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葦津泰國の、私の「視角」

 私は葦津事務所というささやかな出版社の代表です。日常起こっている様々な出来事に、受け取り方や考え方を探ってみます。

日本にある歪んだ舶来礼賛の風潮

2011年01月22日 20時29分23秒 | 私の「時事評論」
世界の常識は日本の非常識


 最近、我が国と近隣諸国との外交関係が円滑に進んでいないことが相次いで表面化して、日本国民の心理を不安なものにしている。


 そんな傾向は以前から目立っていたのだが、特に昨年、終戦時から長く続いていた自民党を中心とする親米追従路線ともいえる国内政権が民主党中心へと代り、それとともに戦後の教科書に書かれているような空想的センスを教えられてきた新しい層が実際に政治を担当する時代になり、その空想に基づく発想の故に、政治も外交もことごとく失敗する事態が呆れるほど露骨に繰り返されるようになって、国民の大半も戦後教育を受けたものなのだが、どうしてこんなに躓くかが分からずに、ストレスばかりが嫌が応にも高まる傾向を見せる時代となった。

 鳩山首相は、日米安保体制がその実体がどんな性格のものであるかとの現状を冷静に見る情報も認識もなく、安易に沖縄の軍事基地を県外または海外に移そうと言いだして米国の厳しい怒りと圧力にあい、挫折して内閣を投げ出した。次いで首相の座に就いた菅首相の内閣も中国の尖閣列島侵略に、国際常識を知った正統な対応ができず、国内での責任逃れで逃げようとした。その日本政府の無策さをあざ笑うかのようにロシアの大統領が北方領土にやってきて、この地はもうロシアのものだと強硬にアピールした。

 国際問題ばかりではない。全共闘のOBたちなど、まるで学級委員会での常識程度しか力のない連中には、まともな国政も国会運営も荷が重い。野党の議員たちとて、似たような戦後教育育ちだ。国会の機能はおかげでマヒして、国政はいつ動くのか見当もつかない状態だ。地方自治体までが、こんな政府の言うことは聞けないとどんどん反旗を翻すようになった。

 国際関係は厳しい。日本がその憲法の前文に記しているように諸外国の日本に対する善意のみに期待し委ねて信頼していたら、どこまで領土や権益が削り取られてしまうかもしれない。そのことにようやく国民は気付き始めたのだが、政府にだけは通じない、加えて突然、南北朝鮮が本格的軍事衝突寸前の状態となり、日本にも大きな影響が襲うかもしれない緊張状態までが訪れた。経済では中国が急速に伸びてきて、日本の確保してきた世界第二位の国民生産もついに中国に抜かれてしまい、スッカリ地位も低下した。

 国際関係がどのような厳しいものであるのか、そんなことを60年間以上もまともに考えてこなかった日本は、まるで江戸末期、政情がついにほころびを見せ始めた幕末に、西欧諸国の黒船が相次いでやってきて鎖国の夢を破られた時のような、国民がそろって、不安な噂ばかりしてうろたえるような状態になってしまっている。



 日本は一種の半鎖国状態を歩んできた

 どうしてこんな馬鹿馬鹿しい悪夢が再度日本に訪れることになったのか。その原因はまず、基本には日本人の伝統的国民性があるだろう。それに大切な視点は日本のたどってきた歴史、そして昭和20年からの米軍統治(敗戦後の日本は占領下にあったが、統治下にあったとするのは言いすぎだという人がいるのかもしれない。だが、主権の行使ができず、全てが占領軍の許可のもとに行われた政治環境のもとにあったこと、それが統治というものであることを知るべきである)が大きく影響しているというべきだと私は思う。

 日本民族はもともと穏やかな国民性を持っている。数千年の歴史を通じて、日本は大陸から離れた島国であったことが幸いし、諸外国のように異民族による征服に遭い、民族が根絶やしにされるような危機も経験もほとんどなく過ごしてきた。国土の中では政権掌握を狙う小さないざこざこそ経験したが、もともと日本列島は外国の侵略を受けにくいうえ、自然発生的な同じような自然を敬う信仰社会になっていて、その信仰の統一者として祭祀王たる天皇の権威がすべてをほぼ統一している地域であった。

 そんな環境のもとでは、かなり極端で乱暴なな指導者が出てきたとしても、その支配者は異民族の征服者のような過酷な立場はとらない。しかも日本を覆っている共通信仰は、神道という自然崇拝を中心とした農業信仰であり、その共同体の長である天皇は、民のためにと日夜神々に豊作を祈るこれまた地域共通の祭祀王であった。

 こんな時代が千年以上も続いた。海は交通の未成熟な時代においては最も安全な天然の要塞である。偶に大陸から海を越え、船に乗って異民族の者がやってきたり、こちらから船で出かけて外国と接する者もいたのだが、それらは人数にしては船数隻に乗れる人数にすぎず、新しい技術や風物を伝え得ても、力を持って我が国を支配する脅威にはなりえなかった。

 世界の歴史を調べてみると、どの地域でも、最初は日本の状態によく似た半閉鎖的な暮らしから始まっている。だが世界はほとんどが陸続きであり、こんな文明を維持していた文化は歴史の中で、互いに民族同士が侵略しあい支配しあって、激しい争いの中につぶれていった。日本だけにそれが島国であるがゆえに残ったということになりそうである。

 かくして日本には封建時代の鎖国制度実施よりはるかに前の時代から、地理的鎖国の状態が続いてきた。これが日本民族に、異民族に対する経験的実感的な恐怖心や憎悪心を生み出さない基本となった。
 海の外の異民族の文化には、大陸と地続きの文明としての相互交流があるために、日本にない優れたものもたくさんあった。そのため偶々新しい文化をもって日本にくる外来人は、舶来の文化と技術を持ってきた憧れの人々と映り、歓迎されることが多かった。さらに日本文化には、その発祥の時代から、客人(まろうど)を親切にもてなす信仰があり、国民性も育っていた。

 かくして日本にはまるでかつてのインカ民族のように、穏やかで独自の自然崇拝の文化を愛し、人を信じやすい国民性が出来上がり、それに加えて舶来品、舶来技術に対する強い憧れの素質が育てられた。

 加えて、日本の政権争奪は、主として武士という専門武装集団のみの間で争われた。天皇を祭祀王とする日本の信仰文化では、共通の信仰として農民を大切にすること、支配する力を得たら、祭祀王たる天皇より、「征夷代将軍」としての政治の支配者である資格を受けてその座に就くという方式までが定まっていた。誰も天皇の座を狙わないし、農民などを巻き込まないことになっていた。天下分け目の大決戦と武士が決戦をするとき、命懸けで戦う武士の敵味方が、戦う場が田や畑であると、互いに声を掛け合って田畑以外に場所を移して一騎打ちをした、あるいは農民たちが合戦の結果を見ようと弁当持参で見学に来たなどという話が各地に残されているような国民意識、それが普通となっていた。



 鎖国の夢破った明治維新

 そんな穏やかな日本民族の心胆を寒からしめるような黒船来襲の時代がきた。日本の政治の支配階級である武士たちには、日本以外の世界の様子を理解している情報を持つ優秀な者もいた。既に猛烈な武装をした西欧の黒船は、数艘で日本全土を焼き尽くす力を持っている。アジア諸国では多くの国が領土を彼らにとられ、住民を奴隷として連れ去られる国が続出していた。彼らは強硬に日本に開国をせまるだろう。このままでは日本は早晩、西欧諸国の植民地にされ大変なことになる。そんな知識も武士たちは持っていた。

 そこで彼らは明治維新を断行し、いままでは共通の祭祀王として抱いていた天皇のもとにまとまった強固な国を作り、進んだ西欧などの技術を急速に取り入れて、アジア独自の日本文化の持つ精神性を大切にし、アジア諸国の先兵として新しい時代を開こうとした。それが明治からの歴史である。

 だが、そんな維新の理想に燃えて、「和魂洋才」をスローガンにして独立国としての建国を夢見た明治以降の日本なのだが、いよいよその歩みを始めるとなると、産業革命などで、日本とは比較にならぬほどの大きな力をものにした西欧白人文化へすっかり心を奪われ、単純にそれに追随しようとする空気が急速に日本にはびこることとなった。
 維新の立役者であった西郷隆盛が野に下り、討ち死にをした西南の役などは、そんな日本の維新の精神が、「洋魂洋才」の明治以来の舶来崇拝者である新政府関係者に敗れて散った一つの歴史だが、こんな「鹿鳴館」に象徴される傾向は年を追うごとに強まって、やがて日本国の大半が舶来思想にスッカリ占拠された時代になり、昭和に入って、そんな連中が世界大戦を起こして米英中ソなどに負けてしまった。

 私は理想を追いかけようとした日本が、いつしか有色人種の国でありながら、そこに育んだ貴重なものを評価して、独自の繁栄を模索するよりも、舶来崇拝の思想におかされて国を滅ぼした原因も、ここに述べたような日本に育まれてきた島国根性・舶来尊崇思考にあるように感じている。



 舶来崇拝風潮を利用した占領統治と洗脳

 日本に勝ち、日本を占領した米国は、明治以来、西欧の既得権に歯向かい、欧米の発展の妨害になってきた日本を徹底的に骨抜きし、二度とたてないように弱体化することに全力を入れた。その方針は米国が日本との交戦中から周到に準備してきたものだが、細かいところには今回は触れず、別の機会に譲りたい。占領は有史以来の日本は常に悪玉で封建的で時代遅れ、較べて戦勝した諸国はみな正義を愛する善玉だったと日本人の心の底にある舶来尊重意識をうまく使って、日本人を徹底的に洗脳することを中心にしていた。

 日本のみが悪い国で、世界の侵略を試みたからこんな戦争になった。日本人のみが時代遅れで、個人の自由より社会の奉仕を優先し、先輩の言うことを聞き、親の言うことを聞き、世間のことを気にして生きてきた。だから、こんな封建的な国になってしまった。こんな非常識なことが公然と宣伝され人々の頭に叩き込まれ、学校などで教えられた。相当非常識な記述だが、こんな宣伝が毎日毎日、占領軍に活動を許可されたマスコミや政府や自治体、戦後の知識人や学校などで絶え間なく宣伝され、それ以前の日本指導者は追放された。これで鳩山さんや菅さんばかりではなく、日本人が徹底的に洗脳されてきた。

 その上に社会がまとまり力をつけるのを恐れ、無茶苦茶なここの個人の自由ばかりを認めたので、結局国がまとまらなくなり社会が混乱して、ついには鬼子のナチスまでが生まれる土壌になった前科を持つあのワイマール憲法の焼き直しのような憲法までが押し付けられ、しかもその前文には、外国を信頼して流れについていけば、幸せに生きていけるとの、ご丁寧な宣言までがつけられた。こんな宣伝と法のもとの環境が、その後65年も続いたことを忘れてはならない。



 安保は日本のためにあるのではない

 以上が私のごくあらましの歴史理解だ。戦後の時代はこんな流れの上に、米国の占領政治に従順な戦後の政治家たち、ついこの前までの自民党中心の政治環境のもとに親米路線として続けられてきた。だが時の流れとともに、たとえば東西冷戦が終わるなど、この路線も度々変更修正を重ねてきたが、所詮は日本の文化との間には断絶も深い。そのためについには力が尽きて、おかげさまでというか、こんな占領軍の洗脳教育のもとで少年時代から今までを過ごし、それを信じてきた占領当時に、占領軍が骨抜き日本人として描いていたような政治家が新たに政権についたから、こんなバカげた政策選択がされるのは当然のことなのかもしれない。

 こんな観点から沖縄基地の問題を見れば、これは躓くべくして躓いたのがよくわかる。米国が許可して日本の主権を回復したときに、米国は日本にアジア支配の子分となることを日本政府に強制した。その残骸が日米安保条約体制である。安保条約は日本の安全を米国が守ってやることを決めた条約だと言われているが、基地が沖縄に集中しているのはなぜなのか。米国が日本そのものよりも台湾や中国、韓国など諸国やその周辺ににらみを利かすためであることは明瞭である。駐留軍が海兵隊と空軍中心になっているのもそのためだ。逆に日本の危機の時に、米国が必ず支援する義務があるとは当の米国だって考えていないだろう。日本は未だに米国衛星国のひとつなのだ。それを簡単に動かせると思った鳩山首相のほうが準備不足であった。



 外国は日本のために動くのではない

 国際関係を論ずるときにも国とは何か、国際法とは何なのかをしっかり知っておかなければならない。国とはその国の領土を護り、自国民の生命財産安全を守ることを第一とする。そのためお互いに利益はしばしば対立しがちなものである。国際関係は一つの権威のもとに各国が存在するのではなく、それぞれが基本的には自分の力で自分を護ることを原則として、国々が競い合い、ものによって時には利益が合うときは協力もしあう、独立した国と国として協議するためのものだ。
 だから国連や国際裁判所等の組織はあるにせよ、相手に強制する権威などは存在しないと考えるのが普通である。相手がそれを護らないときは、武力に訴えても守らせる。それが法を守らせる力となる。国際法は協議が一致しない時の武力行使、戦争を解決の手段として認めている。

 菅内閣の日中尖閣列島紛争が良い例である。国際法上の領土としてはこの列島は日本の領土とほぼ世界に認められている。ただ、中国などが最近、無理を承知で横から領土権の主張を始めたので、にわかにいま、問題となっている。だからこの領土への今回のような侵犯事件のときは、日本として絶対にしなければならないのはどのようなことがあっても、断固、領土侵犯を阻止する行動である。それがなければこの列島も、いずれはロシアに不法に占拠されている北方領土のような立場にされ、日本は遠吠えするだけで手も足も出ない状態になる。



 憲法の前文は空想の作文なのだ

 憲法の前文にあるような可笑しな論理が我が国にあるので、我が国には日本の国だけで通用して、世界から見ればとんでもない非常識と見えるものの考えやそれに基づく頭った情報が多すぎる。
 政府やマスコミの発表する情報などにはこの種のものが多く、現実の国際間の情報を知るためには、日本国内の情報ではなく、世界の共通認識を一度見なければまともな国際問題の論議ができないようなことが多い。それは世界から、日本の常識は外国の非常識などと評される始末である。

 これは日本の国が力がなく弱腰で、本当はそうでないことを感じながら、国民に厳しい態度をとれないでいるのを知られたくないために、判断の基礎であるべき情報自体までを、政府やマスコミが歪曲して発表すること、あるいは外国から押し付けられた歪められた認識をそのまま情報として流すことが多いためだと言わざるを得ない。

 マスコミなども日本では昔から、権力に真っ向から立ち向かって真実を伝える覇気がなく、脅されないためにあくまで真実を追求して報道しようとしない体質は濃厚だと言わざるを得ない。この問題も今回は触れないことにしておくが。

 こんなマスコミや政治が出てきた根源はどこにあるのか。私はその根源を、昭和時代の戦争と、それにつづいた占領政策にある。さらにさかのぼればそれは鎖国の中を歩んできた日本の歴史にも遠因があるのではないかと思っているのだがどうだろうか。

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