葦津泰國の、私の「視角」

 私は葦津事務所というささやかな出版社の代表です。日常起こっている様々な出来事に、受け取り方や考え方を探ってみます。

菅首相を見損なってはいけない

2011年06月03日 09時29分53秒 | 私の「時事評論」


 不信任を乗り越えて
 昨日は菅首相の不信任騒ぎで一日が過ぎた。
 私は、以前から言っている。
 「菅首相は自分自身が首相であり続けることが、何よりの首相としての務めであると固く信じている男なのだ」と。
 一昨日、彼に対して国会に不信任決議が提出されたときから、私は彼の各発言と表情をそんな思いでじっくり見ていた。不信任案は昨日、鳩山前首相が菅氏と会談、菅さんが早急に首相の座を明け渡すと言っていると約束しているからと民主党の議員総会で発言したのをきっかけとして、与党が分裂、与党内から野党の出した不信任案に同調して菅引き下ろしに出る予定の議員がここは菅を延命させてもよいのではないか、どうせ一、二カ月の間なのだからと態度を変更することによって否決された。
 私は一部始終を穴のあくほどテレビの画面で眺め、いままでの菅首相の表情と行動歴で得た彼に対しての私の人物観と比較して確信した。
 「これは菅の勝ちだ。この男はやめないよ」。

 踊らされた鳩山の詰めの甘さ
 狩りをするとき、あるいは命をかけて一騎打ちする時を思い出してみてほしい。こんな場合に最も気をつけなければならないのは、止めをさすまで油断をするなということである。命懸けで対決をするときなどで、勝負が確実になる前に、ある大きな山場を越した時、ホット一瞬「勝った」気を抜くことはよくあるものだ。そしてその時、油断をしてそれで逆転命を失うことも。死んだ振りをして相手を油断させるやり方だ。これは決定的に大勢を逆転する。これでやられたものは数知れない。熊狩りで猟師が鉄砲で仕留めたつもりで死んだ振りをしている熊に近づいて、命を落とすことが多いと聞いた。
 菅首相のいままでの行動を緻密に検証してみるがよい。応答でどんなことを発言したとしても、あとから追及されても決してそんなことを発言した覚えはないと逃げる道は必ず作って対応することを。鳩山は文章で合意させたと公表し、「嘘つきやろう」と騒いでいる。だがどこに六月いっぱいで辞任するとはっきり書いてあっただろうか。よしんば六月とはっきり書いてあったとしても、菅は「今年とはどこにも書いてないではないか」と一年間は逃げ通そうとする男である。彼がスピーチで形容詞ばかりを並べ、具体的にいつ何をやると言わないことをあれほど繰り返しているのに、そんな手ぬるいことで「恐れ入りやした」などと手を引く相手ではないのである。

 一段階を逃げ切った
 全野党から嫌われても、さらに与党の大半から嫌われても、首相であり続けることを最大の目標にしている菅首相は首相の地位にとどまり続けようとすることだろう。鳩山の首相時代に、自分は民主党のナンバー二の立場にいながら、鳩山首相のピエロのような振る舞いに巻き込まれないようにじっとしていて彼が政権をあきらめるとその座について、以来鳩山と彼と手を組む小沢に対し、党内主導権争いに明け暮れて、維持し抜いた首相の座は死守しようとの菅首相。
 彼のやり方がすごいのか、あるいは今の菅氏以外の政治家が、少しも戦い方を知らないのか、どうも私は後者のような気がするが、政治の迷走はこれからも続くだろうと予想する。
 国民はそんな菅さんの政治、国会議員の活動などに淡い期待を抱かぬことだ。政治家の機能が全く発揮されない世の中だとしても、どっこい日本は生きている。政治決断などを当てにせず、国民の総意で日本を良くすること、東北地方の復興を成し遂げること、それを主力にやる以外にない。
 日本はいまから六五年ほど前に戦争に負け、政治は米軍の独裁のもとにおかれた。いま菅さんの独裁のもとにおかれ、国会もあの時のように活動ができなくなっていると思えば、臥薪嘗胆、民間の力を発揮するよりないのだと思う。
 今後の新たな見通しのためには、その覚悟が必要だろう。