どうにかして、いつか克服できたらいいな~
と思っている、言葉、山形弁コンプレックス。。。
演劇の勉強をしたいと上京した時、ワタシは地方出身にしては珍しく(自慢じゃないよ)訛りを治さなければいけない、という苦労をあまりしてきませんでした。
その当時、狭い人間関係とかが苦手で山形にあまり愛着がもてなかったワタシは、無意識に山形文化に染まることを避けていたのかもしれません。
演劇がやりたい、と思った一番の理由は、人前に立ちたい、とか華やかな世界に憧れる、という類いではなく
とにかく、現実から逃げ出したかった、、、それが一番。お芝居をやっている時は、自分の現実を忘れられる、そんな超ネクラな理由から
でも、ある(劇団の)オーディションの時、審査員の雰囲気も優しくて楽しくのびのびとやれていたのが
「山形出身だね、なにか山形弁しゃべってみて」
・・・この一言で、一変。ーワタシ、その場に凍り付いてしまったのです。「ここまで、山形がついてくるんだ」という絶望。脂汗が出てくるかと思ったほどのショック。今になって思えば、審査員は、その場のおもいつきで言っただけなのかもしれないのにね~。その時のわたしは、山形から逃れたくて演劇に逃げたのに、それも許されないんだということに深く、深く傷ついてしまったのです(実際、東北出身の役者さんは、出身地がクローズアップされることが多いと感じる。)山形弁を、発することすらできなかったわたしを、それでも合格にしてくれたのに、結局わたしは、そのトラウマを克服することができず、またも逃げ出すことに。しゃべらなくてもいい、TAPへ(夢中になれるものは欲しかった。)山形に帰ってからの生活も、タップの存在が支えてくれた。習いにきてくれる生徒さんと。やっと落ち着いた居場所がみつかったかな~と思っていた矢先、あの震災。
もう、わけがわからなくなってしまいました。すべてのことがひっくりかえされてしまった感じ。
自分が信じてきたものはなんだったのか。これから、どう生きていけばいいのか。
とりあえず、なんでもいいから動いてみよう。動き出さなきゃしょうがない。そんなことを考えてる時に、「イッセー尾形のつくりかた」という演劇WSがあることを教えてもらいました。これはタイミングなんだ、自分は受けなければいけないんだ、そう思いました。
少なくても、自分が過去に逃げ出して目をそむけてきたものに向き合わなければ、なにもはじまらない気がしたから。
5日間、「どうしてやりたくないことをわざわざしてるんだ、自分?」という気持ちと「ここで逃げたら、一生後悔するぞ」という理由なき、且つ、とてつもないプレッシャー。でも同時に自分がまったく出会ったことのない世界との遭遇という喜び、誰かに指導してもらえる、という喜び。結果はどうあれ、自分にとってプラスになったのは確か。今回、イッセー尾形さんの舞台もはじめて見ました。山形の劇場にくるお客さんが、意外に多いことに驚ろいた。(ワタシは山形に戻ってからは、演劇をほとんど見ていないので。)
WSでは、予想通り山形弁との戦いの日々でした。しかも目指したいのは、都会の人がイメージする、TVで使われるような山形弁ではなく
絶滅しかかっている、昔のおじいちゃんおばあちゃんが話すような、手あかのついていないネイティブ山形弁。むりむりむりむり。。。。
どんなに頑張ったって、嘘くさい、作った想像の産物の山形弁しか出てこない。ほんとに、ふう~
当たって、見事砕け散ることができました!「これだけはできるといいな」という自分なりの目標さえ達成する事はできませんでしたが、その出来ないという事実を受け止められるようになった心は、やはり去年という特別な一年がワタシにくれたプレゼントなんだな、と。
あ、それから!住んでいる私たち自身が気づく事のなかった、山形と山形弁の魅力を発見できた事は、大きな収穫ではありました!!
まあ、小さな一歩、ということにしたいと思います
PS でも数日の稽古で、中途半端に訛り始めてしまって、日常に戻すのが、これまた大変だ~
と思っている、言葉、山形弁コンプレックス。。。
演劇の勉強をしたいと上京した時、ワタシは地方出身にしては珍しく(自慢じゃないよ)訛りを治さなければいけない、という苦労をあまりしてきませんでした。
その当時、狭い人間関係とかが苦手で山形にあまり愛着がもてなかったワタシは、無意識に山形文化に染まることを避けていたのかもしれません。
演劇がやりたい、と思った一番の理由は、人前に立ちたい、とか華やかな世界に憧れる、という類いではなく
とにかく、現実から逃げ出したかった、、、それが一番。お芝居をやっている時は、自分の現実を忘れられる、そんな超ネクラな理由から
でも、ある(劇団の)オーディションの時、審査員の雰囲気も優しくて楽しくのびのびとやれていたのが
「山形出身だね、なにか山形弁しゃべってみて」
・・・この一言で、一変。ーワタシ、その場に凍り付いてしまったのです。「ここまで、山形がついてくるんだ」という絶望。脂汗が出てくるかと思ったほどのショック。今になって思えば、審査員は、その場のおもいつきで言っただけなのかもしれないのにね~。その時のわたしは、山形から逃れたくて演劇に逃げたのに、それも許されないんだということに深く、深く傷ついてしまったのです(実際、東北出身の役者さんは、出身地がクローズアップされることが多いと感じる。)山形弁を、発することすらできなかったわたしを、それでも合格にしてくれたのに、結局わたしは、そのトラウマを克服することができず、またも逃げ出すことに。しゃべらなくてもいい、TAPへ(夢中になれるものは欲しかった。)山形に帰ってからの生活も、タップの存在が支えてくれた。習いにきてくれる生徒さんと。やっと落ち着いた居場所がみつかったかな~と思っていた矢先、あの震災。
もう、わけがわからなくなってしまいました。すべてのことがひっくりかえされてしまった感じ。
自分が信じてきたものはなんだったのか。これから、どう生きていけばいいのか。
とりあえず、なんでもいいから動いてみよう。動き出さなきゃしょうがない。そんなことを考えてる時に、「イッセー尾形のつくりかた」という演劇WSがあることを教えてもらいました。これはタイミングなんだ、自分は受けなければいけないんだ、そう思いました。
少なくても、自分が過去に逃げ出して目をそむけてきたものに向き合わなければ、なにもはじまらない気がしたから。
5日間、「どうしてやりたくないことをわざわざしてるんだ、自分?」という気持ちと「ここで逃げたら、一生後悔するぞ」という理由なき、且つ、とてつもないプレッシャー。でも同時に自分がまったく出会ったことのない世界との遭遇という喜び、誰かに指導してもらえる、という喜び。結果はどうあれ、自分にとってプラスになったのは確か。今回、イッセー尾形さんの舞台もはじめて見ました。山形の劇場にくるお客さんが、意外に多いことに驚ろいた。(ワタシは山形に戻ってからは、演劇をほとんど見ていないので。)
WSでは、予想通り山形弁との戦いの日々でした。しかも目指したいのは、都会の人がイメージする、TVで使われるような山形弁ではなく
絶滅しかかっている、昔のおじいちゃんおばあちゃんが話すような、手あかのついていないネイティブ山形弁。むりむりむりむり。。。。
どんなに頑張ったって、嘘くさい、作った想像の産物の山形弁しか出てこない。ほんとに、ふう~
当たって、見事砕け散ることができました!「これだけはできるといいな」という自分なりの目標さえ達成する事はできませんでしたが、その出来ないという事実を受け止められるようになった心は、やはり去年という特別な一年がワタシにくれたプレゼントなんだな、と。
あ、それから!住んでいる私たち自身が気づく事のなかった、山形と山形弁の魅力を発見できた事は、大きな収穫ではありました!!
まあ、小さな一歩、ということにしたいと思います
PS でも数日の稽古で、中途半端に訛り始めてしまって、日常に戻すのが、これまた大変だ~