しているが、允恭(いんぎょう)天皇以来、そんな記録がたくさんある。
 復興の柱は祭祀祭礼の復活にあると信ずるので、神社本庁は総力を挙げていきたい。

岡田教学委員 古代において、自然災害は神の怒り・たたりと考えられた。神は地域を守護するとともに、時には祟る神としての両面を持っと信じられてきた。神と自然と人間とは、相互に結びついた関係を保ち、自然と神とは一体になり、人間はそれにつながると考えられてきた。自然災害に対しては、祭りと奉幣が大切とされ、特に天皇の祈りとお慎み、奉幣が重要な要素とされてきた。その例はここに紹介するように古典などに多く示されているが、今回のような災害を前にして、もう一度神への畏れ、慎みの大切さを思い起こしたい。我々は災害をも組み込んだ神道観をもう一度しっかり眺めてみる必要がある。
 
 両講師の話ののち、司会に茂木教学委員を交えての対談では、東北地方の神社の特性、地震に関する信仰、大地震のあるときとその時の国情の荒廃、荒みたまと和みたま、東北地震の跡を見ての印象、神社本庁の震災神社復興の重点はどこに置くかなどの話があり、質疑応答があって散会した。
 質疑では、神社界の原子力発電そのものに対する評価についての質問が注目された。大地震や津波などの天災が起こると、古くから日本では自然を統べる神々の気持ちに逆らうようなことがあったのではないかと朝廷では慎んで神々にお供え物をして怒りを鎮めようと努められた。そして国民に対して復興の努力を訴えられたという伝統が現在の天皇陛下にまで連綿と続いているという話を受けての質問への答え。震災によって生じた原発の事故だが、そうなると、この発電所が神々のお怒りにふれたひとつなのではないかとの発想は当然起こる。
 これに対して岡田講師からは、発電所で発生する使用済み核燃料や、中途で発生する放射能が、人の生命に多大な危害を及ぼす神でなく人為に発生させた新物質であり、いまだにその無害化の技術も開発されず、ただ人に悪い影響を生じないようしっかり封印して地中に蓄積放置される点に注目し、いまはそのような技術は使用しないほうがよい。しかしそれはすでに我が国でも開発されて、我が国も大きく原発に依存しているという現状を見て、そのような手段に依存しなくても、国の電力需給が補えるまで、中期的には致し方ない手段として存続は認めながら、長期的にはこれ以上、類似のものを増やさないようにしていくべきではないか。

 このような対応に中長期の二段階を示したのは、過去において、既存の原発に対して、神社界が明確にそれを否定する動きをしてこなかったことを考慮しての上だろう。そのため既存のものまで直ちに廃止すべきだとの見解を示せば、電力エネルギーの三分の一を原発に依存している現状が大きく混乱し、さらに特定の政治イデオロギーに基づく反核運動などの発想と混同される危険性もある点を配慮した、神道神学よりも、現状との接点を求める神社本庁の行政との妥協も盛り込んだものであるとみられるのではないだろうか。
 この問題に関しては、福島での事故が大きな影響を出し、今後は注意しなければならないという認識も出てきている現在、より明確な神道の理論づけが求められるだろうが、注目したい動きであった。