
のっぴきならない事態(少し言葉違うかも)により水曜日休んでしまいました。
そのお詫びに隠しネタのひとつを公開します。(笑)
加東市上田 大芋(おおくも)神社
案内板を確認しても由緒として諸説あるのか?年代が一致しません。
文治2年(1186)紀州熊野より若王子権現を迎え祭り、一社を創立したのが始めと伝える。
貞和2年(1346)になって丹波多紀郡大芋村の櫛岩窓神社の分霊を祭り大芋大明神の社殿を造立したという。
寛文年中(1661~72)丹波・櫛石窓神社の神額が洪水氾濫のため流失、上田村に留まったのを村人は霊瑞となし、祠殿を造り大芋神社と称し崇敬したという。
本殿 築造 文化4年(1806)
彫刻師 大坂 中川利兵衛藤原定八(水)
親家末裔ですね!!
以前少し紹介 → http://blog.goo.ne.jp/aniki0528/e/f2b730336cc40bacfe0711387612839b
彫刻は残念ながら少なめ、脇障子も痛み激しく欠損してます。
蟇股 獅子群雄 木鼻獏に中川の特長が見受けられます。
銘が利兵衛とありますので本流ではありますが、どちらと言うと神戸北区有間神社の「佐助親光」に近い彫である。
有間神社が、1796年なので時期的にも似通う。
脇障子のみ定八(水)が彫り、蟇股・木鼻類を佐助が彫ったか?
はたまた、推測ではあるが、親家=私的には、浪花中川彫刻の祖 跡目なく佐助の筋より迎えたか?佐助が改名継いだか?
定八(水)実物発見がここのみの為解明はまだまだ。
























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