宇宙の彼方から

自然の不可思議な森羅万象に揉まれる自分や他人の有り様を見つめる。

愛の強要、教育誘導に組み込んではならん!!

2006-05-05 23:33:58 | 政治
今更ながら、自民党代議士諸氏に愛についてお話申したい。
教育基本法に愛国を入れるとの事。
つまり、愛国教育の強制らしい?
愛の強要、強制は、要らぬお世話と思っている者達には、ストーカー行為だ!!
年端のいかぬ子供たちに「愛国」を教えるのか?誘導するのか? 「愛」とは何か?を考え、話し合わせるべきではないのか?
どんなに政治屋さんがおかしなことをしようが、官僚役人さんが好き勝手なことをしようが、どんなに幼稚だろうと、お上の行政に迎合し、日本を根っから好きになり、埋没できる者は「愛国の強要」には相思相愛だろう。従って愛国は、彼らには不必要なものであるが、そうでない、政治屋さんの幼き行政や官僚さんの好き勝手な行状に対して疑問を感じる者たちからみれば、彼らたちからの「愛国教育」なんて、「ふざけるな!!」と相成る。「自分のことさえも、満足に律することができなくて、何が愛国だ!!」
と、叫びたい気持ちであろう。
愛を強要してしまったら、即ち唯我独尊のストーカーが発生する。
愛を得たいと思ったのなら、努力することだ。努力もせずに愛を得ようなどは不埒者の、与太者の考えることだ。もっとシャキとせい!シャキッと考えんか!!

 私がこんな基本中の基本を何故に自民党に物申さねばならないのだ。みんなすでに歪んだ立ち位置だから、更なる歪みに鈍感になって気づかないのではないか?それとも分かっていてやろうとしているのか?それならば犯罪者に匹敵するような、相当悪質な面々だ!!

 これが国会を通過すれば、その影響力は面白い。
夜這い、足入れ婚、略奪愛、誘拐愛、面識なし婚、挙句、吉原復活!あるやも知れぬ?つまり、愛の強要、強制が認定されれば、こうなってもしかるべし。
もてぬ男たちには良い制度ではないか?
年端もいかぬ子供たちに、愛国を強要、強制するなんざあ、考えることが幼稚過ぎて、はなはだ片腹痛いわい。
政治が、金融が、企業が、官僚役人が、あらゆるみんながそれぞれキチッとやるべきことをやって、けっして軍事ではなく、その他の方策で世界に貢献して、賞賛を浴び、尊敬、憧憬が得られれば、愛なんて要求しなくとも黙ってついてくるものだ。
悲しい、寂しい、哀しい、空虚だから、心が満たされぬから、愛が欲しいのだ。愛を求めたがるのだ。
悲しさも、寂しさも、空虚さも、大切な感情の抑揚ではないか、
それが、喜び、楽しみをもたらせてくれる糧になるのだ。
国民みんなへの愛国の強要は、その美しいフレーズとは相反して、全体国家社会への船出であり、道標であり、そこでは「悪巧みの隠蔽」も当然のように発生して、むしろそれがしたいがためのような気がしないでもない。
朕優先の軍事全体国家社会がよろしいのか?それとも民主主義もどきあっても、いままでの主権在民優先もどき国家が良いのか?うしろを意識しても、うしろには向かわず、前を向いて歩いて行かないか。
憲法を押し付けと批判するなら、愛の押し付けはもっといけないのではないか?上の者たち?が、こんな素人でも分かるような危険な方向へ、わざわざ日本人民を誘導していく、そんな政策をするのではなく、アジアの融和、世界の融和へ邁進する日本の姿を見せれば、みんな「頑張れー!!」と応援歌も自動的に出てくるのだ。みんな尊敬もするようになるのだ。そんなことも分からん人々の愛国教育指導なのだ?
だからあさっての方向に向かってしまうのだ。
愛も過ぎれば、ストーカーになり、とても怖い存在になってしまうから・・・それを予見できる人たちからすれば、「愛国」を、「教育」と言う名の「誘導」に組み込んではならんのだ。
もう一度言う!「愛国を」  「教育誘導」に組み込んではならん!!
「愛」の素晴らしさ、反面の怖さ、を考え噛み砕き理解させる前に「愛国」への誘導は、歪みへの第一歩である。