あるBOX(改)

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宇多田ヒカルと倉橋ヨエコを繋ぐもの

2006年12月04日 | 生活
両者の関連性は・・・?

名前がカタカナ?
いやいや、そうじゃない。確かに両者とも苗字が漢字で名前がカタカナだが。
それを言ったら「山咲トオル」だって同じじゃないか。
いやいや、そうじゃなくて。

名盤アルバム「ただいま」で、ヨエッコ熱が再燃し、また色々と検索してみたのだが。

※すみません、白状すると、メジャー移籍第一作の「東京ピアノ」が
 イマイチ嵌ってなかったのです。
 急にバックが上手くなって、カッチリしちゃったし、ジャズ風味も
 コナれ過ぎて「ヤサグレ感」なくなったし、それをバックに歌うヨエコさんは
 「ジャズの女王」みたいで落ち着き過ぎたように感じたし。
 一曲目の「ハネたリズム」にもギョッとしたし。

 でも、良く聴くと
 ♪私をロボットにし~て、ロボットにし~て♪なんてサビが
 胸に染みる「ロボット」とか、
 ♪私なんて いないもいっしょ いないもいっしょ♪と歌う
 「ここにいる」などの佳曲が たくさんなワケで。
 申し訳ありませんでした・・・と聴き返す日々なのですが。

――そんで
色々と、ヨエッコ・インタビューなどを読む機会もあり。
彼女が創作を始めるキッカケになった「熊谷幸子」という歌手への憧れを知る事になったのだが。

熊谷幸子・・・耳馴染みの薄いお名前だったが、その名でコレまた検索すると「第二のユーミンと期待された才能」だったとか。

ヨエコさんが「アルバム1枚、全ての曲に魅了された」って語るほどの才能。
我ながら、自分の無知さに感心(まぁ、邦楽にゃ殆ど無関心だったからなぁ・・・。「名盤」と言われる1stアルバムを探さなきゃ)。

ドラマ・タイアップ曲などヒットもあり「大衆性の獲得」へ、プロデューサーと奮闘するなか、疲れ果て、第一線から退き・・・。

「結婚を期に」って事だったが、その相手がレコード会社の担当プロデューサー。

その方が、後の「宇多田ヒカル」担当プロデューサーで。

奇しくも。
ヨエコさんが出演するラジオ番組で、気を利かせたスタッフが「熊谷幸子」さんを声のゲストとして登場させた事があるそうだが。

感激するヨエコさんと、「自分を敬愛して歌手になった後輩」に対する慈愛を見せた熊谷さん。

激励しながらも「最近、いい童謡が無いから、作って下さい」と、母親となった熊谷さんから注文があったそうで。

その後、宇多田ヒカル作の「ぼくはくま」が発売されたと考えると、実に感慨深いモノがありますな。

熊谷さんの旦那が、ヒカルちゃんに「童謡作曲」勧めたのか?・・・とかね。

――しかし
ヨエッコの童謡・・・・か。
聴きたいようなコワイような。

「かごめかごめ」みたいな怖い曲になりそうな気がするんだよなぁ(笑)。←だからオマエがイメージ限定してるんだろうがっ!!

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