日々の泡

こころに浮かんでは消え、消えては浮かぶ
日常のありふれた風景をスケッチ

ふと考えた。

2013-11-02 11:27:45 | 日々
各地の有名ホテルで次々に明らかになった、食品偽装(誤表示?笑)事件。
で、思い出したことがある。考えたーワタシが考える、そのことに対する「罪」について。
一番、有名ホテルがやったこととしての「罪」は、「一流」という言葉をさらに貶めることになったこと、ではないか?
「日展」における、選考課程での金銭授受や、派閥間の受賞者の配分(当然、あると思っていた)という、本来なら決してあってはならない不正。これもまた、限りなく、「日展で入賞するって、実力が一流って認められることではないの?」という疑問符がたくさんつくことになるのでは?

世間で言われる、一流という言葉、ワタシは好きではありません。
誰が、一流、とかそうでない、って決めてるのかな?きっと、たくさんの人から「あの人は凄いねえ」って言われる人のことを、一流って言うのだろうと、子ども心に思っていました。ワタシの親も、子どものことを思って、幼い頃から、時間をみつけては著名な人のクラッシックの演奏会などにワタシを連れて行ってくれたと記憶しています。(途中から、いつもほとんど夢の中)会場にいくと周りの大人は、演奏がはじまっていても、一生懸命パンフレットを読んでいる。そしてコソコソ「この人、どこそこで音楽を勉強したんだって。外国で演奏してる・・・・etc」
ワタシは田舎で育ったからわかるけど、地元で一流の文化に触れる機会なんて、決して多くはないのです。だから、実際のところ、一流って、なんぞや?だと思うのです。田舎に限らず、食材の偽装を知らずにレストランで食事をした人が、「さすがに、このホテルの料理はおいしいね!」と言ったところで不思議なことだとは思いません。その人がおいしい、と思えば、それでよいのでは?とも思います。
だけど、上京して知り合った、ある人の言葉を思い出します。「一流といわれてるものは、知っておいたほうがいいよ。」と。ワタシが目指している世界を知っていたから、そうアドバイスをくれて、実際たくさんの一流高級店につれっていってくれました。
就職の決まった子どもを送り出す親が、旅立ちを祝福する気持ちで、願いをこめて一流ホテルのレストランでお食事会を開いたりすることはないでしょうか。あとで、その時のホテルで食品偽装が行われていた、と知ったらどうでしょう。。切なくないですか。。。

一流(もし、あるとするなら)を見分ける目を、誰もが持ってるとは思いません。それは、何度もふれあう経験をしてこそ培われるものだ、と思います。
ワタシは、一流という言葉を好きではない、と書きましたが、知ることは、とても大切なことだと思っています。知らなければ、なにも始まらない、と思うから。知ってこそ、それに対する自分の意見を持てる、と思うから。上京した時一番優先したのは、「好き嫌いではなく、とにかく一流と言われているものを観よう!」ということでした。実践しました。奨学金と仕送りに助けられていたので、アルバイト代は、ほとんど使うことができて、今思うと本当に有り難かったです。途中からは、親しくなった人たちが、リハ覗きに来る?とか、バックステージから入れてあげる、と声をかけてくれて助けてもらいました。ある方は、豪華な出演者が揃う大きな舞台で、勉強するといい、と言って、見学の許可を自ら取ってくださいました。
山形にUターンしてからの経験も大きかったです。山形ブラジル音楽普及協会との出会いは大きかったです。まったく未知の世界をワタシに教えてくれたし、ボランティアとして参加することで、準備作業にかかわったり、打ち上げに参加することにより出演者と直接ふれあう機会を得られたことで、信じられないほどの大切なことを教えてもらいました。一流って、どんなものなのか、ワタシの中で、ワタシオリジナルがしっかり出来上がったのも、この時の経験のおかげ、だと思っています。

そんなこんなで、たくさんの人の助けを借りながら、田舎育ちのコンプレックスをすこしづつ解消できてきた、と思う(笑)一流と言われているものに直接ふれることで、その正体を知れば、一流という言葉に必要以上に縛られることもなくなる。自由になる!ワタシは、人に決めつけられるのが、嫌い(笑)また、どんどん我がままになっていくような気がする~(笑)