葦津泰國の、私の「視角」

 私は葦津事務所というささやかな出版社の代表です。日常起こっている様々な出来事に、受け取り方や考え方を探ってみます。

和魂洋才はどこへ行った④

2011年06月30日 18時31分01秒 | 私の「時事評論」


伝統的日本人の災害観

 三回にわたって、私は日本において、政治や社会の問題を論ずる際に、日本における政治と皇室の包括される全文化との概念をしっかり使い分け、日本の伝統的国体にあわせた論をすべきだと主張してきた。読まれた方はもう、気付かれたかもしれないが、これは日本国の在り方を国体に基づいて捉え、日本の憲法の条文解釈も、まずこれを基礎にして眺め、皇室を頭にした日本文化全体の中で政治の位置づけを見るべきだという主張だ。

 通常、どの国でも、憲法はその国に積み重ねられているこの種の不文の憲法よりはるかに広いもの(国体)を基礎として解釈して運用する。欧米諸国の憲法解釈は千年以上の歴史に培われたそれぞれの国の新旧キリスト教などが積み上げた国体意識によって行うべきだし、日本にも独特の生活観・社会観に基づく国体意識がある。

 憲法そのものを比較すれば、帝国憲法は20世紀初めのかなり現在の政治の運用に向いたものを基礎に日本に合うように充分検討したものであり、戦後我が国に米軍が押し付けた18世紀流の自由主義革命時代のコピーである現憲法よりも新しい性格を持つものであった。私は個人的には、帝国憲法を条文の変更ではなく、形はそれを真似ながらも実質的には廃棄して、国体も無視して新憲法を押し付けた占領政治が、独立後に否定もされずに生き残ったことに、いまの日本の政治混乱の元凶があると思っている。

 だが、かといって私は戦前の日本の政治を良かったとは思わない。帝国憲法は、憲法自体は現代型の、日本の伝統ともマッチしうるもので、かなり慎重に審議作成されたものであったのだが、明治以来の日本の政治が、なぜ日本が明治維新をしなければならなかったのかの本質を忘れ、官僚も教育界も政治家も軍人も、そろってキラキラ光る欧米文化に盲目的に追随して、「和魂洋才」の原則を忘れ、日本独自の国体を無視した空気の中で運用されたので、まるで国に独特の個性もない状況になって、欧米を盲目的に追い、政治を歪めてしまった。


 帝国憲法は充分に生かされなかった。

 日本の土壌に根付いている精神風土、健全な日本の国体意識を基に、政治を行うのは絶対に必要だと私は思っている。それを互いに認識したうえで、いまの我が国をどう運営していったらよいかの政治的・経済的なものの見方を公表しあって、どの政策をとるか、どんな政策を選択すべきかを論じあうのが大切な問題である。
 


 「付録」神道と天災

 神道における天災の捉え方

 以上で私の和魂洋才論を終わるが、未曽有の大地震がやってきた直後である。唐突になるが時期が時期なので、いま、大きな国民的関心事になっている私の地震や津波、はたまた原子力に関しての考え方を最後に述べておこう。

 今回の東北大地震は、日本に立ち直るのには挙国一致の大きな努力がなければ容易に回復できないほどの大きな爪痕を国土に残して去って行った。

 歴史を調べると日本は地層の複雑に入り組む地震多発地域に当たり、過去にも何回となく地震によって大きな被害をもたらした記録をもっている。津波の被害も度々だ。日本という国土に住めば、地震の襲来から完全に逃れるすべは現在のところ、ないといったほうがよいだろう。

 我が国では天候も干ばつや豪雨、台風などの気象もこの種の災害も、すべては天然の事象をつかさどる神々の掌られる事態であり、特に我々に大きな被害を及ぼされる災害は、それらの神々がお怒りになられている現れと受け取られてきた。

 先祖たちはそう感じて、雨や太陽、雲や風、海などこれらの事象をつかさどると信ぜられた神に、毎年の豊作であることを祈願し、異常気象による災禍が及ばないことをひたすら祭りしてきた。

 現在の信仰形態を表面から見ると、それらは神々が恵みをもたらせてくれるというただプラスのみをもたらす神への信仰であると捉えがちだが、神々はただ我々の願いを聞き入れて我々に恩恵をお与えになるだけではない。時によっては、我々の暮らし方に御不満であると、神罰ともいうべき厳しい試練もお与えになると信ぜられていた。従って神々への祈りも真剣なものであった。

 そんな日本にはまた、すべての祭りは天皇の祭りにまとめられ、天皇はこんな全国的なまつりのすべてをまとめて神々にまつり主としての祭りをなさると信ぜられていた。前項で触れたので、ここで詳しく再録はしないが天皇は高天原の神さまの集う世界の代表である天照皇大神から、地上の国を治めるように命ぜられ、それ以来代々のみかどが常に、全国民のために祭りをしておられる。

 古記録にある東北大震災

 古い記録を調べてみると、いまから1200年以上前の貞観11年(869)、東北地方には今回の地震に匹敵するほどの大地震が襲い、宮城、福島、岩手の沿岸地方はことごとく巨大な津波に襲われ、1000人を超す住民が倒れた家につぶされ津波に浚われ、家も畑もすべてなくなってしまったといわれている。人口密度の比べ物のないほど低い時代だったから、この惨状は今回の地震の規模に達するものと推測されるし、そんな研究の成果もあるようだ。

 縁起元年(901)に著わされた公式文書『三代実録』には、この報告を受けられた清和天皇は「百姓何のつみありてか、この禍毒にあう。憮然として愧じ懼れ、責め深くわれにあり」と、まつり主である天皇自らがこの責を負うと天照皇大神を天皇御自らが直接お祭りをされる伊勢の神宮にお供えをして国家の平安を祈念され、それを百官が見習ったと記されている。

 特別に地震を起こす神が、どんなお名前の神様であるかということが意識されていたようではないが、この国に起こるすべてのことを「まつりごと」として統べるように命ぜられ、一身にその責任を自覚されて民の身を案ぜられ、救済にも力を入れられた天皇のお姿は、このほかの天災などの記述にもよく出てくる。

 また、関東大震災に際しての当時摂政宮であられた昭和天皇、今回の東北大地震や、先の上越地震、阪神大震災の天皇陛下の御対応には、この天皇に代々継がれてきた大御心は少しも変わることがなく続いていることが見える。

 この天皇のお務めのうち、俗政治の執行の部分を代わって執行しているのが、征夷代将軍であり、いまの総理大臣、そしてからが組織する政府である。日本の理想的姿から見ると、そんな政府はその大本のまつり主である天皇、政権の執行をゆだねられた天皇と密着して同じような心をもって接するのが理想の姿だと思う。

 天皇は政治の執行の権を征夷代将軍や首相に譲られる時代になったが、ここにあげたように、天皇が国民を代表して、災難はおのが罪であるとそれが起こらぬように祭りをされ、それを百官が見習って、一日も早い回復をと努める姿はいまも変わってはならないと思う。政府も自治体も企業も国民も、みな天皇のお気持ちを察し、すべてに先駆けてその復興に努力する。また災害が起こらぬように配慮する。そうあらねばならないと思う。


 陛下のお気持ちを柱とすべき政府の姿勢

 地震、津波にかかわらず、諸々の我が国に襲い来る天災に対しては、具体的な対応策を打つべきは天皇から政治を任された首相以下の政府の責任である。防災対策や復旧策には最新の知識が必要とされる。西欧科学知識なども充分に取り入れて、万全を期さねばならないと思う。なるほど政治というものを部分的なところだけを取り出して、それがすべてだとみる見方も存在するだろう。だがそんな姿勢で政治に当たれば、日本の伝統的な国体には合わなくなる。

 今回の大震災で、津波を最大5メートルほどまでと勝手に想定し、それ以上のものは来るはずがないと云わんばかりの想定をしたことが、政府の大きな欠陥であると厳しく非難されている。まさにその通りである。過去の記録によってでも、その種の災害は当然に起こりうるものであった。もちろんそれに、津波への防御堤防を強固にすることでの対応一本で行くことは物理的にはできない話だ。そんな無理なことを要求しようとは思っていない。

 だが、津波への対応は、堤防を高くするばかりではない。万一、精いっぱいの対応措置をもってしても防ぎきれない事態が来たら、どうそれに応じたらよいのだろうか。その方法を「想定外」という言葉で考えないことにして、そのためしっかり考えておけば防げた天災の被害を、人災として大きくしてしまったことは痛切に反省すべき問題である。

 現在の西欧的確率論などに基づいたものの考え方は、起こり得るが「可能性は低い」ということと、「起こり得ない」とを勘違いさせる落とし穴を持っている。過ぎた話になってしまうが、この危険意識を持っている政府であり自治体であったなら、命を落とさずに済んだ人が多数出てきただろうし、避難の方法、災害から逃れる方法などはいくらでも出てきたはずである。かってに「これ以上は来ない」などという概念を導入して、対応策をおろそかにした責任まで、天皇に、「おのが罪」として代わりに神々にお詫びさせて平然としていられると思っているのだろうか。

 俗務である政治をつかさどる政府の任務は、祭りではない。天皇が国民が穏やかに明るく睦みやすく暮らせることをひたすら祈っておられるのであるから、そのお気持ちを安んずるためにも、あらゆる知識や技術を使って、浦安の国づくりをすることにある。


 原子力発電について

 日本人の伝統的意識、神道の概念から見れば、原子力エネルギーは、いまだ人類がみだりに利用するのにはふさわしくない未完成の技術である。したがって信仰的にはこれはわが国としては取り入れるべき手段とは言えないという私の見解はすでにこのブログにおいても発表している。

 ただ原子力の利用に関しては、私は日本人として注意をしなければならない大原則があると思う。

 日本人の発想は神道的意識からスタートしている。神道は我々を取り囲むすべてのものは神々が作り出された大切なもの、それを我々(我々人間だって神々のおつくりになったものである)が、神さまにお許しを受けて利用させて生きていくとの発想である。人間は生きるために様々な知識を身につけ、薪や石炭や石油を燃やし、電気を作り出し、木や石やその他あらゆるものを使って豊かな生活を楽しんでいる。だがそれは利用させていただいているもので、一度利用してもそのものはまわりまわってまた元のものに戻っていくサイクルの中にある。薪を焚いて炭酸ガスが出ても、それは一定の範囲の中なら、植物の作用によってまた木に戻る。石油だって石炭だって長期的に見ればやはりつかさどられる神のもとに戻っていく。まだまだ西欧で発達した物理や化学などの知識を祖先が身につける時代ではなかったが、自然環境のサイクルは壊さぬ文明を我々は繰り返してきた。

 ところが原子力利用はこのサイクルに当てはまらないのではないか。孫子の代まで人間はじめ動植物に害を与え続ける核燃料の燃えカスは、どう始末して良いのかその手段や方法さえもわかっていない。こんなものをどんどん作り出すのは、神道的リサイクルにならないとしか言いようがない。核燃料廃棄物はそのものがある限り大祓いして消し去ることができない罪・穢れというべきものだと思う。せめて安全にリサイクルができるまで、しばらくは手をつけるべきではないと私は思っている。

 そのような説をもちだすと、瀬戸物やセメント、プラスチックはどうなるかなどと様々な意見を上げるものもいるだろう。それらのリサイクル技術にも、新しい技術が見つかりつつあるというが、私はそんなことを言っているのではない。昭和天皇が人類を滅亡させると激しく批判された核技術は、我々の信仰から見ても、いまの段階で安易に使ってはならないものだと思う。

 なお、この問題に関しては、私は自分のブログですでにかいている。その詳細はhttp://ashizujimusyo.com/newpage129.htmlを参考にしていただきたい。


 原発の問題、政治論議と信仰論議

 いま、福島の原発が、これから長期にわたって我が国を汚染し続ける見通しが濃厚になったことを受けて、政治的な意味からの核廃絶の動きが激しくなっている。私はこの種の動きにもろ手を挙げて賛成し、共同行為をとるのには躊躇している。なぜなのか。それはこの種の運動が原発廃棄を道具として、実は他の目的をもっているからである。私は日本の政治は日本の国体である天皇陛下の祭りをされるという大きな日本文化の枠組みの中に、政治はそれをこの分野において補佐するように行われなければならないと思うからである。

 日本の国が育んできた自然を素直の肯定し、その動きを大切なものとして、その動きに人間の社会も一体化しながら、協力していき、明日を担うべき我々の子孫のためにも、いまより暮らしやすい環境を作る。

 菅首相の延命工作のように、自分が首相であり続けることが絶対条件で、そのためには政府の責任者としての任務や責任などには頬かむりして、自分の無策には触れようとせずに原発廃棄を利用する。こんなものと混同しないでいただきたい。