あるBOX(改)

ボクシング、70年代ロック、ヲタ系、日々の出来事などをウダウダと・・・

思い出のコンサート:スモーキー・メディスソvs四人囃子

2002年05月02日 | 邦楽
スモーキー・メディスソvs四人囃子

2002年05月02日

渋谷で森雪之丞を見た!
つ~か渋公でスモーキー・メディスソと四人囃子を見てきたんだな!

追加公演のチケットをGETしていたのだ!
そして客席にウルトラマンみたいな人物が居たので凝視したら雪之丞氏
だったのだ!

それはイイとして。

先にスモーキー・メディスソが来るとの読みは外れた
(ボクシングの予想も外すし・・・)。

いきなり四人囃子であった。
いきなり「一触即発」から「おまつり」であった!
森園さんの声が結構出ている。
2曲目「空飛ぶ円盤に弟が乗ったよ」と続く。



そして大作「一触触発」へ。
平均年齢の やたらと高い会場が どよめく。
・・・か・感無量!複雑な変拍子の曲を見事に演奏する4人。

チャーや金子マリが在籍していたバンド、スモーキー・メディスンのオリジナル・
キーボード抜き編成、スモーキー・メディスソ。
和製ジャニスと言われたマリさん(下北の踏切り脇の葬儀屋お嬢)の歌うイマジンの
日本語版にグッと来る(J・レノンは好きでは無いが)。
ジャニスのカバー以外にもJ・ベック・グループ(第2期)のナンバーも披露。

チャーは問答無用にカッコイイ。
(もっとも私にとって初めてのギターヒーローは井上尭之さんだけど。
 沢田研二の横でタバコ燻らせながらギター弾くサマが、D・ボウイ・バンドのM・
ロンソン以上っ つ~か、不良大人みたいでカッコ良かったのよ!チャーは、最初
アイドルっぽかったしね)。

ただ、四人囃子の前では霞んだなぁ。
オリジナル・メンバーでは無かったが(ベースは中村真一でなく2代目の佐久間正英)、
73年当時「10代なのにP・フロイドのエコーズを完璧に演奏するアマチュアがいる!」
と言われ、
プロデビュー作でオリジナルを発表したらフロイドどころか、当時のプログレのみならず
ハード・ロックの要素さえ消化(単なるパクリで無し!)した日本製ロックを完成していた!
・・・と言う演奏力そのままに、
いい年して凄いLIVEパフォーマンスを見してくれたもんだから、
当時のロック少年(いま中年。業界人~長髪自営業~リーマンまで幅広く点在。)、
当時のロック少女(いまロック姉御。子連れも。ナゼか怖い雰囲気あり)の感激しまい事か!!

でも客席はズ~ッと座りっぱなし(笑)。
「平均年齢高いからしゃ~ないね」と後から出て来たチャーが笑いを誘う。

たぁ言え、ヒザや肩、腰でリズムくらい取れるだろう?

こんなトコロにも日本人のリズム感の無さが露呈されるのであった。

あ、そうそう四人囃子&スモーキー・メディスソはテレ朝にて放送予定だそうです。
※6/22(土)26:40~28:10

BSテレ朝では長時間放送だってサ。
ケッ、デジタルチューナーなんて無ェよ!!

思い出のコンサート:1988年ホワイトスネイク

2002年05月02日 | 洋楽
1988年06月13日
ホワイトスネイク

代々木競技場第一アリーナにて。

席は、けっこう後ろの方だったな。
メンバーは
A・ヴァンデンバーグ(ギター)、V・キャンベル(ギター)とか、
新し目だった記憶あり。

まぁ、前年の1987年
「サーペンス・アルバス/白蛇の紋章)」が売れまくった凱旋のライヴ
でもあったか・・・。



D・カヴァディルは痛めていた喉の手術をして、メタル的なハイトーンが
よく出るようになり。
ついでに、髪も金髪にして、アメリカ受け・MTV受け戦略を爆走。

勢いを駆ってのライヴ・・・と言いたかったが、アルバムの戦力だった
ジョン・サイクスが抜けたりの「相変わらずな」ゴタゴタが影響していた
のかも・・・。

昔の持ち歌は、あまり演奏しなかったような。
私は・・・「イアン・ペイスやジョン・ロード、ニール・マーレィ、
ミッキー・ムーディ、バーニー・マースデンが居た頃の白蛇が見た
かったなぁ」と改めて思っていた。

最前列の娘が、サビでマイク向けられて歌えなかったな。

アンコールで、ZZトップの「タッシュ」演ったのが印象深い。
リフがカッコ良かったからなぁ・・・。

まぁ、デヴィカヴァがマイクスタンドを逆さに持って、マイクを
お股でおっ立てたシーンは会場も沸いたし、

「おお、やっとるわい!」と感心させてもらいましたがね。