大阪府南河内郡太子町 浄土宗 南向山 西方院
日本で最初に創建された尼寺であったと言われている。
その昔、蘇我の大臣の娘たちに、日益、月益、玉照の三姫があった。三人とも聖徳太子の乳母で、太子の死を知るや髪を剃り、太子御廟の近くに太子菩提のための寺を建てた。これが現在の西方院で、当時は、法楽寺といい、後に荒廃したものを蓮誉寿正尼が中興し、その時から、西方院と呼ぶようになったと言われている。
(新西国霊場HPより)
境内、三堂に彫刻あり。ここの彫刻結構気になります。
由来を尋ねにご住職訪問、本堂内陣も拝見させてもらいました。
本堂は、1600年代大坂金剛組?築造とのこと。詳しくは不詳
まず、境内向って右手 観音堂
向排柱・・・・これは、服部ぽいですね?
内陣 鏡天井 襖絵
本堂向って左隣 納骨堂
向排柱・他 ここは、なんか匂いますね!相野か中川か?
本堂
向排柱 まったくわかりません。
内陣
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