あるBOX(改)

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次のボクシング殿堂入りは

2014年12月13日 | ボクシング
柴田国明さんが選出されて欲しいなぁ。
名門ヨネクラジムが生んだ初の世界王者で、敵地メキシコで英雄=
ビセンテ・サルディバルから王座を奪取し、その後2階級制覇に
成功するなど、素晴らしい実績を残した選手ですから。



3度世界王座を奪取したうち、2度が日本国外での獲得と、
日本選手の中では抜群の実績。
強打とスナッピーなパンチ、リズミカルでシャープなボディワークは
天才的。今で言えば「抜群の身体能力の持ち主」だった。

Fe級王座の初防衛戦では衝撃的な初回KOでファンの度肝を抜いたし、
異名となった「天才パンチャー」ぶりはツボにハマると痛快な試合を生んだ。

対戦相手も、サルディバル(峠を超えていたが)、エレネスト・
マルセル(分の悪い引き分け)、ベン・ビラフロア(1勝1敗)、
リカルド・アルレドンド(日本人キラーをポイントアウト)、
ビクトル・エチュガレイ(踏み込めず苦戦)、アルフレド・
エスカレラ(KO負け)・・・と多種彩々。

苦しい試合も多かったが、
マルセルは後に若きアルゲリョを破る隠れた名選手だし、
エチュガレィもビラフロアと引き分けた優れたジャバーだった。

柴田自身、Feの3度目防衛戦でクレメンテ・サンチェスにワンパンチで
倒されたり、ビラフロアには再戦で初回KOされるなどアゴに弱点を抱えていたが。

「柴田に強いアゴと、もう少し身長とリーチがあれば、超一流の世界王者だった」
・・・なんて事も良く言われたモノでした。
※「超」なんて付くと、
 それこそマンシーニやリディック・ボウの遥か上をいく世界王者に
 なってしまいますがね・・・。



そして、もう一人。
国際ボクシング殿堂入りしてほしい元世界王者がいます。
“Aさん”で有名になった、あの方です。

具志堅さん同様、ジュニアクラスと揶揄されつつも長期政権を築き、
その左構えから抜群に切れる右フック、左ストレートを放ち、
タイの元メダリストを破って事実上の王座統一を成し遂げた、あの方です。

引退後の汚名?
いや、海外選手だって引退後に色々あった人はいるでしょう。
あっちの考え方は「選手としての実績は別」。

だから
お縄に掛かった人でも、選手時代にどれくらいボクシングに貢献したかに
よって表彰されたりするのです。
※あっちじゃ引退後にコカイン中毒とかザラだし。

その辺、なんとかなりませんかねぇ・・・。

大場政夫殿堂入りについて

2014年12月13日 | ボクシング
第25代WBA世界フライ級王者=大場政夫といえば
「永遠のチャンプ」である。

ルックスの良さに反し、下町出身らしい向こうっ気の強さを
感じさせる選手だった。

長身でリーチに恵まれた体型からして
ストレート中心のボクサー型だったが、今で言うトコロの「体幹の強さ」を
持ち合わせいた。
世界王者になってからはダウンを奪われた後の脅威の反撃によるKO劇で、
「逆転の貴公子」とも呼ばれた。
言うまでもなく人気ボクサーだった。

ノンタイトルで日本・東洋・世界の王者を降し、挑戦資格を得て
1970年10月、世界初挑戦でベルクレック・チャルバンチャイ(タイ)を
13回KOで降し、WBA世界フライ級王座獲得。
帝拳ジム初の世界王者となった。

1972年6月、世界1位で最強の挑戦者と言われたオーランド・
アモレス(パナマ)を5回KOに降し4度目の防衛。
この試合では、初回に左フックを浴びてダウンを喫し、荒々しく攻める
挑戦者のバッティングで額から出血するなど苦戦。
2回にジャブ連射からの右ストレートでダウンを奪い返し、5回に猛攻を仕掛け
KO勝ちを収めた。

1973年1月には、老雄チャチャイ・チオノイ(タイ)を12回KOに降し、
5度目の防衛に成功。
この試合も初回にチャチャイの右フックでダウン、しかも足を捻挫する
アクシデントに見舞わせたが、この試合でも負けじ魂を発揮。
最後は連打に次ぐ連打で元王者を沈めた。

その試合から1ヶ月も経たない1973年1月25日、
首都高を愛車シボレー・コルベットで走行中、カーブを曲がり切れず
大型トラックと正面衝突。
現役世界王者が23歳の若さで亡くなるという悲劇は、日本中の
ボクシングファンを嘆かせた。



亡くなった後も人気は高く、半ば伝説の存在として捉えられている。
ボクシングマガジンは没後約10年後の昭和57年4月号増刊、
「ボクシング魅力のすべて」にて 大場政夫の特集を組み、表紙にも
取り上げた。

シュガー・レイ・レナードやアレクシス・アルゲリョの姿もあり、印象深い増刊
でしたよ・・・。

ファンは大場の減量苦を知っており、
「バンタム級に上げて2階級制覇も可能だった」という声もあった。
反面、ダウン癖が付いた事を指摘し、
「次は立てないくらい効くダウンを貰う事になったかも」というマニアもいた。
※私は後者かなぁ・・・

とにかく、5度の防衛で殿堂入りは恵まれている気がする。
「ファンを熱狂させた存在」としての印象点が加味されたのかな。

大場の熱戦は日テレさんの世界戦の残り時間にハイライトで見て
「こんな凄い選手がいたんだ!」と感動したし、
後の深夜番組「朝までスポーツ」でフルラウンド見て感激を新たにしたので
彼の名前がメディアに大きく取り上げられるのは嬉しいですけどね。