あるBOX(改)

ボクシング、70年代ロック、ヲタ系、日々の出来事などをウダウダと・・・

ケヴィン・エアーズ来日

2003年12月30日 | 生活
元ソフトマシーン・・・なんて紹介が不要な程シンガーとしての地位を築いているケヴィン・エアーズが、「with his band」と共に来日する。
新譜の完成も近いとの話なので、日本公演で新曲披露もあるか?

日程は・・・
5/13(木) 岡山ペパーランド
5/14(金) 近江八幡 酒游舘(アコースティック・ライヴ)
5/15(土) 大阪BRIDGE
5/16(日) 東京On Air West
チケットは、先行発売が1/10(土)、一般発売が1/24(土)から。

仲間だったギターのオリー・ハルソールが亡くなって。ヒズ・バンドへの興味も薄れているのだが、行っとくかな(←何だ、その言い回しは?本気のファンが怒るぞ)。

さすがに60年代からキャリア続けておられるアーティストの方々も、そろそろ健康に問題表れて来られてるし。お元気な頃に見とかないとな。

そういえば、ピーター・ハミルの来日公演が中止になったとかで。
理由は心臓発作の為、2月の来日公演はキャンセルと。チケットの払い戻いも行われているそうなので、既にご購入の方は呼び屋さんの方へ お問い合わせを。

2001年3月の公演では「ピーター・ハミル昼食会」なんてモノまで催されてたから、今回も期待されてたファン多いでしょうが。こればっかりは仕方ありませんなぁ。

つ~か、ご自愛下さい!ハミル先生!
ご自愛下さい!元クリームのジャック・ブルースさん!
ご自愛下さい!イエスのジョン・アンダーソンさん!

―――以上、病気で来日公演キャンセル(または延期)された方々です。

しかし、こうなるとニール・ヤングのとっつぁんは元気だなぁ~と。あの生命力には感服するだけの私でした。

◆12/28(パークアリーナ小牧)の試合結果
○8R
萩森良平 KO2R ヨドモンコン・シスソバ
○10R
井村峰和 KO2R ワンヒン・チュワタナ
小西明生 KO3R サイソン・スリプラチャン
中村好伸 判定 ガイヤシット・チュワタナ
小山晃司 TKO3R アヌパープ・ツインズジム
渡辺 博 KO2R タノンサク・ソーパランタイ
ジェス・マーカ 判定 杉田真教 
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ボクシングがスポ紙の一面を飾った

2003年12月30日 | 生活
・・・1面を飾ったのではあるが。
それは「日本人初の世界王者・白井義男氏が死去」という悲しいニュースだった。

日本人で初めてプロボクシングの世界王者になった白井義男さんが、12月26日に肺炎のため川崎市内の病院で亡くなっていたとの事。享年80才。
「フジヤマのトビウオ」水泳の古橋広之進氏とともに、戦後の日本に希望の灯をともした国民的英雄。戦後間もない52年5月、後楽園球場に4万5千人の大観衆を集めて世界フライ級タイトルマッチを行い、王者ダド・マリノ(米)に判定勝ち。日本人初の世界王者に輝いた。

当時はWBAもWBCもない、フライ級からヘビー級まで全8階級。団体が乱立し、17階級に王座が膨らんだ現在とは比べられないほど世界タイトルに価値があった。

戦時下にプロデビュー、8戦全勝の戦績を中断して戦地へ配属され、整備兵として終戦を迎えた。
焼け野原から厚手の布を拾い集め、自ら縫って作ったリングシューズは、もし日本にボクシング殿堂が作られたなら真っ先に展示されて然るべき1品だろう(Ring誌から送られたベルトと共に)。
 
23年、GHQの米国人学者アルビン・カーン博士との出会いが大きな転機となった。
練習場の代表選手たちをヨソに博士は「あのボーイが一番良い選手だ」と関係者に申し出たらしい。
関係者は「あれはトシだし、腰を痛めてダメだ」と諭したが、博士は譲らなかったとか。
日本人離れしたスリムな体型、長い手足から放たれるストレートに旧日本人にない可能性を感じたとも言われている。

同博士の合理的練習・私生活から食事に至るサポートで急成長した白井は、スランプ期に一旦は敗れた国内ライバルに雪辱。
国内でフライとバンタムの2階級を制覇。特にバンタム級タイトルの相手は、戦前「拳聖」と謳われたピストン堀口の弟・堀口宏。兄に通じる猛ファイター堀口との空前の人気を呼んだ この試合は「世紀の1戦」とも言われた。

世界王者ダド・マリノ(米)を招聘して行われたノンタイトルマッチで善戦。ハワイで行われた再戦ではTKO勝ち、本番への期待が高まった。

マリノ挑戦に当たってコミッションの無かった日本ボクシング界は、JBCを設立。
白井の挑戦が日本ボクシング界の近代化に寄与した。

試合前に緊張する白井に「日本人は敗戦で打ちひしがれている。君がアメリカ人に打ち勝って勇気を与えるんだ」と、カーン博士が励ましたのは有名な話。米国人の博士に、そう言われた挑戦者は感激し戦意をたぎらせたとか(米国製の止血剤を入手したとき「これは効く」と自らの腕を傷つけて実験して見せたエピソードも有名。また、主武器の右拳を痛めて消沈する白井に「ヨシオ、君は本当は左が良いんだ」と左のボディアッパーを教え込み。この「ソーラープレキサス・ブロー」でKO勝ちさせた逸話など、このコンビのエピソードは数多い)。

年齢的にピークを越えたマリノであったが、左フックは強く。第7R、これを食らった白井が意識朦朧でゴングに救われたとき「YOSHIO、WAKE UP!」とカーン博士が大きな手で背中を叩き、それをキッカケに挑戦者が目を覚ましたエピソードは余りにも有名。

見事に世界王者を奪取した白井。
左ジャブからのワンツーとフットワークを中心としたアウトボクシングで、4度防衛に成功。
ノンタイトル戦で訪れたアルゼンチンでは国賓級の扱いを受けたとか。
この時、格下のパスカル・ペレス相手に優位に試合を進めたと言われるが、引分けに終わり。再戦の可能性を残してしまった(再戦は判定負けし、王座を失う)。
五輪の金メダリストのペレスが「無名」と言われたのだから、当時の世界レベルの高さが窺える。

ただし、この世界王座の価値からして、簡単に失う事の出来ない王者陣営は、防衛戦では徹底した待機戦法を指示。試合自体は際どい物もあったという。

むしろノンタイトル戦での仕掛けの早いボクシングに、ボクサー白井の真髄を見たと言う記者も。
よって追悼記事での「外国人を倒す姿に日本人は励まされ」の記述には違和感も。守るだけで充分だった時代だ。

引退後、白井氏は家族で身寄りのないカーン博士を引き取り最後まで看取った。

カーン博士に「あなたのお陰で自分は世界王者になれた。いくらお礼を言っても足りない」と語る愛弟子だったが「いや、ヨシオ。私こそサンキューと言わなければいけない。身寄りのない年寄りの自分が生き甲斐もてたのは君との出会いがあったからだ。ありがとう」と返されたエピソードも後に白井氏自身から語られた。

引退後も温和な紳士として皆の尊敬をあつめたのも「引退しても若者の見本となるような社会人でいて欲しい」といったカーン博士の教えを守ったからとも(これとて同様のプレッシャーを受けた黒人ヘビー級王者ジョー・ルイスなど神経を病む程だったと言うし。白井さんは根っから紳士だったと言えるでしょう)。

いま、天国でカーン博士を始めとした懐かしい方々(堀口宏氏、評論家・郡司信夫氏ら)と再会されているだろう。

安らかにお休み下さい、白井先生。

P.S.
そんなだから、来年早々行われるフライ級タイトルマッチに「かつて白井氏が保持していた王座を」の飾り文句が乗せられても、ピンと来ないだろうな。
私に取っては別物でしかないです。
「平成のトビウオ」は誕生したが、ボクシング界は旧態然とした体制の中で低迷を続けている。
1月3日の興行が一面を飾る事は多分ムリだろう。
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