「やつらを喋りたおせ! レニー・ブルース自伝」
レニー・ブルース/著 藤本和子/訳
出版社名:晶文社
出版年月:1977年
ストーンズのキース・リチャーズは同書に「最も影響を受けた」と
語り。
フランク・ザッパは自らのレーベルからレニーのレコードを発売。
ダスティン・ホフマンはレニーの生涯を映画化し、主演も果たす。
立川談志はレニーへのシンパシーを隠さず。
ビートたけしは「俺はレニー・ブルースになる!」と宣言しながら
一向に叶わない。
それが伝説のマシンガントークコメディアン「レニー・ブルース」。
その数奇な人生を彼自ら書き起こした自伝。
原題は「How to talk dirty and influence people」
ユダヤ系の貧民街生まれ。
幼少期から青年期、そしてアメリカのショウ・ビジネスの世界に
生き、わいせつ罪と麻薬法違反に問われながら1964年自宅で
変死を遂げるまで。
300頁する分厚い本だがジワジワと読み切った。
※また文字が小さくて詰まってるのよ!
実は10年以上前に古本で買った「やつらを喋りたおせ!」。
遂に読破を決意。電車やバスに乗る時、ここ最近はバッグに
この本を忍ばせての移動。
ワールドディスクがある目白への電車移動中、遂に読み終えた。
レニー・ブルースは、50年代から60年代にかけて、アメリカで
性、宗教、人種、政治などの問題を徹底して追求したスタンダップ・
コメディアンだ。
※談志師匠も若い頃キャバレーでスーツ着て近い事をやったそうだ
黒人客を目の前に黒人差別用語を放つ。もちろんユダヤ人にも。
卑猥語も使い、それに耐えられない「良識的な観客」は席を立つ。
その社会風刺の精神は崇高・猥雑・幼児性と一筋縄では
いかない特性を孕んでいたと思う。
ついに、警察機関から目をつけられた彼は法的弾圧を受ける。
彼は、言論を巡る戦いに没頭してゆく。
弁護人、医師、裁判官も登場し、実況が始まる。
それは後のフランク・ザッパのようだ。
※アンチ・ドラッグ派のザッパは、より賢明だったが。
自然かつ種の保存において必要不可欠な性行為表現を法律や良識で
縛る社会のおかしさ、そういうことをレニー・ブルースは主張する。
「子供を育てる乳房、それが写真に収まると猥褻となる」
ナイトクラブなどで社会風刺のきいたスタンドアップ・コメディーを
披露するレニー。
青年時代にダンサーの家族を紹介する司会をアドリブでこなし、その
才能を発揮し始めたという。
後の本業も、いつも即興でやっていくという独自のスタイルで、
英国でも米国でも好事家から高い評価を受けるに至る。
猥褻裁判についても著名人は抗議文に署名。
ウッディ・アレン、ボブ・ディラン、エリザベス・テイラー、
ノーマン・メイラー、アーサー・ミラー、ヘンリー・ミラー、
アレン・ギンズバーグなど、そうそうたるメンバーが名を連ねた。
自伝には、ここで挙げた人物の他にも多数書かれている。
もっとも「私のファンじゃない人も含めて」と注訳が付いているのが
彼らしい。
レニーが嫌いでも表現の自由は守りたいという人が居たのだろう。
散々、医師や弁護人と共に肉体的クリーンさと話術の正当性を訴え
続けたレニーだったが。
最後は腕に注射器を刺した状態でオーバードーズ。
「殺された」「自殺」「事故死」
あらゆる死因が語られたが、あっさり死んだ印象は変わらない。
最後の締めが切ない。
ステージでは客と繋がってたが、終われば掻き分けるように去り
一人っきりだった・・・と。
まるでジャニス・ジョップリンじゃないか。
彼の死をそういう括りで語って欲しくなかったが、
この本の最後は本人以外の、そんな文章で終わっている・・・。
レニー・ブルース/著 藤本和子/訳
出版社名:晶文社
出版年月:1977年
ストーンズのキース・リチャーズは同書に「最も影響を受けた」と
語り。
フランク・ザッパは自らのレーベルからレニーのレコードを発売。
ダスティン・ホフマンはレニーの生涯を映画化し、主演も果たす。
立川談志はレニーへのシンパシーを隠さず。
ビートたけしは「俺はレニー・ブルースになる!」と宣言しながら
一向に叶わない。
それが伝説のマシンガントークコメディアン「レニー・ブルース」。
その数奇な人生を彼自ら書き起こした自伝。
原題は「How to talk dirty and influence people」
ユダヤ系の貧民街生まれ。
幼少期から青年期、そしてアメリカのショウ・ビジネスの世界に
生き、わいせつ罪と麻薬法違反に問われながら1964年自宅で
変死を遂げるまで。
300頁する分厚い本だがジワジワと読み切った。
※また文字が小さくて詰まってるのよ!
実は10年以上前に古本で買った「やつらを喋りたおせ!」。
遂に読破を決意。電車やバスに乗る時、ここ最近はバッグに
この本を忍ばせての移動。
ワールドディスクがある目白への電車移動中、遂に読み終えた。
レニー・ブルースは、50年代から60年代にかけて、アメリカで
性、宗教、人種、政治などの問題を徹底して追求したスタンダップ・
コメディアンだ。
※談志師匠も若い頃キャバレーでスーツ着て近い事をやったそうだ
黒人客を目の前に黒人差別用語を放つ。もちろんユダヤ人にも。
卑猥語も使い、それに耐えられない「良識的な観客」は席を立つ。
その社会風刺の精神は崇高・猥雑・幼児性と一筋縄では
いかない特性を孕んでいたと思う。
ついに、警察機関から目をつけられた彼は法的弾圧を受ける。
彼は、言論を巡る戦いに没頭してゆく。
弁護人、医師、裁判官も登場し、実況が始まる。
それは後のフランク・ザッパのようだ。
※アンチ・ドラッグ派のザッパは、より賢明だったが。
自然かつ種の保存において必要不可欠な性行為表現を法律や良識で
縛る社会のおかしさ、そういうことをレニー・ブルースは主張する。
「子供を育てる乳房、それが写真に収まると猥褻となる」
ナイトクラブなどで社会風刺のきいたスタンドアップ・コメディーを
披露するレニー。
青年時代にダンサーの家族を紹介する司会をアドリブでこなし、その
才能を発揮し始めたという。
後の本業も、いつも即興でやっていくという独自のスタイルで、
英国でも米国でも好事家から高い評価を受けるに至る。
猥褻裁判についても著名人は抗議文に署名。
ウッディ・アレン、ボブ・ディラン、エリザベス・テイラー、
ノーマン・メイラー、アーサー・ミラー、ヘンリー・ミラー、
アレン・ギンズバーグなど、そうそうたるメンバーが名を連ねた。
自伝には、ここで挙げた人物の他にも多数書かれている。
もっとも「私のファンじゃない人も含めて」と注訳が付いているのが
彼らしい。
レニーが嫌いでも表現の自由は守りたいという人が居たのだろう。
散々、医師や弁護人と共に肉体的クリーンさと話術の正当性を訴え
続けたレニーだったが。
最後は腕に注射器を刺した状態でオーバードーズ。
「殺された」「自殺」「事故死」
あらゆる死因が語られたが、あっさり死んだ印象は変わらない。
最後の締めが切ない。
ステージでは客と繋がってたが、終われば掻き分けるように去り
一人っきりだった・・・と。
まるでジャニス・ジョップリンじゃないか。
彼の死をそういう括りで語って欲しくなかったが、
この本の最後は本人以外の、そんな文章で終わっている・・・。
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