ぶらり紀行

宝塚市近郊の神社仏閣・祭り山車を中心に訪れた様子をレポート

福知山城

2015年07月05日 19時38分28秒 | 史跡

5月27日 愛馬にまたがり行ってきました。福知山城

実は、福知山城見学は、ついで、彫刻研究でお世話になってます、まささん情報により、「相野安右衛門儀一」

新情報確認と私の独自情報確認の為。

そのうちまとめますが、相野安右衛門新展開・何気に全容が見えてきたような気になってます。

当然足を延ばし相野徳兵衛新発見ないか?と高津八幡宮再訪問。おかげで宮司さんとの情報交換開始♪

これまたまささんから随分前にいただいていた、良作彫刻誰やろ?情報確認社寺まいり これがまた新発見彫物♪

と有意義な全行程270キロのロングツーリングとなりました。



福知山城 (福知山観光協会HPより)

天正8年(1580)ごろ、丹波平定に成功した明智光秀が丹波の拠点として新たに城を築いたのが始まりとされている。
以来、 戦乱の時代、城主が交代する中、順次整備が進められ、慶長5年(1600) ごろに完成したとされる。
明治時代のはじめに廃城令で取り壊され、 石垣と銅門(あかがねもん)番所だけが残されていたが、市民の瓦1枚運動などの熱意によって、3層4階の天守閣が、 昭和61年 (1986)11月に再建された。
天守閣は、 望楼型の独立式を基本として復元され、初期天守閣の特徴がよく現れたものとなっている。
石垣は、 築城当初の面影を残すもので、野面積み、乱石積み、穴太積みなどと呼ばれる、自然石をそのまま用いた豪放なもので、 福知山市の指定文化財。
一見乱雑に見えるが、 石材は奥に長く用いられて、強固な石垣が組み上げられてる。
石垣内部に石塔類が使われるなど、 安土城や二条城など織田信長にかかわるお城に共通する特徴を持つ。

























相野安右衛門儀一 文久2年(1862)作 寺院内部欄間彫刻





福知山市内神社 推定中川佐助尉親光 彫刻 築造他不詳




綾部市内神社 推定名無し権兵衛さんのすご~い彫刻一級品♪





福知山名物 千切屋 踊せんべい

本店にて購入

「明智光秀丹波をひろめ ひろめ丹波の福知山」









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