< 4月27日、震災以来一日も早く被災者たちを見舞い励ましたいとの強いご意向を持たれながらも、救済活動の迷惑になってはならぬと遠慮しておられた天皇・皇后両陛下が震災後初めて東北の地に入られ、宮城県下に行幸された。
両陛下は南三陸町の震災地を訪ねられ、その災害の激しさを目の当たりにされ、現地で犠牲者たちに黙とうをささげられたのち、同町の被災者を見舞われ、仙台に向かわれて、同じく避難している被災者たち一人一人に親しく状況をお聞きになり励まされた。
天皇皇后両陛下のお見舞いに、被災者たちは感激、涙を流すものも多く見られた。両陛下は被災者から、細かい震災当時の話を聞きはげましておられたが、中の一人の婦人は、皇后陛下に震災に遭った我が家の敷地に咲いていた、水仙の花を差し出した。皇后陛下は笑顔でこれを受け取られ、大切に胸に抱いて会場を後にされた。
陛下は地元の人に気を遣われて行幸は日帰り。自衛隊の航空機でその夜羽田空港に着かれた皇后さまはその花をしっかり持って皇居に戻られた。皇后陛下と水仙の花は、先の関西大震災のお見舞いのとき、皇后さまが皇居に咲いていた水仙の花を持参され、そっと犠牲者たちに供えられたという皇后さまの優しいお心を象徴する思い出の花。贈った夫人ももちろん、当時のこのエピソードを覚えていて、両陛下のお気持ちをありがたく受け取ったとの思いを託してこの花を差し上げたのだと思われる。日本の皇室と国民との深い心の結びつきの質を強く感じさせる出来事であった。
すべてを国民のために
天皇陛下は、東北・関東大震災による国民の被災に心を痛められ、たびたび被災者に励ましのお言葉を述べられる、国民が協力して一刻も早くこの災難から立ち直ることをお望みになるお言葉を述べられ、さらに那須御用邸のお風呂を被災者たちに開放し、牧場や農場の食料などを被災者に提供され、東北・北関東の被災者たちに強いご支援のお心を寄せられてきている。また震災に伴い生じている電力不足にも率先して協力のご意向を漏らされて実行され、国民が協力して立ち上がろうと励まし続けておられる。
災害を受けた人々には格別に深いお心を寄せられ、震災の直後より一刻も早く見舞いをしたいとのお気持ちを示されていた。ただ、自分が見舞いに行くことによって、災害復旧などに支障があってはならないと御懸念され、災害以来、東北から避難をして首都圏に来た被災者たちの見舞いなどを続けられて、皆を励まして回られてきていた。両陛下のこの種の見舞いだけでも二十数回を数えていた。
災害も一カ月を過ぎ、去る14日には津波にあった千葉県の旭市に行かれ、22日には茨城県きた茨木市に行幸され、関東地方の行幸ののち、今回宮城県に行かれたが、予定によると、この後、5月2日には岩手県に向かわれ、釜石、宮古市などに行幸され、11日には福島県にお入りになることになっている。
無私という陛下の特別なお立場
震災の被災者たちをお見舞いになる両陛下の行幸が、被災者たちの感激を呼び起こしているのは特筆すべきことである。同じ時期、首相や大臣などが被災者への見舞いに出かけたケースとこれを比較すると、まさに天地の違いがある。
天皇さま皇后さまが、被災者たちの前に同じ目線の高さになるように膝をつき、腰をかがめてお話になるのが、国民の胸を打つ大きな成果を上げているとの指摘はマスコミなどでよく指摘されるところである。
もちろんそれもあるだろう。だがそれだけではない。だが、天皇・皇后のこの種の行幸には、そんな演出などはみじんもなく、お人柄が国民の心に大きな感動を与えると見るのが正しいと思う。より正確にいえば、その背後には日本に流れる皇室と国民の相互信頼の深くして長い歴史の作り上げた日本国の意識構造がある。天皇陛下は諸外国の王様とはまったく違って、国民のために常に自分を無にしてひたすら祈り、案じ、国民のことを神に祈られている唯一のお方である。日本国にだけ存在する全国民の上にあって、己を捨てて国民のために常に祈り続けられる存在であるとの意識、そのお立場を我々国民は祀り主とお呼びするが、そんなお方が日本には連綿と続いて存在している。我々ばかりではなく、数千年の昔から、我々の先祖たちも同じように皇室というものを抱いてきた。そしてこれは日本が日本である限り、続いていくものなのだ。そんな信念が生きており、それに基づく深い信頼感を我々国民が信じているからだと言わなければなるまい。
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両陛下は南三陸町の震災地を訪ねられ、その災害の激しさを目の当たりにされ、現地で犠牲者たちに黙とうをささげられたのち、同町の被災者を見舞われ、仙台に向かわれて、同じく避難している被災者たち一人一人に親しく状況をお聞きになり励まされた。
天皇皇后両陛下のお見舞いに、被災者たちは感激、涙を流すものも多く見られた。両陛下は被災者から、細かい震災当時の話を聞きはげましておられたが、中の一人の婦人は、皇后陛下に震災に遭った我が家の敷地に咲いていた、水仙の花を差し出した。皇后陛下は笑顔でこれを受け取られ、大切に胸に抱いて会場を後にされた。
陛下は地元の人に気を遣われて行幸は日帰り。自衛隊の航空機でその夜羽田空港に着かれた皇后さまはその花をしっかり持って皇居に戻られた。皇后陛下と水仙の花は、先の関西大震災のお見舞いのとき、皇后さまが皇居に咲いていた水仙の花を持参され、そっと犠牲者たちに供えられたという皇后さまの優しいお心を象徴する思い出の花。贈った夫人ももちろん、当時のこのエピソードを覚えていて、両陛下のお気持ちをありがたく受け取ったとの思いを託してこの花を差し上げたのだと思われる。日本の皇室と国民との深い心の結びつきの質を強く感じさせる出来事であった。
すべてを国民のために
天皇陛下は、東北・関東大震災による国民の被災に心を痛められ、たびたび被災者に励ましのお言葉を述べられる、国民が協力して一刻も早くこの災難から立ち直ることをお望みになるお言葉を述べられ、さらに那須御用邸のお風呂を被災者たちに開放し、牧場や農場の食料などを被災者に提供され、東北・北関東の被災者たちに強いご支援のお心を寄せられてきている。また震災に伴い生じている電力不足にも率先して協力のご意向を漏らされて実行され、国民が協力して立ち上がろうと励まし続けておられる。
災害を受けた人々には格別に深いお心を寄せられ、震災の直後より一刻も早く見舞いをしたいとのお気持ちを示されていた。ただ、自分が見舞いに行くことによって、災害復旧などに支障があってはならないと御懸念され、災害以来、東北から避難をして首都圏に来た被災者たちの見舞いなどを続けられて、皆を励まして回られてきていた。両陛下のこの種の見舞いだけでも二十数回を数えていた。
災害も一カ月を過ぎ、去る14日には津波にあった千葉県の旭市に行かれ、22日には茨城県きた茨木市に行幸され、関東地方の行幸ののち、今回宮城県に行かれたが、予定によると、この後、5月2日には岩手県に向かわれ、釜石、宮古市などに行幸され、11日には福島県にお入りになることになっている。
無私という陛下の特別なお立場
震災の被災者たちをお見舞いになる両陛下の行幸が、被災者たちの感激を呼び起こしているのは特筆すべきことである。同じ時期、首相や大臣などが被災者への見舞いに出かけたケースとこれを比較すると、まさに天地の違いがある。
天皇さま皇后さまが、被災者たちの前に同じ目線の高さになるように膝をつき、腰をかがめてお話になるのが、国民の胸を打つ大きな成果を上げているとの指摘はマスコミなどでよく指摘されるところである。
もちろんそれもあるだろう。だがそれだけではない。だが、天皇・皇后のこの種の行幸には、そんな演出などはみじんもなく、お人柄が国民の心に大きな感動を与えると見るのが正しいと思う。より正確にいえば、その背後には日本に流れる皇室と国民の相互信頼の深くして長い歴史の作り上げた日本国の意識構造がある。天皇陛下は諸外国の王様とはまったく違って、国民のために常に自分を無にしてひたすら祈り、案じ、国民のことを神に祈られている唯一のお方である。日本国にだけ存在する全国民の上にあって、己を捨てて国民のために常に祈り続けられる存在であるとの意識、そのお立場を我々国民は祀り主とお呼びするが、そんなお方が日本には連綿と続いて存在している。我々ばかりではなく、数千年の昔から、我々の先祖たちも同じように皇室というものを抱いてきた。そしてこれは日本が日本である限り、続いていくものなのだ。そんな信念が生きており、それに基づく深い信頼感を我々国民が信じているからだと言わなければなるまい。
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