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故・金平正紀会長の忘れ形見に逢って来た⑥<br>協栄スイミング・プールを泳ぐ

2005年03月14日 | 生活
ロッカーに入ると、またも先客から挨拶され。
もうすっかり、こっちも物怖じせず挨拶返し。ほんと、こういうトコロは地域型クラブの良い部分ですな。

着替え終わって、受け付けへ。
感じの良いスタッフさんに見送られ、ボクシングリングの脇を通って出口へ。

「善き事業」「スポーツ貢献」といった故・金平会長の言葉が浮かんでくる。

「協栄スイミング・プール」は、確かに町田という関東のベッドタウンで、地域に根ざした「スポーツ振興施設」として存在していた。

周辺に学校、団地であれだけ囲まれていたら、入会者は絶えないだろう。

「生涯スポーツ」「子供の健康促進」にと、水泳を進める動きは益々増えるだろうし。
また、「喘息の子供を丈夫にしようと」始めさせたら思わぬ才能が眠っていて、元気になるとともに選手として成長、ひいては五輪に出る程に・・・なんて話だってあるそうですから。

少し前から、協栄さんが「ボクシングを生涯スポーツに」なんて言って「ボクス・エクササイズ」を振興されてるのも「生涯スポーツ」として定着している「水泳」における「協栄スイミング・クラブ」の安定ぶりがヒントになってるのでは?・・・なんて、また勝手な深読みしてしまうワタクシなのでした。

停留所でバスを待ちながら、そんな事を延々と考えていた。

小田急町田駅から、新宿行きの急行に乗る。
「ただ、プールで泳ぐだけ」の為の遠出は終わった。
我ながら、まったく物好きだと思いますよ。

ボクシングジムが隣接している以外は、実に普通でローカルな(失礼!)スイミングプールであった。

そのローカルでフレンドリーな雰囲気は、このプールが長く地元の方々に愛されている証しのようにも感じられた。

故・金平正紀会長の「善き事業」は立派に息づいていた・・・。
良い出会いだった・・・・。

相変わらず独り善がりな自己満足な感想を抱きつつ、町田詣では終わりつつある。

余程の事が無い限り、もうあのプールで泳ぐ事も無いかもしれないが。
どうか、これからも長らく存続し続けて欲しい。地元の方々の心身の健康を支えて欲しい・・・。

そんな事を願いつつ、町田レポートを終わりにしたいと思ったのでした。

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