あるBOX(改)

ボクシング、70年代ロック、ヲタ系、日々の出来事などをウダウダと・・・

「フジファブリック」の志村君が急死

2009年12月27日 | 邦楽
悲しい知らせだ

ネットニュースの「29才 人気バンドのヴォーカル急死」の見出し。
目が行って嫌な予感がした。
人の死は嫌なものだが、好きなバンドのメンバーなら尚更だ。

「彼」じゃないだろうな・・・。
そう思いながら記事を開いたら「彼」だった。

「フジファブリックのボーカルの志村さんが急死」

好きなロックバンドのメンバーだった。
「フジファブリック」のボーカルでギタリストの志村正彦クン。

クリスマスイブの24日、29歳という若さで彼は亡くなった。
バンドの公式サイトでは、死亡時間や場所などは非公表。
「病名不詳」とされている。

同サイトの「志村日誌」では体調良好と記していたが、
正直言って夏フェスで「声が出ていない」「音が外れている」
「視線がいつにも増してあやしい」など、不調が目(耳)に付き、
気になって仕方がなかった。

大丈夫か?心身に問題でも抱えているのか?
・・・そう思った程だ。

あくまで外野の勝手な憶測だが。

メンバー、スタッフは「突然の訃報に動揺を隠せません」とコメント。
今後の活動は未定だが、残る3人のメンバーは音楽活動を続けていく
という・・・。

それはそうだ。素晴らしいミュージシャンだもの。続けて欲しいよ。
特に
最近では珍しく素晴らしい音色の鍵盤を弾く金澤ダイスケ君は、絶対に
音楽から身を退いてはいけません。

しかし
作詞作曲を手掛け、ギターとヴォーカルを務める志村君が居なくなったら
「フジファブリック」としての活動は不可能だろう。

29日のインテックス大阪「RADIO CRAZY」、30日の幕張
メッセ「COUNT DOWN JAPAN 09/10」への出演は
中止となった。

今年も終わりが近付き、とんでもない訃報が飛び込んできたもんだ。
正直かなり凹んでいます。

志村君は、時に私小説的な歌詞を書き、その心理状態が正直に表れる
タイプの音楽家だと思うのですが
(4畳半ロックともいえる初期のスローナンバーなど)

今となったら改めて、
遺作となった「クロニクル」の一曲目「バウムクーヘン」の歌詞が心に
刺さる。 (発表された当時もドキッとしたが・・・)



「何をいったいどうしてなんだろう すべてなんだか噛み合わない
 誰か僕の心の中を見て

 僕は今まで傷を作ったな 自分さえも分からない
 歳を取っても変わらないんだな

 僕は結局優しくなんかない 人を振り回してばかり
 愛想をつかさず 僕を見ていてよ
 
 言葉では伝えられない 僕の心は臆病なんだな
 怖いのは否定されること 僕の心は臆病なんだな」

・・・自分と関わったすべての人たちへの心情だったのか
それとも架空の贖罪か

作詞は志村君で作曲も本人。
歌詞に較べてオープニングのキーボードが明るく前向きに聞こえたので
「敢えてメンバーがそういう曲調にしたのか」と思っていた。

見た目がイイから女性人気の高いバンドだったが
本人達はAC/DCなど海外のロックバンドを嗜好するロック野郎で。

「好きなロックを掛けながらバンドのワゴンで街から街へ移動するツアー」を
楽しげに語るインタビューが印象深かった。

「コースト・トゥ・コーストなトラベリン・バンド」になって御満悦な様子が
微笑ましい程だった。

セカンドアルバム発表後のライヴをSHIBUYA-AXで観たが
一曲目に本格ロックの「地平線を越えて」を持ってきた心意気には感じ入った。

もっとアップテンポでノリの良い曲もあったのにヘヴィな同曲のイントロが
始まった時には唸った。

「彼らは、ロックに殉ずる覚悟を決めたんだな」とさえ思った。

その心意気が伝わったのか、伝説のバンド「四人囃子」との競演ステージまで
実現してしまった。
(森園さんも「現代版・一触即発」ともいえる曲を書かれちゃスルーできなかったろう)

志村君はロックに殉じた。
こんな御時世に。

勝手な解釈でゴメンよ。

勝手に御冥福を祈らせていただくよ。

新型インフルエンザ予防接種

2009年12月27日 | 生活
ちびスケが、2回目を受けに行った

4週間経たないと効果は現れないというから
まだ不安ではあるが

まぁ
泣いて接種できないという最悪の事態は避けられたので
その辺は一安心

幼い子供が罹患して亡くなるニュースを聞くたびに
気の毒だな・・・と他人事では無かったのよね

以前は「皆かかって免疫付けちゃえ」とか言ってたが
とんだ不見識でした

ごめんなさい