大久保通りに面して、旧第一信用金庫本店のすぐ近くにあった洋館。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/41/a7/5442aacdb84742cbe6998994d2bbaf47.jpg)
大蔵省印刷局柳町寮(旧斉藤邸)
所在地:新宿区市谷山伏町2
建設年:大正初期
構造・階数:木2
Photo 1995.6.3
今回訪れたら残念ながら建物は全てなくなり、更地になっていた。「ニッポン懐景録」内の「新宿区市谷柳町周辺」というページには、昨年4月撮影の写真が掲載されている。Netで得られた情報を総合すると、どうやら昨年夏までは存在していたようだが、2005年の秋頃に取り壊されたらしい。
屋根は寄棟瓦葺きなので、遠目に見ると洋館という感じではないのだが、外壁はタイル貼りで、観音開きの大きなガラス窓が多用されている。総二階建てに近く、見かけよりは大きく堂々とした建物。また、最後の頃はアコーディオン型の門扉に替えられていたが、10年ほど前のこの写真では立派な木の門扉で、御屋敷然とした風格の漂うお家だった。
大蔵省印刷局の寮だったとのこと。幹部の社宅だったのだろうか?、それともルームシェア?。寮としてどのように使っていたのかは知らないが、昨今の財政再建のために行われた、都心の低未利用地の、再開発もしくは売却の一環だとしたら、とても残念な話だ。
Tokyo Lost Architecture #失われた建物 新宿区 #住宅系 #洋館・洋風住宅
建築は明治から大正年代で当時のオーナーは斉藤万平(名前の綴りは違うかもしれません)。日比谷地区での薬局経営で財をなした人物といわれています。
その後同家の衰退にともない官へと所有権が移り、戦前は軍の施設としても使用されていたようです。
解体は2006年の8月です。現在は国立行政法人印刷局の所有で5月に入札による競売にかけられます。
情報をありがとうございます。
もともと個人宅だったのが、そのような経緯で官の施設になったのですか。全く知りませんでした。
解体もこの記事、2006年9月のほんの少し前だったのですね。
しかし、更地にしてから競売にかける必要はあったのかしら?
建物込みで購入させて、レストランとかにして貰う手もあったのではないかと思ってしまいます。無理だったのかなぁ。
薬局がありますが