ぶらり紀行

宝塚市近郊の神社仏閣・祭り山車を中心に訪れた様子をレポート

川面東 ~古幕~

2014年09月24日 21時15分10秒 | 川面東

以前川面東概要にて先代古幕について考察しましたが、私の考えは変わってません。

再度古幕について

現地車は、明治十四年九月三日 小濱東町より購入
代金五百二十五円 
内訳 けやき造り地車一基、小道具一式 五百円
小浜村字東之町若中、酒肴料   二十五円
大道町に残る明治十四年九月 樂車買求帳・明治十四年十一月 檀楽車新造金賦課徴集明記帳に記載あり

この時に一緒に購入したと多くの方々は自然と思っている、先代見送り幕であるが、買求帳には、幕の記述が無く小道具とは、あまりにも考えにくい。この時代の刺繍幕は、安価なものであり、小道具のひとつに分類されるほどの脇役だったのか?それにしては、豪華であるし、代々大事に扱われてきた。又、祭り準備の幕張りは、最重要ポイントである。たしかに地車1台の価格にしたら500円は高価である。それならなおさら飾り幕含む購入の文字があってしかりと思われる。先代幕については、以前より私は、所有していた可能性ありと推測する。

以前より所有していた理由として、まず翌年に新調された西・南の地車も当時の記録の中に幕新調の文字なく先代地車からの引継いだものである。置き換えると先代地車売却に際して幕を譲渡していないことになる。それだけで幕は、愛着がありかつ高価なものと判断できる。
西・南の図柄であるが、西が龍虎、南が加藤清正他虎退治である。
それぞれが図柄を異なるものを使用している。東は、先代地車売却先中山寺に幕も一緒に譲渡したなら図柄は、龍虎となる。現中山寺見送り幕は、中山寺で新調された物であるが、先代の幕も同じ図柄である。西と同じ図柄と言う事になるのだが、川面のライバル意識からして想像しにくいものがある。
内幕に至ってもほぼ同年代の製作のように感じるが、この幕のみ以前からの幕であったのか?間違いなく内幕については、小濱から購入したものとは考えられない。なぜなら川面神社の紋である「五瓜に唐花」が刺繍してある。後年に新調したのであるなら明治14年以降記録が多く残っているので新調記述としてあってもよいはずであるがない。となると、明治14年以前の幕である可能性が残る。仮に内幕が明治14年以前であるならば、私は、見送先代幕が川面東にて製作された可能性が大きくなると見る。その根拠は幕の房部分が内幕、見送り幕同柄である。この柄は川面東幕独特の柄であり、他町に同じ柄がない。

























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