鵺登場前
現代語訳つづき
源頼政は、信頼していた家臣である遠江国の住人・猪早太(いのはやた)に、鷲の両翼の下に連なる羽の中で風切りという羽ではいだ矢を背負わせ、猪早太一人だけを供にしました。
頼政は、自分は、表裏同色の狩衣に、山鳥の尾っぽの毛ではいだ、先のするどくどがった矢を2筋、滋藤の弓といっしょに持ち、南殿の大床に行きました。
頼政が矢を2筋持っていたのは、公卿補佐の源雅頼が、その時雅頼はまだ左少弁でしたが、「変化の物を退治できる吾人は頼政だ」といい頼政が選ばれたからでした。頼政は、一の矢で変化の物を射損じたら、二の矢では「雅頼めの首の骨を射てやる」ということでした。
案の定、いつも人々が言っているように、御難の時間になると、東三条の森の方から一群の黒雲が立ち起こり、御殿の上を覆いました。
史跡
東三条の森 大将軍神社
素盞嗚尊を主神とし、相殿に関白藤原兼家を祀る。
桓武天皇が平安京を造営した際、大内裏鎮護のため、四方四隅に祀られた大将軍神社のうち、東南隅の一つである。
特に平安京東のこの地は、三条口の要地にあたり邪霊の侵入を防ぐ意を以て重要視されてきた。
このあたりに建てられた藤原兼家邸は、応仁の乱で廃壊したが、境内に東三條社として名跡を留めている。又。樹齢800年と伝える銀杏の大樹があり、かっては鵺の森とも呼ばれ、源頼政の鵺退治の伝説を偲ばせる。
樹齢より鵺退治が前。現存の大樹はその当時あった木々の子か孫木。当時このあたりはうっそうとした木々が生い茂った森であったそうで、鵺の住処とされていた。
拝殿 彫物 詳細不詳 京都彫でしょうか?
木鼻正面獅子の顔向きが極端に内向きです。
境内・摂社
神木 鵺の木
つづく
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