昨年は、見ていないのですがもう一台相野銘地車紹介
高槻市前島・前島地車
高槻市東天川・春日神社秋祭礼時に飾りつけられます。曳行はされていません。
町内地車蔵は、神社からは少し離れたところにあります。
製作年は以前に前島でいただいた神戸の先生前島地車解説帳(平成7年版)によりますと嘉永6年とあります。ちなみに図会さんHPでは7年になってますね。文献か墨書きあったんですかね?
相野伊兵衛・小松源助 名工合作地車です!!!
勾覧・縁葛部分に墨書きの銘があります。
しかし何度か拝見させていただきましたが、私的には、未だにどの部分が誰の手なのか良くわかりません。(笑)(解説書には載ってます。)
又、この地車見て、相野伊兵衛こんがらかってしまうのは、私だけでしょうか?
さて、だんじりを覆いつくす彫物!圧倒されますよ!特に勾覧から下がすごいです。
勾覧部分相野伊兵衛銘墨書
勾覧・縁葛部分
台八(泥台)・泥板部分
後部正面・泥板、台八
前部正面・泥板、台八・波切りが獅子頭です♪
前部 懸魚、車板、枡合部分
後部正面・見送板、車板枡合
小(後)屋根・獅子噛 これは、相野ですね♪
難しいですね。皆さんは、解ってはるんですよね?
私はぜんぜんです。いや~もっと勉強せなあきませんね。
ここ春日神社には、もう一台東天川地車もあります。
東天川地車も飾りつけのみで曳行はされてません。
少し前までは、秋祭礼時にも出されていなかったみたいですが、最近は出されているようです。
10年程前に行ったときに蔵開けてみせてくださいとお願いしましたが、「ダメ、見せない」と思いっきり断わられたのが印象に残ってます。(笑)
高槻市前島・前島地車
高槻市東天川・春日神社秋祭礼時に飾りつけられます。曳行はされていません。
町内地車蔵は、神社からは少し離れたところにあります。
製作年は以前に前島でいただいた神戸の先生前島地車解説帳(平成7年版)によりますと嘉永6年とあります。ちなみに図会さんHPでは7年になってますね。文献か墨書きあったんですかね?
相野伊兵衛・小松源助 名工合作地車です!!!
勾覧・縁葛部分に墨書きの銘があります。
しかし何度か拝見させていただきましたが、私的には、未だにどの部分が誰の手なのか良くわかりません。(笑)(解説書には載ってます。)
又、この地車見て、相野伊兵衛こんがらかってしまうのは、私だけでしょうか?
さて、だんじりを覆いつくす彫物!圧倒されますよ!特に勾覧から下がすごいです。
勾覧部分相野伊兵衛銘墨書
勾覧・縁葛部分
台八(泥台)・泥板部分
後部正面・泥板、台八
前部正面・泥板、台八・波切りが獅子頭です♪
前部 懸魚、車板、枡合部分
後部正面・見送板、車板枡合
小(後)屋根・獅子噛 これは、相野ですね♪
難しいですね。皆さんは、解ってはるんですよね?
私はぜんぜんです。いや~もっと勉強せなあきませんね。
ここ春日神社には、もう一台東天川地車もあります。
東天川地車も飾りつけのみで曳行はされてません。
少し前までは、秋祭礼時にも出されていなかったみたいですが、最近は出されているようです。
10年程前に行ったときに蔵開けてみせてくださいとお願いしましたが、「ダメ、見せない」と思いっきり断わられたのが印象に残ってます。(笑)
お久しぶりです~
前島の製作年ですが
縁葛裏に墨書きがあります
狭いんでちょっと見難いかと思いますが
あ~、また彫物にうるさい人が来たわ。(笑)
注連縄上げではどうもでした。m(_ _)m
前島は見たい地車の一つなんですが、一昨年11月の見学会は全然知らんかった。(涙)
こっちきてくれたんや(笑)
かずさんのブログ書き込みしておきました。
で、6年で正解?7年?
笛吹きオッサンさんと相野熱く語っていたらタイミングよく相野アップしてはったから(笑)
天満は藤七ですか!
本日相野喜兵衛見てきました。金網ついてあり残念でしたが。
そうです~スーパーカズです(笑)
こちらこそありがとうございました!
前島の見学会知らなかったんですね
かなりの人数いてはったので
来ていると思っていました。
あにきさん
やっぱりそうやったんですね~
訪問ありがとうございます。
正解は7年です
墨書きの書き方がちょっとややこしくて
嘉永すぐ下に六とかかれてあり
そのすぐ横に七年二月と書かれてあったと思います。
神戸の先生は恐らく嘉永六と書かれてあるのだけを見られて六年と判断されたのかも知れませんね。
嘉永の下の六は恐らく彫り物の番号みたいな
もんなんだと思います。
天満は恐らく藤七は手を入れていると思いますよ。
あと枚方の日置天神社の日の出町地車は拝見されましたか?
留置きで小屋の中ですが小屋根車板に伊兵衛の銘があります。
勾欄裏には小松源助・源蔵の墨書きもあります
かずさん<嘉永7年=安政元年ですね。
吹田川面築造年と同じですね。
以前に日の出町見たんですが、あまり情報入れて出向かないので、相野?小松?ええなぁで帰ってきてしまいました。
リベンジします。
吾彦(あびこ)観音=正解です。
日々時間あれば彫物巡ってます(笑)
上のコメント思いっきり呼び捨てですね。(笑)ごめんなさい。
ところで図会さんHP相藤の世界・一般的に漢高祖龍退治が、翠虚?になってますがイコールですか?そもそも翠虚がわかりません(笑)
本来高祖は大蛇退治なのでこの図柄はスサノオなのですかね?以前本家板で漢高祖うんちくありましたよね?(笑)当時も今もまったくついていけてません。(汗)
翠虚は、号名で陳楠と云うのが正式名ですね。
陳楠、または呂洞賓と云う事なので八仙の一人です。龍に乗る呂洞賓図と云うのもありますし、彫り物は道士の服装ですし、仙人の彫り物の中に漢の高祖があるのは可笑しいと云うのが松っちゃんの見解なのでしょうね。ここら辺は、今度会った時にでも聞いてみます。
素戔嗚尊と漢の高祖の区別は、酒の入った瓶の有無、櫛名田姫の有無等で区別する場合が多いです。日本神話に出て来る甲冑と中国モノの甲冑ではなかなか区別し辛いので・・・。今までどちらのアイテムも無い場合漢の高祖と判断されがちだったんですが、松っちゃんの説は当たってるかも知れませんね?
明治の初期もそうかも知れませんが江戸期以前は大蛇や蛇も龍で描かれたり彫られたりする場合は多いです。中国でも鯉や蛇が進化して龍になると云う話はあるんで・・・。(笑)
はい。少々勉強しに行ってました。(笑)
翠虚=呂洞賓は、東大クラスの博識ないと無理ですね。中国語だらけです。(泣)
漢高祖の大蛇退治も瑞兆伝説のようですし、呂洞賓にいたっても神的存在のようですから個人、時代背景によりさまざまに変化したのでしょうね。
また、陳楠と呂洞賓は元々別の仙人だったのが一人として描かれる様になったみたいです。
因みに呂洞賓は龍と一緒に描かれる場合が多いですが、陳楠は大水の中を笠に乗って描かれている様です。ちょうどアマゾンのオオオニバス(世界最大の水草)に子供が乗っている様な感じですね