2004年アテネ直後も「競泳伝道師」として精力的に国内試合に出場した代表
選手達、疲労も心配されたが、五輪向けの練習の余韻か、驚くほどに好調な
タイムを記録。
北島も例外では無く、ユニバシアードクラスの大会では、メドレーリレーで
自由形を披露するサービス精神も見せた。
この時期は、大きな大会ではなくても「五輪メダリスト出場」となると会場は
埋まり、ましてや2冠・北島登場となると、異例の満員になる事もあった。
そのせいか分からないが、大会入場料も、しっかり値上げになったのでした。
(選手の育成などに使われるのならイイですんけどね)
北島も、海外選手招待大会で50m平泳ぎに精力的に出場するなど、
リフレッシュを目指す姿勢が見えたが、その裏では五輪2冠による
「燃え尽き感」もあったようで、それが練習量の不足や負傷に繋がって
いったとの事。
個人的には、「スピード強化」を掲げての50m参戦も、「ゆっくり大きく
泳ぎを伸ばす」北島の本来の泳ぎのはそぐわなかったと思うのだが
いまとなっては「気分転換」としてOKだったんだろうなぁ。
O・リソゴールら「専門家」には敗れたが・・・。
そして受難の2005年。
世界戦主権の選考を兼ねた日本選手権の200m平泳ぎ決勝で、まさかの3位。
同競技の世界選手権出場を逃す屈辱を味わった。
(ゴール後の憔悴した表情が忘れられないなぁ)
ただし、続く100mでは意地の泳ぎで出場権を奪取。
この時のスタート前の表情・目つきが、200mの時とは別人のように鋭かった
のが印象的。
本当に「気持ち」「顔」「目力」で泳ぐ人なんだなぁ・・・と感じ入った
ものでした。
選手達、疲労も心配されたが、五輪向けの練習の余韻か、驚くほどに好調な
タイムを記録。
北島も例外では無く、ユニバシアードクラスの大会では、メドレーリレーで
自由形を披露するサービス精神も見せた。
この時期は、大きな大会ではなくても「五輪メダリスト出場」となると会場は
埋まり、ましてや2冠・北島登場となると、異例の満員になる事もあった。
そのせいか分からないが、大会入場料も、しっかり値上げになったのでした。
(選手の育成などに使われるのならイイですんけどね)
北島も、海外選手招待大会で50m平泳ぎに精力的に出場するなど、
リフレッシュを目指す姿勢が見えたが、その裏では五輪2冠による
「燃え尽き感」もあったようで、それが練習量の不足や負傷に繋がって
いったとの事。
個人的には、「スピード強化」を掲げての50m参戦も、「ゆっくり大きく
泳ぎを伸ばす」北島の本来の泳ぎのはそぐわなかったと思うのだが
いまとなっては「気分転換」としてOKだったんだろうなぁ。
O・リソゴールら「専門家」には敗れたが・・・。
そして受難の2005年。
世界戦主権の選考を兼ねた日本選手権の200m平泳ぎ決勝で、まさかの3位。
同競技の世界選手権出場を逃す屈辱を味わった。
(ゴール後の憔悴した表情が忘れられないなぁ)
ただし、続く100mでは意地の泳ぎで出場権を奪取。
この時のスタート前の表情・目つきが、200mの時とは別人のように鋭かった
のが印象的。
本当に「気持ち」「顔」「目力」で泳ぐ人なんだなぁ・・・と感じ入った
ものでした。
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