日々、あんのん。

からだの育ちの凸凹、学習のスタートラインにつけない人のもっと学びたい、発達したいを応援します。

私基準。

2014-11-21 16:14:09 | 日記
 バイクのカバーを外して、出かけて帰ってきたら、
まさかのノラネコさんがマーキング
しかし、野ざらしの私の愛車のCB-SFにカバーをかけなければ、雨ざらし……。
マーキングされた、カバーの裏側を表にしてバイクにかけて、
雨でマーキングも洗い流してもらうことにしました。
うまくいくといいけどなぁ~。

 支援員をしているときに、一緒に仕事をしていた先生がいわれた言葉があります。

「先生、よく、子どもたちを怒るよね。
私、あの子たちをそんなに怒れないのよね。
そこまで、関係ができてないからかもしれないし、
踏み込めないからかもしれない。」

 ここでの先生は私のことです。
そして、子どもたちというのは、特別支援クラスの子たち、
及び支援が必要で私が一緒に勉強していた子どもたちのことです。

 私にその言葉をかけた先生は、指導力も包容力もあり、
おかしなことは、おかしい!と声をあげる、とても情熱的な方でした。

 私は、特に厳しくしていたつもりはなくて、
宿題を忘れたら言いに来る、来なければ呼び出して、
忘れた理由なり、提出が遅れた理由を問うたり、
約束を理由なく破ったのに、嘘やごまかし、言い訳でで逃れようとしたら、
正直に理由だけ言うようにと怒ったり、
そんなことを日々繰り返していただけのつもりでした。

 また、ふざけ合いから、けんかのようになり、
口では負けるからと手が出てしまった場合も、
両者を呼んで、同じように怒ったりもしていました。

 給食の食べ方が汚ければ、やはり、
それではほかの人が一緒に食事をするのが嫌になると思い、
注意したことも多々ありました。

 学校の中で普通に行われている範囲の注意の枠を出ていないと思いますが、
なんだか、特別なもののように目に映ったのですね。

 おそらく、そういわれた先生は、これは私の推測ですが、
私が関わっていた子どもたちの実力を低く見積もって、
「たぶん、言ってもできないかもな。」と思われていたのかもしれないし、
過去に言っていたが、変わらなかったからという諦めにも似た気持ちがあったのかもしれません。

 私は、単に「人として、そのくらいはよろしくね。」と、
とても軽い気持ちで、注意したり、怒ったりしていたと思います。

 初対面の子どもさんに怒鳴ったり、泣かせるような怒り方はしませんが、
今も、そこら辺の基準はあまりブレていません。

 すぐに直らなくても、言い続けること。
小さなことも見逃さずに、毎回、毎回、拾って言い続けること。
そうすることで、少しずつ、少しずつ、
宿題を忘れなくなったり、忘れても言いにきたり、
へんちくりんな嘘や言い訳をしなくなったりしていきました。

 時には、
「この子たちが嘘がつけるというのは、自分の身を守る術を手に入れたんだから、
大目に見てあげなくちゃ、なんにでも馬鹿正直に正面から行って潰れてしまう!」
と言われたこともありました。

 それも一理あるなぁ、とは思うものの、
あまりにも幼稚で見え透いた嘘や言い訳する癖がついたら、
人に好かれないんじゃないかなぁ~と思い、
私は私のやり方で!と貫いているところもあります。

 ただ、「人として、そのくらいはよろしくね。」の基準は、
それこそ、人それぞれなので、
私が「ダメじゃん!」と思っても、別の人は「OK!」かもしれません。
そうしたら、OKの人と仲良くなっていけばいいのだし、
それはそれでいいかな、と思うのです。

 「ありのままで~」の歌が昨日テレビから流れてくるのを聴きながら、
そういうことを考えたのでありました。




 

 


 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする