先日サロンに訪れたSさんは、50代の男性です。
しっかりと日々を生きていらっしやいます。 神仏への関心をお持ちの方でしたので
自分の守護霊様はどんな方ですか?と質問されました。
ちょうど「守護存在を視て絵にしよう。 導きを文章にしよう」と企画していたところだったので、なんてタイムリー!と喜んで リーディングさせていただきました。
その方の左上に目を閉じた優しいお顔の仏師が視えました。僧の姿をしています。
よくよく視ていきますと「仏師だったが目がみえなくなり、僧侶に転身した」方のようです。
Sさんへのメッセージは「木仏を掘りなさい。人びとが安堵するような温かい木のぬくもりの物。 荒削りでもかまわない人の心温めるものを掘りなさい」というものでした。
Sさんは大変驚くとともに大納得されました。
実は前々から仏様の彫像を掘りたいと考え、道具も用意されていたそうなのです。
「やっぱりそうか」喜ぶSさんに、こんどは5人ほど若い僧侶達もあらわれました
そして
「早く掘れ」と激を飛ばすのです。そのことをお伝えするとSさんは照れながら困りながら、こうおっしゃいました。
「完璧を目指してしまうと作れない。木と道具を前にして何もできずにいました」と。
神様も完璧ではありません。 守護存在なくして私達にその旨を伝える事は出来ませんし、人を介してしか結べない結界もあるのです。
皆さんにも知ってほしいのですが、神様は完璧を求めていません。
完璧である事が大事なのではなく「経験すること」が大事なのだとお伝えくださります。
困ったり恥をかいたり、泣いたり笑ったり、転んだり。怨まれたり怨んだり。
そんな経験をして、それでも清く在る事。 ここを神様はお望みなのです。
話しをSさんに戻しますね。
守護存在からのメッセージに納得したSさんは「完璧は神も無いなら、自分はなおさらですね。 とにかく作ってみます。」とおっしゃいました。
木仏を掘る本当の目的。 それは人の心のぬくもりや神様の守護を伝えるためです。
姿の良い仏像を彫ることではありません。
私達の生き方もしかりです。
心のぬくもりや神様の守護を知るために在る、と私は思います。
このイラストは私の守護天使。ワルキューレの女神たち。
私が悪霊祓いの仕事をするときに完全なる守護をしてくださっている勇気ある軍団です。感謝。