あるBOX(改)

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イメージの限定、または拡散

2006年12月04日 | 生活
ヨエッコPVのインパクトに感銘を受けながらも
「イメージ限定」の危機を憂るワタクシ。

素晴らしきアングラ臭が漂うアニメ。エグイ映像ストーリー。
素晴らしい、私は大好きです。

しかし、しかし・・・これでは「大衆受け」は望めないのでは?

元々、倉橋ヨエコと言う歌手は「対象の特定」を歌詞において行っていない人なのではないのか?

彼女は「あのコ」と歌うが。
普通、若い女性が歌う「あのコ」なんて、対象は分り切っているのだが。
「あの子」かも知れないし、「あのこ」かも知れないし、「あの女(こ)」かも知れないし、「あの男(こ)」かも知れないし。こんなコト言ってる時点でヤボだし。

ヨエコさんが歌う「あなた」だって。
「貴方」かも知れないし、「貴女」かも知れないし、「貴男」かも知れないし、「アナタ」かも知れないし。

聞き手によって どうとでも受け取れる要素こそ「万人受け」への第一歩な気がするのです。
イイ意味での「万人受け」。

ヨエコさんにも、その要素はあると思うのです。

「楯」での
♪空に向かって 手を広げる事しか 出来ない~の ごめんね ごめんね♪
♪いつかは楯になる あなたの楯になる♪

・・・の一節。
凄まじい普遍性を感じるのは、私だけか?
一部のファンで独占するには勿体なさ過ぎると思いますぞ。

もう、「世界音楽祭」に出場してほしい程ですぞ。
因幡晃の「わかってください」くらいのインパクトだぞ。

――その「普遍性」って意味で
ふたたび頭に浮かんでくるのが、宇多田ヒカルの「ぼくはくま」だ。

そこで歌われる「くま」は、受け手それぞれによって思い当たる対象が変わる。
宇多田ヒカルがプレゼントで貰った「くまのぬいぐるみ」の余りの可愛さに、作った歌・・・と言われているが。

結果として「対象を特定しない」名曲を作り上げたとしたら、やっぱヒカルちゃんは天才だ。

倉橋ヨエコという歌手にも、その資質はあると思うのだが。

まぁ、衛星放送の音楽チャンネルなどでしか流れないPVにガタガタ言っても仕方ないのだが。

優れた才能の共有という意味では、やはり数多くのリスナーの耳に彼女の歌が届いてほしい・・・と考えてしまう、今日この頃。

――やっぱ「世界音楽祭」出場しかないかなぁ。

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