私は支援という言葉も嫌いだけど、介護という言葉も嫌いです。
それはどちらの言葉も一方だけが、何かをする、もっと言えば「してあげる」的な意味を感じさせて、なんだか偉そうだからです。
それはともかく、自分がピンときた本を選んで読んでいます。
「脱介護」、高齢者の生活、暮らしをどうしていくか、という方向性を考える材料を求めて本を選んでいます。
そんな中読んだこの本。
発達障害の本だっけ?と思う事しばしば。
介護保険制度ができてから、家族の中で行っていた「介護」が「ビジネス」になった。
子育てが療育になった発達障害界隈と似ていませんか?
この本が出た2014年の頃ならば、要介護5ならば月に35万円程度の介護保険料が国から税金で施設に支給されるそうだ。
一部屋に5人入れておけば175万円、10人いれば350万円で、著者が「そんなボロい商売、他にあるんかな?」と言っている。
そして手のかかる高齢者は大抵、「お薬」でボーっとしているようで、歩いて特養に入所した方が数週間で家族の顔もわからなくなり、車椅子となることも珍しくないそうだ。
読みながら、ああ、だから義母も車椅子なのかな、と合点がいった。
義父と喧嘩しながら、顔も合わせたくない、とデイサービスに行っていたときは、よちよちながら杖を使って歩いていたのに、特養に入ってからは車椅子。
リハビリしないと!と見舞いに行っていた叔父は言ってた。
でも、そもそも施設の方は、積極的に歩いて欲しいなんて思っているかどうか、なのかもしれない。
日本の福祉というのは、福祉事業所にその福祉を利用する人たちが金づるとなって「祉い(さいわい)」をもたらしてくれるという、なんとも皮肉なものになっているのだなぁ、と本を読みながら暗澹とした気持ちと共に腹が立つ事でした。
人をお金にしか見えないような医療や福祉には退場願いたいものですね。