・・これって、簡単なこと、難しいこと?
昔のワタシだったら、とても難しいことだった。
今なら、時と場合によるけど、「その方がいい」と自分でも思えたら、そんなに難しくない。
自分にこだわらなくたって、自分が消えてなくなることはない、と思えるようになったからかな。
そんなことで消えてしまう自分は、消えてしまったっていいじゃないかと。
要は、「その時に一番求められている事はなにか?」を判断できること。「どういうやり方が一番、結果としてベストなものを生むか」
人は、自分の成果をどうしても気にしてしまう。個人の。自分を消してしまったら、個性は失われ、「なんだアイツ、たいしたことないじゃん』って、思われてしまうんじゃないか、とか。
でも、そのために、全体がもっと大きな、高みにまでいけるかもしれない可能性を、自分が自分の小さな主張を捨てられないがためにダメにしてしまうこと。表現者にとっては、心の葛藤であるかもしれないな~、と思う。
・・・って、よく最近考えるようになった。(そういう場面にでくわす機会が多くて。)
「自分を捨てること」ー個人的には、簡単なことではないと思う。(自分を勘違いしてる、とも言えるのかも、だけど)
でも、ワタシは出来るようになった。・・それには条件があるんだけどね~(えらそうに言ってしまいます。)
自分を捨てろ、と求めてくる相手が、信頼でき、この人を信じることが自分の成長につながる、と思える相手の場合。
自分もそのことに納得がいく場合。・・・それは、そのことの重要性を叩き込んでくれた人との出会いがあったからで、普通にしていて自分で気づくのは、なかなかできないと思う。だって、そういう人たくさんいる。(ワタシも、そうなっていたと思うし)
こんなことは皆が皆、考える問題ではないかもしれないけど(会社のプロジェクトの経験とかには、当てはまるのでは?)
去年から、アレクサンダーテクニークに触れたり、何を血迷ったか演劇のWSを数十年ぶりに受けようと思ってしまったことで、思いがけず自分の変化を感じることになって・・・・。若い時からワタシは本当に一直線で、おまけに頑固で、自己主張が強くて・・・って、言い訳をさせてもらえば、本当にやりたいことへの情熱が半端じゃなくって、それが若さと相まって暴走しがちになっていた、と思ってもらえれば幸いです。そんなワタシだから、周りとの摩擦を生んで迷惑もかけたのかもしれないけど・・・だけど・・・だからこそ、今でも信じられないほどの宝物のような出会いの数々がある、って断言できる(そこしか、ない)。言ったって、なんの自分の得にもならないようなことを、本心から伝えてワタシを成長させてくれた人。才能のある人が、表舞台ではなく、「どうしてこんなに凄い人が、こんなところでやっているのだろう?」とそんな場面に何度でくわしただろう?(出会えたワタシは、最高にらっきー♥)大切なのは、どこで、やるか、ではなく、自分がやりたいことができるのであれば、どこででもやれる、ということ。
今、とても不思議な時間で...過去と向合う機会が、偶然とは思えないほど増えていて「FBとか、笑っちゃう昔ばなし」。今日も、夕方から(予定外の)観劇。(自分からは、もうお芝居を観たいと思わなくなってしまったのですが、先日のWS関連?からか、招待券をいただき=Eさん、ありがとうございます。チケット買わなくてすみません。)それが、北区つかこうへい劇団の旗揚げ公演!つかさん!!つかさんは・・・「熱海殺人事件」(たしか)に衝撃を受けた高校生だったワタシは、衝動のあまり興奮して(あまりにも感動しすぎて)角川書店あてに感想文を送ってしまったのです。だって、あんな作品は、山形では考えられないもの、当時。そしたら、中西さんという担当の編集者の方が、写真集と新刊を手紙を添えて送ってくださってそれ以来、新刊が出るたび、ずっと送ってくれて。ワタシが上京してからも文通が続いていました。まったく、ワタシの行動、ったら、ちょっとびっくりしますよね。もう、思い出がいっぱい、です。
オトナになるって、思い出が増えていくことでもあるんだな~
昔のワタシだったら、とても難しいことだった。
今なら、時と場合によるけど、「その方がいい」と自分でも思えたら、そんなに難しくない。
自分にこだわらなくたって、自分が消えてなくなることはない、と思えるようになったからかな。
そんなことで消えてしまう自分は、消えてしまったっていいじゃないかと。
要は、「その時に一番求められている事はなにか?」を判断できること。「どういうやり方が一番、結果としてベストなものを生むか」
人は、自分の成果をどうしても気にしてしまう。個人の。自分を消してしまったら、個性は失われ、「なんだアイツ、たいしたことないじゃん』って、思われてしまうんじゃないか、とか。
でも、そのために、全体がもっと大きな、高みにまでいけるかもしれない可能性を、自分が自分の小さな主張を捨てられないがためにダメにしてしまうこと。表現者にとっては、心の葛藤であるかもしれないな~、と思う。
・・・って、よく最近考えるようになった。(そういう場面にでくわす機会が多くて。)
「自分を捨てること」ー個人的には、簡単なことではないと思う。(自分を勘違いしてる、とも言えるのかも、だけど)
でも、ワタシは出来るようになった。・・それには条件があるんだけどね~(えらそうに言ってしまいます。)
自分を捨てろ、と求めてくる相手が、信頼でき、この人を信じることが自分の成長につながる、と思える相手の場合。
自分もそのことに納得がいく場合。・・・それは、そのことの重要性を叩き込んでくれた人との出会いがあったからで、普通にしていて自分で気づくのは、なかなかできないと思う。だって、そういう人たくさんいる。(ワタシも、そうなっていたと思うし)
こんなことは皆が皆、考える問題ではないかもしれないけど(会社のプロジェクトの経験とかには、当てはまるのでは?)
去年から、アレクサンダーテクニークに触れたり、何を血迷ったか演劇のWSを数十年ぶりに受けようと思ってしまったことで、思いがけず自分の変化を感じることになって・・・・。若い時からワタシは本当に一直線で、おまけに頑固で、自己主張が強くて・・・って、言い訳をさせてもらえば、本当にやりたいことへの情熱が半端じゃなくって、それが若さと相まって暴走しがちになっていた、と思ってもらえれば幸いです。そんなワタシだから、周りとの摩擦を生んで迷惑もかけたのかもしれないけど・・・だけど・・・だからこそ、今でも信じられないほどの宝物のような出会いの数々がある、って断言できる(そこしか、ない)。言ったって、なんの自分の得にもならないようなことを、本心から伝えてワタシを成長させてくれた人。才能のある人が、表舞台ではなく、「どうしてこんなに凄い人が、こんなところでやっているのだろう?」とそんな場面に何度でくわしただろう?(出会えたワタシは、最高にらっきー♥)大切なのは、どこで、やるか、ではなく、自分がやりたいことができるのであれば、どこででもやれる、ということ。
今、とても不思議な時間で...過去と向合う機会が、偶然とは思えないほど増えていて「FBとか、笑っちゃう昔ばなし」。今日も、夕方から(予定外の)観劇。(自分からは、もうお芝居を観たいと思わなくなってしまったのですが、先日のWS関連?からか、招待券をいただき=Eさん、ありがとうございます。チケット買わなくてすみません。)それが、北区つかこうへい劇団の旗揚げ公演!つかさん!!つかさんは・・・「熱海殺人事件」(たしか)に衝撃を受けた高校生だったワタシは、衝動のあまり興奮して(あまりにも感動しすぎて)角川書店あてに感想文を送ってしまったのです。だって、あんな作品は、山形では考えられないもの、当時。そしたら、中西さんという担当の編集者の方が、写真集と新刊を手紙を添えて送ってくださってそれ以来、新刊が出るたび、ずっと送ってくれて。ワタシが上京してからも文通が続いていました。まったく、ワタシの行動、ったら、ちょっとびっくりしますよね。もう、思い出がいっぱい、です。
オトナになるって、思い出が増えていくことでもあるんだな~