日々、あんのん。

からだの育ちの凸凹、学習のスタートラインにつけない人のもっと学びたい、発達したいを応援します。

『家族幻想』

2016-01-30 22:49:16 | 本の紹介
 今日はとても暖かくて、過ごしやすい一日でした。
先週の夜中に雪が舞っていたなんて、思えないほどの暖かさです。

 こんなに気温が上がり、下がりすると、体調を崩しがちになってしまいますね。
「ああ、体調が振り回されないように気をつけよう~」と自覚できると良いのですが、
自覚できないと、何だかわけがわからないままハイテンションになったり、
やる気がなく落ち込んでみたり、日々をただ振り回されてしまいます。

 気温や季節の変化と自分の体調。
ちょっと気を配ってみると過ごしやすいかもしれません。

 Facebookで読んでいた方が、「いい本でした」とあったので、読んでみました。

 

 私が生まれ育った家にも「規範」があり、それに従って生きてきたのか…?
たぶん、そうなんだと思います。

 そして、大学に行くために18歳で家を出て、
知らない人ばかりの見知らぬ土地に行き、寮に入り、下宿をし、
自分の家で当たり前だった「規範」、違う文化ともいうべきものに出会い、
驚いたり、受け入れたり、ぶつかったり、妥協したり、楽しんだりしながら過ごした4年間。

 その後、約一年ほど両親と暮らしたこともありましたが、
仕事に就いたり、結婚したり、数えると、もう「イエ」を出て約30年になります。

 一体、「イエ」で暮らした19年が、
今の私の生き方の中にどれほどの影響があるのか、なんて考えたことも意識したこともありません。

 それは私が、不登校にもならず、引きこもりにもならずに過ごしてきたからかもしれません。

 では、そんな私は不登校や引きこもりなるような出来事もなく、
順風満帆な人生だったかといえば、そんなことはなく、
いじめられたこともあるし、嫌な思いもしたことはあります。

 でも、それらは「そんなこともあった」ことで、
私の人生を形作る、重要な要因ではないのだと思います。

 そういう考え方をしたのは、まさに、私が育った「イエ」の規範によるものだったのでしょう。
そう考えると、「イエでの規範」ということも考えずにはいられなくもなりますね。

 この本では、
「自分の側から価値観を立ち上げて生きることができない」
人の存在が語られています。

 そういう人たちは、
「親の願い、そして社会の願いを内在化し、その価値観に合わせられない自分を責め続けていた」
のではないかと語られています。

 この本に書かれている人たちは、
30代、40代と私に近い年齢の人たちですが、読みながら、
学校で顔を緊張させている子どもたちの顔が浮かび、
ああ、これは今、現在進行形で起きていることだ、と感じずにはいられませんでした。

 子どもが立ち止まるとき、その子どもの持つ性質、資質的なものもあるのでしょうが、
その子を育てる親世代、さらに親の親の世代のことが、
もしかして遠く、糸を引いている?

 そうだとすれば、目の前に起こっている子どもの起こしている現象だけでなく、
各々の「イエ」という、そこで作り上げられた脈々と流れる規範をも見つめる、
冷静な目が必要かもしれません。

 そんな冷静な目になれる外の機関とつながることも大切かもしれないし、
外の機関は、突き放したり、様子をみるだけでない、
血の通った専門機関としてはたらいて欲しいものだと思うことでした。

 たくさんの原因があるであろう「しんどい」気持ち。
私には想像できない、そのしんどさの一因を教えてくれた、とても良い本でした。

 




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